残骸の中から、白い手が一度だけ振られた。「ピカッ」とリングの指輪が光る。僕らは一目散に駆け出した。当時パーサーだった落合由美さんのダイヤリングだった。紺に白の水玉模様のワンピースが今も記憶に残る。 1985年8月12日の日航機墜落事故から、いつのまにか37年の歳月が流れようとしている。当時、僕は新潮社『FOCUS』誌の契約カメラマンとして、生存者のいる事故現場にいち早く到着した。31歳だった。今でもいろんな出来事が脳裏をかすめる。御巣鷹山事故JAL123便は記録写真から記憶写真という世界に突入してさらに時間を重ねてきた。 僕ももう70歳に近い、ありがたいことに確かに間違いなく時間が癒してくれている。当時、いち早く現場に到着したものの、相棒の記者と2人だけの報道陣が生存者も発見して右往左往している姿は惨状をどう的確に伝えたら良いか。実はファインダーにある光景を切り取っていった記憶も断片的に薄
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