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->LiveWorldに関するhyakdaivsgmのブックマーク (165)

  • ASTATINE :: 沙耶の唄が診せる写実と心意、男性主導/女性主導、下。

    ■ 前記事:「男性主導/女性主導、中。」 「腐女子の気持ちがヲタに判るわけがない」 ―――とまで言われてしまったのがちょうど昨日のこと。前エントリ「エロゲーが質的に男性主導の性的文化であるにも関わらず、その作品の多くが女性主導の展開になっている、現状の歪み」と私が書いたことによる女性読者さんからのメール上でのやり取りで、彼女が最終的な結論としたことです。勿論、ご人は、こう書いたわけではありません。この方は『男性主導/女性主導、上。』『男性主導/女性主導、中。』を通して、メールで意見をもらっていましたが、今回、“(自分の書いたメールの)テキストを直接使わないこと”、“ハンドルネーム含めて性別以外のプロフィールを出さないこと”、以上を条件に内容を使わせて貰っています。 >凌辱系以外の作品は、男性主導/女性主導を区分していくと、主流は女性主導です。これは、比較的主人公が主導的な意味を持つ作品

  • ASTATINE:男性主導/女性主導、上。

    別にジェンダーの話をしたい訳ではないんですが。 私は、物語に対して男性的、または女性的と区分することがあります。作品から受けるイメージのことなんですが、キチンとした意味で言えば、物語を男性が主導するか、女性が主導するかを指して使っています。ギャルゲー・エロゲーという区分からすると、(既に指摘している人もいるように)これらの作品群は女尊男卑が主流です。萌えゲーになんて特に……ですか。男性キャラは立ち絵無し、目無しは当たり前、物語的には添え物、よくて消耗品であることも珍しくない。さらには(主人公にすら)明確な人格は与えられていない作品もありますね。 人間を描写する作品として考えれば、これは歪な構図です。主人公の周りに女性しかいないなんて考えられないし、主人公の描写よりもヒロインの描写の方が密なんてのもおかしい。ヒロイン側には問題山積みなのに、主人公はお気楽トンボだったり、意味不明に熱かったり醒

  • ASTATINE:男性主導/女性主導、中。

    ■ 前記事:「男性主導/女性主導、上。」 では、男性主導の作品は無いのか?……と言えばそうでもないのが、エロゲーがエロゲーたる所以。このジャンルの面白いところでしょうか。 最もわかりやすいのは、ALICESOFTとLeaf。 ランスシリーズなんて、ごく当たり前のごとく、主人公・ランスが切り回す作品群ですし、「大悪司(1999)」「大番長(2003)」にしろ、強力な男性主導の世界観が形作られている。ALICEの場合、正確に言えば男性主導ではなく、主人公主導と言うべき作品傾向を持っていて、女性主人公である「アトラク=ナクア(1997)」はともかく、女性が主導的展開を握る「GALZOOアイランド(2005)」や「超昂天使エスカレイヤー(2002)」では、ヒロイン側が主人公に依存する状況を構築して、弱者的スタンスにいる主人公が強者的スタンスにいるヒロインを"支配する"という図式を組んでいる。また、

  • 喪男道 - モンスターハンターとナルシズム〜その2

    恋愛そのものよりも自己肯定出来る事こそが大切である。 これ自体は多くの喪男が気が付いているとは思います。 ですが、喪男道と縁のあるブログは兎も角として(気が強い人が多い)、 その他のモテナイ男ブログを見るとこの期に及んでも 自己肯定出来ている、自己肯定しようとしているとは思えないのです。 自己肯定できない限りは延々と苦しむだけなのですがね。 (例えばDT(童貞の略語か?)が云々などといっている某ブログの管理人は 過去に彼女が居たにも関わらず、私(恋愛未経験の真性童貞)よりも 自虐的かつ女々しい文章を書いていました) なぜ彼らは自己肯定をしようとしない、或いは出来ないのか? 幾つか原因を列挙してします。 1.自己肯定できる要素(能力、過去の栄光)が無い。 2.趣味が乏しいため、自分が主人公になれる世界を発見する能力に乏しい。 3.自己肯定することが恥ずかしいためそれを自ら拒んでいる(照れ隠し

  • 傷つける性 :: ギャルゲー的セクシャリティ - 博物士

    古書店に発注していた『新現実 vol.2』(ISBN:4047213926,2003年3月)が届いた。さっそく,ササキバラ・ゴウ『傷つける性 団塊の世代からおたく世代へ――ギャルゲー的セクシャリティの起源』を読む。 ササキバラ論考の要旨 1. ギャルゲーと〈わたしのリアリティ〉 ギャルゲーとはどんなメディアか ノベル系ギャルゲーは,〈ゲーム〉としてではなく,〈ハイパー・ノベル〉として理解した方が実情をつかみやすい。それは誰かをめぐる〈物語〉なのである。ゲーム性は表面的部分にはなく,根的なところに掘り下げられている。 ギャルゲーのドラマ形式 〈ハイパー・ノベル〉は基的にミステリーの形式で作られている。ストーリー進行を支えるのは,〈ぼく〉のモノローグと女性キャラとの会話。女性キャラは,自身にドラマの要素(ミステリー)を抱え込んでおり,ストーリーの進行とともに明らかになっていく。 ミステリー

    傷つける性 :: ギャルゲー的セクシャリティ - 博物士