25周年を迎えたJリーグの歴史のなかで、イビチャ・オシム氏の果たした役割は大きかっただろう。 ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の名将は2003年に来日し、当時低迷していたジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に就任。「人もボールも動くサッカー」というキーワードを掲げ、市原(千葉)を優勝争いのできるチームへと大きく変貌させた。 2005年にはリーグカップを制し、翌2006年には日本代表監督に就任。俊敏で勤勉な日本人の良さを生かすためのサッカーを求めるも、2007年に病に倒れ、志半ばで代表監督を退いている。 会見などで語られた含蓄のある言葉の数々は「オシム語録」として注目を集め、多くのサッカー関係者に影響を与えた。現在は、ヨーロッパの地に戻り、故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボと自宅のあるオーストリア第二の都市グラーツを行き来しながら暮らしている。競技の第一線からは退いてはいるものの、今
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