タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/mit_sloan (3)

  • 初期の無名のGoogleがどうやって世界中の天才を集めたか - My Life After MIT Sloan

    今日は、韓国人のクラスメートのWが我が家に遊びに来た。 彼は、先学期のクラスで私のチームメートでもあった戦友。 某一流投資銀行を経て、ケンブリッジ大学で博士号を取り、うちのコンサルのロンドンオフィスへ。 その後、韓国に戻って携帯アプリの会社を立ち上げ、IPOした後、ベンチャーキャピタルを自分で立ち上げた人。 一言で言えば、一般的なMBA生が卒業したらなりたいものを、全てやってきたような人。 私としては、彼に会うと常に面白い話のネタをくれるので、話すのは当に楽しい。 Wは「外でべよう」と言っていたらしいが、ルームメートのYEが、「うちに遊びに来てよ」と無理やり誘ったらしい。 しかし、彼女は自分では料理を作らんので、私に何か作ってくれという。 取り急ぎビーフカレーを準備。 しかし、カレーだって出来るのに1時間はかかる。 作り始めて10分くらいしてから、 「え、そんなに時間かかるの?でもWK

    初期の無名のGoogleがどうやって世界中の天才を集めたか - My Life After MIT Sloan
    igrep
    igrep 2011/12/28
    想像以上にシンプルね。"Larry Pageは、自分のいたスタンフォード大学の計算機科学の教授を5人、相談役として雇う。その教授のネットワークで、「これは天才だ」という学生を見つける。"
  • 日本のソフトウェア産業は「製造業」 - My Life After MIT Sloan

    これは、MIT SloanのCusumano先生がでも授業でもよく言ってる話。 面白いから忘れないうちに書き記しておく。 Cusumano先生は、Microsoft SecretやPlatform Leadershipで有名なソフトウェアビジネスの研究者。 日の企業研究も色々されているし、一橋大学のビジネススクールで何年か教えてらしたりした日通でもある。 そのCusumano先生が、ソフトウェア産業への取り組み方を比較して、こんなことを言っていた。 Europe: Software as a science -ヨーロッパにとってソフトウェアは「科学」 Japan: Software as production -日のソフトウェアは「製造業」 India: Software as a service -インドのソフトウェア産業は「(プロフェッショナル)サービス」 U.S.: Soft

    igrep
    igrep 2011/04/11
    "Europe: Software as a science", "Japan: Software as production", "India: Software as a service", "U.S.: Software as a business"
  • 明治時代からグローバルなニーズを捉えて成功した日本の工業生産 - My Life After MIT Sloan

    今週は私は休暇で、論文のようなものを家に缶詰になって執筆している。 その過程で面白い話を見つけたのでご紹介。 日ブランドの工業生産の輸出は、戦後のイトヘン・カネヘンとか、ソニーのトランジスタラジオやトヨタの車などで始まったイメージの人も多いかもしれないが、実は戦前からかなり盛んに日ブランドの構築と輸出が行われていた。 その一つが、生糸(絹糸になる前段階の糸。これを撚ることで絹糸が出来る)の輸出である。 明治政府の「殖産興業」の政策の一つは、「貿易による外貨獲得」であった。 1868年(安政5年)に開国した日が当時輸出できるものといえば、農産品の生糸と緑茶くらいだった。 が、緑茶の方は当時のグローバル市場ではインドの紅茶に徐々に敗退しつつあった(参考)。 生糸は、次第に農業器具の改善が進んで手工業化が進んでいた農村で農婦が繭から糸車などを使って生産するものだ。(日史でやったでしょ?)

  • 1