2004年、三角みづ紀は第一詩集「オウバアキル」で鮮烈なデビューを飾る。当時まだ23歳という若さでありながら、同年すでに「第42回現代詩手帖賞」を受賞するなどして注目を集めたが、さらに「第10回中原中也賞」を受賞しその名は詩に関心の無かった人々にも知られることになった。2006年には第二詩集「カナシヤル」を発表。「第18回歴程新鋭賞」、「南日本文学賞」を受賞し詩壇に確固たる地位と名声を築く。過去の作品を振り返りつつ、衰えることを知らないその創作意欲の内側に迫った。 苦難の果てに辿り着いた「カナシヤル」という境地 鹿児島県に生まれ育った三角みづ紀が初めて詩を書いたのは小学6年生の時。その後も詩作を続けながら、大学進学を機に上京。しかし20歳の時にひと月以上も40度の高熱が続き、膠原病(こうげんびょう)という難病と診断され、実家に近い奄美での療養生活を余議なくされる。そのような状況に強い焦
アート情報 舞台【Pappa TARAHUMARA特集】Vol.1 観るべきものがない、と嘆く方へ アートを越境し続ける「パパ・タラフマラ」 観客が期待するものをそのまま提供することがエンターティメントであり、観客の期待を裏切ることがアートであるとしたら、そのいずれにおいてもなかなか満足し得ないのが昨今のエンターティメント、或いはアート事情ではなかろうか。そんな中、パパ・タラフマラは圧倒的にアート道を突っ走っているのだが、そのぶっ飛び感たるや時としてエンターティメントでもある。世界水準のアートに目の肥えた観客は、パパ・タラフマラが固定観念や既存の枠組みを次々と壊す(というより無視する)さまに快楽すら感じているのだ。(でなければ、巨大な出刃包丁がウンチを追っ掛けまわす、などというオブジェが許されるはずが無い。) パパ・タラフマラを、何者であるか敢えて一般的な言葉で定義するならば、彼らは「パフ
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