タグ

ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (10)

  • 自殺予防キャンペーンの偽善 - jun-jun1965の日記

    十日から自殺予防週間だそうだ。私はこの自殺予防キャンペーンというのを実に胡散臭いものだと思っている。自殺する人間には、それぞれ原因があるわけで、その原因を取り除かないで、自殺だけ止めても意味ないだろう。 たとえば病での自殺というのは、どうしても防げないことはある。医者にかかっていない者なら、医者にかかるようすればいいし、藪医者にかかっていて困っているならいい医者にかかれるようにすればいい。 あるいは借金苦による自殺というのも多い。私は借金をしない主義だが、現代の資制社会というのは、人が借金をするものという前提でできているし、「ローンを組んで何ちゃら」などと、愚か者に借金を勧める業者だっているわけで、街金なんてのは自殺者製造業者みたいなものだ。気で自殺を防止したいなら、無理な借金はやめましょう、って政府が言えばいい。聞いたことがないね。あるいは宝くじなんて、期待値を計算したら絶対当たら

    自殺予防キャンペーンの偽善 - jun-jun1965の日記
  • 昭和30年代へ行け樋口康彦 - jun-jun1965の日記

    樋口康彦『崖っぷち高齢独身者−30代・40代結婚活動入門』(光文社新書)というのを先日からぼちぼち読んでいる。著者は1965年生、関西大学および大学院出、専門は教育社会心理学、おそらく数年前から、富山国際大学専任講師。五年前から、お見合いパーティーや結婚相談所で約300万円の金をかけて結婚相手を探したが成婚には至っていない。書はその自己ルポと、著者がひねり出した教訓を書いたものである。 だいたい、関西大学の大学院へ行くなどというのがかなり危険な行為である。関西では二流かもしれないが、全国的には三流大学で、そんなところで大学院へ進むのは、半ば人生を捨てたようなものだ。ただ樋口の場合、1980年代、バブル経済期のことなので、一概には責められない。 しかし樋口は身長170cm、体重59kg、顔もそうまずくない。酒も煙草もギャンブルもやらないという。 ところが、読んでいくと、どうもこの方の考え

    昭和30年代へ行け樋口康彦 - jun-jun1965の日記
  • 下井守教授に拉致されかける - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) ところで千代田区あたりで課金されたら訴訟を起こすという計画が、実は困難であることが分かった。というのは、当然私は「金は払わん」と言う。ただし名刺は渡すから、家まで来るかもしれんが、それでも当然払わん。もし払ったら、その自発性によって相手方の責任を追及するのは難しくなる。かといって払わなければ、損害がないから訴えられない。 赤塚不二夫が「闘病中も酒を手放さなかった」と報道されるが、誰かが死んでも「たばこを手放さなかった」とは報道しないよね、禁煙ファシスト連盟の新聞さんたち。

    下井守教授に拉致されかける - jun-jun1965の日記
  • 蟹工船騒ぎ - jun-jun1965の日記

    『蟹工船』が売れているとかで話題になっている。大変気持ち悪い。第一に、火付け役が雨宮処凛というところが胡散臭い。雨宮は「元右翼」と言っているが、「左翼」になったという気が私にはしない。だって尊皇家の佐藤優と対談しているんだもの。貧乏で大変と言いつつ最後は天皇陛下にお縋りするような気がしてならぬのである。 毎日新聞の記事では赤木智弘も出ていたが、これまた胡散臭い。だいたい2.26事件というのは、東北の飢饉による貧困の広がりの中で、中産階級と政党・企業を中心とする政治に不満を抱いた青年将校らによって起こされたものであり、現に戦争が始まれば経済は一時的にであれ好転するのである。 まあ、今の日でいきなり自衛隊がクーデタを起こしたり戦争が起きたりするはずはないからいいのだが、別に小林多喜二は満天下の紅涙を絞るために作品を書いたのではなくて、革命を起こすために書いたのだからね。しかしそんなの起きる気

    蟹工船騒ぎ - jun-jun1965の日記
  • 荻上チキの正体 - jun-jun1965の日記

    九月にここで、ちくま新書が出たら荻上チキの実名を明かす、と書いたら、ほどなくチキから、やめてほしいという懇願メールが来た。会社で仕事をしているので、顧客などに知れるとまずい、というのだ。 チキは私が小山エミと論争している時に、「小谷野さんがぐずぐずになっている」と書いているし(私はぐずぐずになどなっていない)、林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思うのだが、一点、躊躇されるのは、私がチキの実名を知っているのは、当人がを送ってきた時に封筒の裏に書いてあったからで、当人が知らせてきたのを、当人が嫌がっているのに明かすのは、どうか、と思うからだ。もっとも当人は、封筒の裏に書いたことは忘れていたらしく、筑摩書房から聞いたと思ったらしいが、それは個人情報保護法違反だから、ない(筑摩の編集者とはもちろん時々電話で話すから、「名知ってるんですが、明かすとまずい

    荻上チキの正体 - jun-jun1965の日記
    hotsuma
    hotsuma 2007/12/24
    ブクマし忘れてた。
  • 世界連邦において警察力の行使は戦争になる - jun-jun1965の日記

    先日駒場へ行ったら、共産党のビラがあって「戦争でテロは止められない」とあった。じゃあどうやって止めるのかと思ってよく見たら「警察による逮捕と裁判」とあったので内心で苦笑した。オサマ・ビンラディンが麻原彰晃のように簡単に逮捕できるなら戦争になんかなっていないよ。 そもそも、反政府勢力の力が一定以上に大きければ、警察力の行使は戦争になる。日でいえば西南戦争だ。かつて世界連邦構想というのがあったが、これはまさに日国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」できたものだ。仮に世界連邦ができたら、単に戦争が内戦と名を変えるだけであることは、現在では常識だと思っていたよ。世界連邦運動なんて、まだあることが驚きだ。 - 水谷尚子さんの新刊『中国を追われたウイグル人』(文春新書)は、『諸君!』に掲載されたものをもとに加筆したもので、水谷さんは今の日で最も精力的に、ウイグルの民族運動のシナ

    世界連邦において警察力の行使は戦争になる - jun-jun1965の日記
  • 会いたがる人 - jun-jun1965の日記

    どうも世の中には「会って話したい」と言う人がいる。これが、美女が「プライベートでお話したいわ」とかいうのであれば、あるいは親しい編集者が、今度事でも、とかいうのであればいいが、仕事その他の話で、それも、単行を書くので初対面で相談するとか、連載をするのでとか、それならいいのだが、そうではなくて、電話で済むところを、「会って話したい」と言い募る人がいて、これはだいたい「脅す」か「泣き落とす」か「情に流す」のどれかが目的である。実際、電話で話して埒の明かないものが、会って解決したためしなどなくて、単にごまかされて禍根を残すだけである。 それでひとつ、まだ前の結婚していて、大学に再就職するつもりであちこち公募に出していた頃、某大学教授が、人を介して、会いたいと言ってきた。私は、別にその人のことをよくは知らなかったが、あわよくば就職の話でもと思って、某所居酒屋へ出かけたが、別段そういう話でも

    会いたがる人 - jun-jun1965の日記
  • 香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記

    香山リカほど、新聞やマスコミでの売れっ子ぶりと、ネット上、あるいは蔭での悪口との乖離が激しい人も珍しい。後藤和智はこんなふうに書いている。 http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/04/post_6cb6.html (嫉妬で書いたものであるため削除)

    香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記
  • 吉原真里との議論(復活) - jun-jun1965の日記

    「都立大英文掲示板」というところで吉原真里の『聖母のいない国』への書評への反論を載せたら吉原から返事が来たのでさらに返事をした。しかし掲示板が消えてしまったようなので、ここに再掲する。(下から読んでね) ■ 吉原さま / 小谷野敦 吉原真里さま お便り拝読いたしました。変則的な場に載せたものでしたので、何より、お目にとまったことが確認できて喜ばしく、また「黙殺」もされなかったことを、吉原さまの誠実さの証しとして受け取っておきます。 さてしかし、私信でやりとりを続けたいというお申し出については、首肯いたしかねます。もし吉原さまがさらにお返事をしたいというのであれば、やはり公の場で行うのが筋でしょう。「理解できない箇所」があるのでご質問なさりたいとありますが、私はお答えの中で、『恋愛の超克』『中庸、ときどきラディカル』『男であることの困難』『江戸幻想批判』『夏目漱石を江戸から読む』と、拙著の題

    吉原真里との議論(復活) - jun-jun1965の日記
  • 「昔は良かった」の迷信 - jun-jun1965の日記

    秋田の北のほうのヤンキーあがりママの殺人事件で、昔はこんなふうにワイドショーやマスコミが騒ぎ立てたりしなかった、などと言っているバカがいる。 冗談ではない。マスコミが未発達だった徳川時代でさえ、人々はゴシップには飛びついた。いわんや明治から昭和初期なんて、名誉毀損だのプライバシーだのの概念が発達していないから、一般人の私的不品行でさえ堂々と新聞に続き物で書かれたりしたものだ。有島武郎の『或る女』なんて、今だったらモデルであることの明らかな佐々城信子に訴えられてたちまち絶版・回収である。 だいたいこの手の「昔は良かった」言説は、ロマン主義に淵源する、単なる思い込みか迷信である。玄田有史と内藤朝雄が、ともに、「昔はニートのような存在も共同体に受け入れられていた」などと言ってしまうのは、歴史をちゃんと勉強していないからである。未開民族がいかに暴力的だったか、あるいは神経症のような病気は未開社会で

    「昔は良かった」の迷信 - jun-jun1965の日記
  • 1