ひぐらしがダメなら乱歩とか横溝なんてエロやグロの極致じゃない。 ちょっとでも「あれを真似した事件」と報道されたら店頭から回収されちゃうかもね。 標的がずっとサブカルに留まるか、わかったもんじゃないよ。
ひぐらしがダメなら乱歩とか横溝なんてエロやグロの極致じゃない。 ちょっとでも「あれを真似した事件」と報道されたら店頭から回収されちゃうかもね。 標的がずっとサブカルに留まるか、わかったもんじゃないよ。
以前,ニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』 - WebLab.otaで,組曲『ニコニコ動画』を取り上げて,”オープンソースの概念を導入した創作活動”では,作品が急速な広がり方を見せる事や,アイディアの連鎖反応が頻発し,反応の前と後では全く違った作品になる事や,新しい楽しみ方が次々と発見される事を紹介した. しかし,この考察は作品を”楽しむ側・作品を作る側”の視点であり,ビジネスモデルとしてイノベーションを引き起こすほど,革新的なものではなかった.(ニコニコ市場なんかで売り上げが伸びるかもしれないけれど) そこで今回は,このオープンソースの概念を導入した創作活動を,ビジネスとして利用できないのか?といったことを,ニコニコ動画で絶大なる人気を誇っている”アイドルマスター”に着目しながら,考えて行きたい. 楽しみ方を作り出す アイドルマスターは,ニコニコ動画でのオー
The artists can register to an optional program that will enable them to earn a share of the global advertising revenue on Jamendo which is based on their number of page views. This program was in beta phase from January to March 2007. The goal was to receive feedback from the artists to improve the revenue share system.
大学でこないだ、「クリエイティブな仕事には4段階ある」という話をした。 マンガやアニメにかかわる仕事を「お金」という切り口から定義したものだ。 業界の定説ではないし、こういう定義づけをしている人は他にいない。僕だけが言ってる意見なので、内容についての当否はそれぞれが考察すること。 「クリエイティブな仕事」には4つの段階がある。 第1段階は「才能労働者」。工員や職人と同じく、働いた時間分や出来高だけお金をもらう。「才能」を使うけど内実は労働者と同じ。 アニメーターやマンガ家のアシスタント、といえばイメージできるだろうか。無記名ライターなどもこれに含まれる。 作ったものに自分の権利はなく、そのかわり責任もそれなりに軽いし仕事仲間もできやすい。 「才能労働者」が進化すると第2段階の「クリエイター」になる。作った作品の権利(一部または全部)を持つ人。 作品の内容に決定権を持ち、「働いた時間分」では
島国大和のド畜生 「ドラえもん2.0に透けるコンテンツ化」 妙に反動的な事を書いてらっしゃるなあ、というのが第一印象。 2.0云々などとよくわからない事を書いておられますが、子供向けの作品ではこの手の「読者からのアイデアを募集」「そして作品に登場」なんて企画はよくある話でしょうに。 ボクがコロコロでドラえもんを読んでいた子供の頃にも、誌面でこういう募集はあったような気がします(アイデア募集→発表で終わっていたか、作品に登場までやっていたかは記憶があいまい)。子供心にハガキを書いた記憶が。いや、もう昔の事なんで、別の作品と勘違いしてるかもしれませんが・・・・。マンガでなくとも、ゲームだって、ファミコンの頃にはゲーム専門誌でアイデア募集というのは、割とよくやっていたはず。 そこにヤフーが絡んでくるあたりが現代的といえば現代的かもしれませんね。 子供が楽しめれば、それでいいんじゃないのかな。まぁ
OpenBSD Release Songs Every 6 months the OpenBSD project has the pleasure to release our software with artwork and a matching song. Theo and some other developers mutate a theme (from a classical setting, a movie, or some genre) into the fishy world of Puffy, to describe some advance, event or controversy the project went through over the previous six months. To match the art released with the his
私はそれっぽいモノが嫌いだ。それっぽいモノが許せない。それっぽいモノの定義とはすでにあるモノの知名度やオリジナリティを流用して、かたちだけなぞった粗悪品のことだ。劣化コピーといって切り捨てても良い。そういうものを「良し」とする精神は批判されてしかりだ。仲間内だけで盛り上がっていたりする分にはいい。しかし、それがひとたび商業ベースに乗った場合、どうだろう。プロとしての覚悟も形成されぬまま、それっぽいモノとして甘受され続けるのか。それはあまりにも消費者をバカにしてやしないか。消費者はバカにされているとも気がつかないまま、仲間内の馴れ合いよろしくオモシロイヨネーとうんうん言ってる低レベルさなのか。カラオケで唄う友達に金を払うようなものだ。払っちゃったら友達じゃない。払っちゃダメ!もし、うっかり一回、払っちゃっても納得いかないなら払い続けちゃダメ! 受け手にプライドはないのか。 作り手にプライドは
N次創作としての神話 ゆらぎの神話 ポータル 魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (1) 魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (2) 魔王14歳の幸福な電波 - ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (3) ここで神話は、創作に対する「元ネタ」としてのデータベースであるとみなすことができます。 要は、「原作」という概念が存在せず、著作権的なあれこれに気を遣わなくて済み、なおかつ多数の人が参加できるシステムを用意してあげればいいのです。 たとえばWeb全体で共有するスタンダードな世界観としての神話的データベースを想定してみるのはどうかなー、という提案 太古の神話と現代の二次創作は実は同じネオエクスデス構造(またはピカソのように矛盾した平面が一枚の絵になる構造)を有すると捉えて、ならばW
2006年05月31日00:30 カテゴリValue 2.0 サルにも描けるオリジナル絵画入門 さらに追い打ちをかけると、こうなります。 FIFTH EDITION: 創作の手法、パクリの手法 「オリジナリティ」は、人間はもっていません。それは人の手に余るものです。それを追い求めようとしても無駄だと思っています。 人間は、オリジナルを理解することすら出来ない。 Paint 「オリジナル」を、「既存の作品の組み合わせに還元できないもの」と解釈すると、そうなってしまいます。 オリジナルな絵が欲しければ、←のボタンをクリックすれば、いくらでも描いてくれます(ブラウザによっては時間がかかるかも)。 見てのとおり、電脳の方がずっとオリジナルな作品の製作に長けているのです。あるいは、タイプライターの前に座ったサルの方が。 実は宇宙ですら「オリジナル」ではありません、一定の法則があります。それを物理と称
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