別名:荷沢峠 現在は、住田町と遠野市の境にあり、現在の国道107号線にあり、住田町と遠野市の境界になっている。江戸時代はこの峠が、仙台伊達藩と盛岡南部藩の藩境となっており、現在は住田町と遠野市の境界になっている。 かつては盛街道と呼ばれ、水沢から大船渡に抜ける脇街道の往還路だった。水沢から北上川を渡り、岩谷堂、人首の宿場を経由し、種山の物見山を越えて箕輪山を経て気仙郡に入り、世田米宿から白石峠を越えて盛宿へと通じる。 千数百年前に胆沢城が築かれ、陸奥国が朝廷により征討された頃に切り開かれ、塩や海産物を運んで政府軍の兵士を養った道でもある。 この峠で戦国期後期、南部氏を後ろ盾にした平清水氏ら遠野勢と、伊達氏を後ろ盾にした阿曽沼氏ら気仙勢が戦った。 阿曽沼氏は戦国期には遠野十二郷の領主だったが、奥州仕置の結果領地は没収され、南部氏の被官とされた。しかし、遠野は伊達の勢力圏と接していたため、それ
『復旧・復興に向けた取り組み』や『生活関連情報』,『観光資源の状況』といった地元情報等を発信していきます! 今回、近いところに大規模な風力発電施設があることを知り、紅葉と温泉を楽しみに出かけてきました。 この風力発電施設は「釜石広域ウィンドファーム」といい、広大な敷地に43基の風車が林立しています。釜石というと海沿いをイメージしますが、場所は釜石、遠野、大槌の境で内陸奥地なのです。 ルートは、源義経が平泉から兄頼朝の追討を逃れ、三陸沿岸を北上して北海道へと渡ったとされる「義経北行伝説」のコースを辿ります。義経は平泉を出て、束稲山から種山高原を抜けて遠野へ、そして大槌へと出たとのことで、義経ゆかりの峠を尋ねながらウィンドファームを目指していきます。 「義経北行伝説」ドライブガイドには、義経ゆかりの峠として種山高原の「姥石峠」、住田の「赤羽根峠」、そして大槌街道の「笛吹峠」が標記されています。
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