先々週、「座談会 UGCの可能性を考える」を読んで、これはなるほど欧米とアジア諸国の宗教観の違いなのではないかと思った。以下は『たて組ヨコ組』11号(1986年冬号)に載っていた「「万物照応」する世界を見る」(杉浦康平)という記事の一説だが、こういう感覚を尊ぶ血は非常によく分かる。 興味深いことは、アジアの画工・僧たちは、絵に描き手の名を記したりしない。訪ね歩いて、やっとこの絵は誰それが描いたものらしいということが判る程度。どこにも光琳や運慶のように名を成す人がいないわけね。たとえピカソに匹敵するほどの力を放つ壁画を描きあげたとしても、むしろ自分の名前を消すことに生涯をかけるんです。なぜ名前を消すのかというと、まず絵を描く目的は、自分たちを超えたより大きな存在に向けて描かれ捧げられるものであるから。また、万人のためのものだから。自分ひとりの力が描きあげたものじゃないということを、熟知してい