タグ

ブックマーク / chimidoro.exblog.jp (2)

  • 水谷孝×湯浅学ファクシミリ交信-1991 | 血ブログ

    先日、根敬の『特殊まんが-前衛の-道』を買って読んだ。その中に、「裸のラリーズ」の首謀者・水谷孝への貴重なインタビューに成功した湯浅学の話が出てきて、根敬が引用した一部だけでもグッとくるいい内容だったので、全文が読みたくなった。 レアなインタビューならネットに上がっていそうだな、と思って早速検索してみたが、無いようだった(よく探せばあるのかな)。ますます気になって、そのインタビューが掲載されているという雑誌『MUSIC MAGAZINE』の1991年11月号を買った。エピソードの興味深さはもちろん、水谷孝の言い回しや、言葉の間の取り方もカッコイイなと思い、しびれ、ネットにはいつもいろいろ検索させてもらってるばかりなので、書き写してアップすることにした。 『裸のラリーズをもっと』というタイトルの6ページに渡る記事。 冒頭2ページは、湯浅学の言葉で、裸のラリーズの音楽性や歴史について、また

    水谷孝×湯浅学ファクシミリ交信-1991 | 血ブログ
  • 梅阪鶯里のこと | 血ブログ

    俺は梅阪鶯里についてほとんど何も知らない。 2年前ぐらいに横浜美術館で「セザンヌ主義」っていう展示があって見に行った時に、ついでに常設展か何かで見た写真がいいなーと思ってメモってた名前が「梅阪鶯里」で、ネットで調べたけど、 ”1900-1965大正-昭和時代の写真家。 明治33年3月7日生まれ。株式仲買業のかたわら,大正9年浪華写真倶楽部(クラブ)に入会。11年天弓会同人。15年第1回日写真美術展で「夜網」が推薦となる。昭和3年安井仲治らと銀鈴社を結成。風景や植物をテーマとするゴム印画作品がおおい。昭和40年3月23日死去。65歳。大阪出身。明星中学(現明星高)卒。名は梅吉。” と、このページに書いてあるのと、何枚かの写真が東京都写真美術館に収蔵されてることが分かっただけで、そこには2点のちっこい画像がアップされてて けし っていう。(元ページはここ) もちろん、今これをみても美術館で

    梅阪鶯里のこと | 血ブログ
  • 1