昭和天皇が崩御したとき、ぼくは一七歳だった。いまは四七歳だ。平成はそのあいだの三〇年を占めている。つまり平成は、ぼくの人生の知的で生産的な期間と完全に一致している。昭和期は仕事はしていない。すべての仕事は平成期に発表された。そしてぼくはいま五〇歳近い年齢であって、まったく新しいことを始めるのはむずかしい。新元号でも仕事はできるだろうが、それは平成期の延長にならざるをえない。つまりはぼくは本質的に、平成の批評家であり哲学者であり書き手なのだ。平成というのは、ぼくにとってそういう時代である。 その事実はぼくを憂鬱にする。というのも、ぼくは平成が好きではないからだ。字面からして好きではなかった。三〇年前、ブラウン管のなかで(当時はまだブラウン管だった)官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げたのを見たとき、なんて間抜けな命名かと感じたのをよく覚えている。 そう、平成はその名のとおり間抜けな時代だっ
![東浩紀が時代の節目に自らを振り返る――「平成という病」(Book Bang) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6a869b90807df82567d596222937ac194c98f113/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flpt.c.yimg.jp%2Famd%2F20190516-00566944-bookbang-000-view.jpg)