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ブックマーク / www.jarchive.org (2)

  • アジアの僧たちは、絵に描き手の名を記さない。 (better)

    先々週、「座談会 UGCの可能性を考える」を読んで、これはなるほど欧米とアジア諸国の宗教観の違いなのではないかと思った。以下は『たて組ヨコ組』11号(1986年冬号)に載っていた「「万物照応」する世界を見る」(杉浦康平)という記事の一説だが、こういう感覚を尊ぶ血は非常によく分かる。 興味深いことは、アジアの画工・僧たちは、絵に描き手の名を記したりしない。訪ね歩いて、やっとこの絵は誰それが描いたものらしいということが判る程度。どこにも光琳や運慶のように名を成す人がいないわけね。たとえピカソに匹敵するほどの力を放つ壁画を描きあげたとしても、むしろ自分の名前を消すことに生涯をかけるんです。なぜ名前を消すのかというと、まず絵を描く目的は、自分たちを超えたより大きな存在に向けて描かれ捧げられるものであるから。また、万人のためのものだから。自分ひとりの力が描きあげたものじゃないということを、熟知してい

    hyougen
    hyougen 2008/08/18
  • 1970年代までの同人誌の歴史 - www.jarchve.org

    注意:この文章は2003年〜2004年にかけて書かれ、「ロリコン入門」というコンテンツの補足記事として公開されました。ロリコンと同人誌の関係性を意識して解説しているため、所々それを前提とした書き方がされています。違和感を感じた人は読みすごしてください。 ロリコン以前の同人誌歴史コミケットまで) 最初の同人誌ブームは1953年前後に『漫画少年』(学童社/1947年創刊・1955年休刊)を中心に起きた。同人誌といっても、当時はオフセット印刷もコピー機も満足に無い時代であるから、会員間で郵送して回し読みをする全て手書きの「肉筆回覧誌」が普通である。有名なものには、石ノ森章太郎が会長の東日漫画研究会(会員には赤塚不二夫、高井研一郎、水野英子らが居た)による『墨汁一滴』、鈴木光明が会長の『ぶるーばーど』(永島慎二、石川球太など)がある(ちなみに藤子不二雄が作った漫画同人誌『少太陽』は1951年

    hyougen
    hyougen 2007/08/24
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