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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (2)

  • 同質性の上の多様性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近考えてるのは、同質性についてのこと。これはKY関連に通奏低音のように響くものだから。そこから引き続いて頭の中で鳴っている。 人間は同質性の中に安定を見いだす存在である、のじゃないか、というところまではなんとなく分かってきた。 多様性の尊重は個々の人間を過ごしやすくしてくれるけれど、その基盤には同質性があって、すべての同質性が失われると(それはまずあり得ないことだが)極めて不安定な状態になり、結果的に多様性を認容できなくなり、強固な同質性への回帰が起こるのではないか、と。 しかし、同質性が強ければ、やはりその同質グループ内での個々の人間の異なる部分が目立ってきて、やがて多様性尊重への牽引力が強くなる。 結局、そんな感じで、それぞれからの引力の釣り合うあたりで、同質性への引力ベクトルと多様性への引力ベクトルがそれぞれの方向へ綱引きしあい、あちらへ動き、またこちらへ動き、と細かい動きを繰り返

    同質性の上の多様性 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 良い夫よりいい加減な夫のほうがいい - 深く考えないで捨てるように書く、また

    良き夫になろうと思っている。 「良い夫」になろうとしなくてもいいのに。 育児*1で煮詰まっている奥さんが望んでいるのは、家事を手伝ってくれる「良い夫」では決してないと思う。 特にこの時期の育児というのは、端から見るよりもずっと親人たちの閉塞感や被拘束感は強い。常に心理的に子に搾取され続け、その見返りは子から何も得られないに等しいからだ。そして、そのような被搾取感は、通常、自分が親となるまでは経験したことがない。 (何を搾取されるのか。それに関してはいい表現が見つからない。とにかく、時間、気力、自由、思考、全てを搾取される。親自身のために使うことを許してくれない、としか言いようがない。) しかし、現に子がいる以上、その搾取から逃れる方法はない。 物理的に家事ができないなんてことは、それに比べれば取るに足りない悩みだ。 一方、この文を書いた人の気持ちもわかる気がする。 憔悴するのためによか

    良い夫よりいい加減な夫のほうがいい - 深く考えないで捨てるように書く、また
    ichan
    ichan 2007/01/29
    なんでもいい。お気に入りの本屋に寄り道。喫茶店でコーヒー一杯。車通勤なら軽くドライブ。そうやって自分の時間を作って、そこで得た心の余裕を、帰宅してから少し奥さんに分けてあげるといい。
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