明治十四、五年の頃、河内の生駒山の麓の住道(すみのどう)村に、辰造とお留という若くて仲睦まじい夫婦がいた。ところが夫の辰造は眼を患い、仕事に就けなくなってしまった。 生活は貧窮し、やむなくお留は奉公に出る決心をした。こうして二人はしばらくの間、離れ離れに暮らすこととなった。 お留は奉公先で一生懸命働き、主人の受けもよかったが、ある時、肥屋が同じ郷里の出だというので夫の様子を問うたところ、 「辰造はすでに病気もなおり、美人の嫁をもらって楽しく暮らしている」 と肥屋が言ったのでお留は愕然とした。 その夜、お留は早めに休みを貰って二階に上がったが、翌朝になっても起きてこなかった。 不審に思い御寮人が様子を見にゆくと、お留は窓の手摺を両手でしっかり握り、黄楊(つげ)櫛を逆さまにくわえた状態で息絶えており、あたり一面は血だらけであった。 驚いていると、住道村の者たちがやって来て「お留さんはいますか」
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