「書く」ことについての感銘を受けた言葉をいくつか 忘れる前にここにメモっておこう。 いとうせいこう(リクルートのフリーマガジン「R25」のインタビューより) 連載があるから書くのではなく、書くことで、植物たちの様子を知る。 「書かないと観察できないんです。たとえば“緑”って書きたいとき。人に伝えるために、どんな緑なのかを考え始めるでしょ。抹茶のアイスクリームの緑なのか、新緑の緑なのか、信号の緑なのか。そこで観察力が問われ、自分でもどういう緑なのかがわかってくる。書かないとそこまでいかない。ただぼんやりとした緑で終わっちゃう」 なかにし礼(TBSラジオ「伊集院光 日曜日の秘密基地」2007.3.25 O.A.より) 以前に、著書「兄弟」に関するインタビューで「兄の存在が大変にきつかったが、本に書いたら『けっこう自分は兄に影響を受けているし、いい面もあった』と初めて思えるようになった」と話し
年功序列を基本とする昭和的価値観は、企業内だけではなく、社会のあらゆるところでも見られるものだ。 その代表はプロ野球。本来、完全実力主義の世界であるべきなのに、少なくとも監督人事については プレイヤーとしての実績を要求する球団が多い。特に巨人なんて、ジャイアンツの選手として実績を残した 人間以外は、絶対に認めようとしない。一昨年、星野氏の招聘が議論された時、「OB以外にポストを渡すな」 とOB会が強行に反対したことは、いまだ記憶に新しい。 要するに、プレイヤーとマネージャーのキャリアパスが分かれていないのだ。 これは年功序列組織の典型と言っていい。 一方、比較的プロスポーツとしての歴史が浅く、また世界的に競技が普及しているサッカーの場合、 昭和的価値観はあまり見られない。監督として実績のある人間を外部からばんばんスカウトしてくるし、 時には他チームから引き抜いたりもする(フロンターレの関塚
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