タグ

2019年10月10日のブックマーク (2件)

  • 「心地よいもの」「美しいもの」だけが芸術なのか - Web論座

    あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」(以下不自由展)の中止から文化庁の補助金不交付決定まで一連の動向については、すでに多くの人が抗議や懸念を表明している。 私の所属する東京藝術大学においても9月27日(金)の夜18時から美術学部正門前で緊急集会が開かれ、直前の告知だったにもかかわらず教員や学生約300名が集まり、この問題について大学前の路上で議論を行った。 また10月3日付で東京藝術大学教員有志一同42名(その後、賛同者は増え10月5日現在47名)が「文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」補助金交付取り消しに対する抗議声明」を発表し、同日萩生田光一文部科学大臣と宮田亮平文化庁長官宛てに声明を送付した。 東京藝術大学だけではなく東京大学でも同日同様の声明が出されている。大学だけではない。文化や芸術に関連する団体や組織が次々と抗議文や声明文を発表している。この動きは、トリエン

    「心地よいもの」「美しいもの」だけが芸術なのか - Web論座
    howlingpot
    howlingpot 2019/10/10
    例の少女像なんて事実上反日ナショナリズムの発露としか機能してないけど、ここ1年ばかりの日韓摩擦の中で、そういうおぞましさから懸命に目を背け、批判を差別だヘイトだと誤魔化してきた側のお題目としては弱い。
  • 文脈共有の責任は誰にある?

    広島上空に飛行機雲で「ピカ」と書いたチンポムという芸術家集団がいるという。 当然、「ピカ」を見た不特定多数の人々の何割かが傷付く。 チンポムには崇高な理念があったかもしれない。しかし傷付いた側にとってはどうでもいい話だ。 「不快感を我慢して時間をとってまで崇高な理念とやらを調べて理解しなければならず、そうしなければ批判する資格はない」などという道理はない。 ならば文脈共有して人を傷付ける表現を芸術に昇華する責任はチンポムにあるはずだ。 だがどうやったら広島上空の「ピカ」の文字を見て傷付いた不特定多数の人々全員にもう一度語りかけて理念を伝える事ができるというのか? 要するに注目が集まれば人が傷付き傷付いたままでいても構わないという炎上商法なのだ。 では表現の不自由展はどうだろうか? ご存知の通り開催前に配信された動画で津田芸術監督は友人とイタズラを画策する子供のような態度で炎上するサプライズ

    文脈共有の責任は誰にある?
    howlingpot
    howlingpot 2019/10/10
    昔『奇妙な論理』という本で、ユダヤ陰謀論を展開するユダヤ人の本をナチスが推薦図書にした的な話を読んだ記憶があるから、誰が誰に向けて言ったかという文脈が免罪符にならない可能性の認識も必要かもしれない。