土岐英史(とき ひでふみ)さんが亡くなられました。ボクは1994年2月18日、土岐さんにインタヴューをする機会を得ました。リリース予定の新作『ザ・グッド・ライフ』のプロモーションがらみの取材でした。指定された東京・池袋の狭小ライヴバー“アダージオ”で出迎えてくれた土岐さんは、プロモーションそっちのけで、自らの音楽遍歴を語ってくれました。2時間近くのインタヴュー音声の文字起こしが残っていたので、そのプリントアウトをOCR処理して、1/4ほどにまとめました。ご冥福をお祈りして、ここに掲載させていただきます。 取材対象の1994年リリース『ザ・グッド・ライフ』宣伝用リーフレット(筆者画像複写) ♪ ほぼ自作のクラリネットで演奏に開眼 ──楽器って、何が最初だったんですか? 土岐 ボクは5人兄弟の末っ子で、いちばん上がひと回り離れていて、僕と同じ大阪音大付属高校から大学院へ行っているんです。で、子
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