タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

blogとphilosophyに関するhyougenのブックマーク (4)

  • ララビアータ:田島正樹(哲学者)

    尹大統領による非常戒厳令布告のニュースは我々を驚かせたが、韓国人民と韓国国会の勇気ある決断によって、完全に阻止された。我々は、過去数十年にわたる韓国人民の民主化の苦闘の成果がここに結実したことをまざまざと実感し、その壮挙と英慮を称えたいと思う。ことに、ただちに国会に結集して身を挺して憲法の大義を守った190名の国会議員全体と、与野党一致して戒厳令の暴挙を許さなかった彼らの愛国的行動に、心から敬意を表したい。もちろん、ニュースを聞きつけて国会前に駆け付けた市民、また上官の命令に従わず憲法の大義に準拠した国軍兵士の力も大きい。彼らすべての心に、この数十年にわたる民主化闘争の歴史が刻まれているからこそ、かかる非常事態においても決然とした行動がとれたに違いない。 もしこのように勇気ある素早い終息ができなかった場合、最近の安全保障事情の流動化の中において、国内外における危険や損害は計り知れないものと

  • http://homepage3.nifty.com/thinkers/

  • 宇波彰現代哲学研究所

    小説『つがいをいきる』の中で、著者の松井久子氏は様々なテーマを語っている。恋愛、家族、晩年、アイデンティティ、ジェンダー、時代精神、民主主義、生命、死…。もちろん、こうした問題すべてをこのテクストの中で語ることはできない。ここでは『つがいをいきる』の主人公である多華子とマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の登場人物の一人であるスワンとの比較を通して、他者、アルテル・エゴ、対話という分析装置を中心に置きながら、前述したテーマの中で、晩年、アイデンティティ、家族という問題について語っていきたいと考えている。 しかしながら、この問題を考察していく前に、何故多華子とスワンとを比較するのかという点に関して述べる必要がある。それぞれの小説で大きな役割を担っている二人ではあるが、この二人はあまりにも異なる人生を送っている。時代背景も、生活している場所も、性別も性格も嗜好性もまったく異なっている。

  • だらだら日記

    なんと岡太郎はパリであのコジェーヴのヘーゲル精神現象学の講義に参加していたというのだ。 コジェーヴの思想は「ヘーゲル読解入門」として訳されているが、歴史の終わりには弁証法は正と反が止揚せずに、矛盾が矛盾のまま対立し引き裂かれた状態になると言ってよかろう。 バタイユにも影響を与えたこの解釈を太郎が知っていて、あの対極主義を唱えたのではないか、というのがこの展覧会の主張の一つだ。 川崎市岡太郎美術館「岡太郎の絵画」だ。 現存する太郎のもっとも古い絵画、慶応義塾の13歳のときの「敗惨の嘆き」から18-29歳のパリ留学時代の影響を受けた芸術家たちの作品、万博の時代を経て建築へ、そして太郎千恵蔵という人とのコラボレートと大回顧展だ。カタログをみると後期は横尾忠則とのコラボレートがあるようだ。 さて画家の涙とは具体的にはパリ留学時代に二回涙したことがあると、太郎自身エッセイ、絵の前で泣

  • 1