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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (5)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    hyougen
    hyougen 2019/09/06
  • 1565夜 『マティスを追いかけて』 ジェームズ・モーガン − 松岡正剛の千夜千冊

    マティスを追いかけて ジェームズ・モーガン アスペクト 2006 James Morgan Chasing Matisse 2005 [訳]山岡万里子 編集:宮崎洋一 協力:加賀雅子・東江一紀 装幀:前橋隆道 60歳をすぎた男とそのが、 それまでの栄光と日々をほったらかしにして、 アンリ・マティスを追いかけた。 それがいわゆる美術探索の旅なんかじゃない。 あの日のマティスのように空気を吸うためだった。 とても珍しい行状の大冊である。 人生の半ばくらいを実感できる諸君に こっそり薦めたい。 マティスは84歳で没するまで絵を愉しんでいた。それまでちっとも挫(くじ)けなかった。ヘミングウェイ(1166夜)は62歳で自ら人生を降板した。 ジェームズ・モーガンは長らくヘミングウェイが好きだったのだが、あるとき自分が追いかけるべきはマティスであると確信した。いままで何をしてきたのか。そろそろ何かが変

    1565夜 『マティスを追いかけて』 ジェームズ・モーガン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 1523夜 『バッハ』 ポール・デュ=ブーシェ − 松岡正剛の千夜千冊

    バッハ 神はわが王なり ポール・デュ=ブーシェ 創元社(知の再発見双書) 1996 Paul du Bouchet Magnificat Jean-Sébastien Bach 1988 [訳]高野優 装幀:戸田ツトム・岡孝治  監修:樋口隆一 拝啓。いよいよバッハを千夜千冊いたしますが、 今夜のバッハは「まだまだバッハ」です。 けれども小生、バッハをなんとか書かないかぎり、 モーツァルトもロマン・ロランもワグナーも、 また、リヒテルやバレンボイムや弦楽奏者も、 いささか採り上げにくいのです。 まずは今夜の「まだまだバッハ」から始めて 「つぎつぎクラシック」のほうに 少しずつ臨んでいきたいと思います。敬具。 ポツダムといえば日人にはポツダム宣言のことだろうが、クラシック音楽のファンやバッハのファンにとってはポツダム宮殿のことだ。 そのとき、バッハはすでに60歳をこえていた。時代はゆっくり

    1523夜 『バッハ』 ポール・デュ=ブーシェ − 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    hyougen
    hyougen 2013/07/07
  • 1384 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    このは、美術活動と市場と地域通貨の可能性を 初めて思想的につなげようとしたである。 フーリエ、プルードンからブルデュー、柄谷行人へ。 ベンヤミン、ヨーゼフ・ボイスから漱石へ。 このような美術論は日には珍しい。 このようなアーティストも、日にはめったにいない。 読んでみますか。千夜千冊で済ましますか。 アートにかかわる諸君は読んだほうがいい。 この人はジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』(1357夜)に、おそらく当時唯一だったのではないかと思うのだが、最も早く反応した日のアーティストだった。すでに『日現代美術序説』(ギャラリー・メールド)というを書いていた。 書も9年前のである。斬新な視点が横溢していた。ウォルター・ベンヤミン(908夜)やピエール・プルデュー(1115夜)やノルベルト・ボルツ(1351夜)の視点がそこここに散りばめられ、そのあいまに現代アートを揺る

    1384 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    hyougen
    hyougen 2012/01/21
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