内発的動機づけについて読みたいと思っていたが、まさか「いつわりの自己」について言及されているとは思わなかった。 わたしは労働や企業のやらされ感、強制にひじょうに抵抗感を感じていて、その反抗と逃走に人生の多くを費やしてきた気がするのだが、その意味を読み解くには、エドワード・デシの主張する内発的動機づけと外発的動機づけがひじょうに役に立つ概念だと目をつけた。 企業のやらされ感は、自分の人生を生きている、自分らしく生きられているとは、まったく思えないのだ。どうすればこの不毛な倦怠感から逃れられるのか、内発的動機付けの第一人者にそのヒントをもらいたかった。 エドワード・デシのいう外発的動機付けによる「いつわりの自己」は、わたしの問いの答えになるのだろうか。 デシのいういつわりの自己は、親や世間の期待に応えるうちにしだいに自分の欲していること、望んでいることがわからなくなり、富や名声、所有のようなわ