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ショート・ショートの代名詞的存在である作家、星新一。彼の作品は、教科書にも載るほどの人気と知名度を持っています。 そんな星作品の漫画化という、ありそうでなかった企画がこの二冊『午後の恐竜』と『空への門』(ともに秋田書店刊)です。どちらも、複数の漫画家が、それぞれ短篇やショート・ショートを漫画化するという競作の形をとっています。 まずはそれぞれの収録内容を紹介しましょう。 『午後の恐竜』 『ボッコちゃん』JUN 『金色のピン』川口まどか 『天使考』木々 『殺し屋ですのよ』かずはしとも 『おーい、でてこーい』鯖玉弓 『午後の恐竜』白井裕子 『現代の人生』有田景 『生活維持省』志村貴子 『夜の事件』小田ひで次 『箱』小田ひで次 『空への門』 『空への門』鬼頭莫宏 『鏡』羽央 『患者』東山むつき 『冬の蝶』阿部潤 『処刑』阿部潤 『程度の問題』人見茜 『宿命』川口まどか 『ゆきとどいた生活』鈴木志
いくら必死にたくさんの 石を海に投げたところで なにも変わって見えはしない それでも 来る日も来る日も 投げ続けてきた 僕にはそれしかなかった いくら力いっぱい大きな 石を海に投げたところで なにも変わって見えはしない それでも 来る日も来る日も 投げ続けてきた 僕にはそれしかなかった むなしさが襲う イッタイナンノイミガアルトイウノカ とうとう僕は投げるのをやめた どれくらい経っただろうか あれ以来足を運ぶこともなかった あの海はまだ変わらないままだろうか あの頃のように石を手に取り 庭の池に投げてみる 石は沈んですぐにまた見えなくなった だが水面には波紋が広がっていた そうか 穏やかなところでは 変化はしっかり見えるのか ※2005/04/19 0:45初出
秒速5センチメートル 通常版出版社/メーカー: コミックス・ウェーブ・フィルム発売日: 2007/07/19メディア: DVD !CATION! 以下、初っ端から『秒速5センチメートル』の結末についての言及があります。平たく言えばネタバレです。もしもこの作品をまだ観ていなくて、かつ楽しみたいという方は、以下の文章を読まないことをオススメします。 ■奇跡の否定 新海誠はこの作品で奇跡を否定した。 物語の結末、山崎まさよしの「One more time, One more chance」が流れる中、通過する電車の向こう、確かにすれ違った彼女の姿は、しかし、すべての電車が通過し終わった後にはもう、残されていなかった。『雲のむこう、約束の場所』のご都合主義的なエンディングは、この『秒速5センチメートル』では果たされなかった。もちろん、ある程度の予想はしていた。本作は、『ほしのこえ』や『雲のむこう
主に、村上龍、保坂和志、村上春樹、阿部和重、舞城王太郎、いしいしんじ、水村美苗が取り上げられ、山田詠美、高橋源一郎、金原ひとみ、角田光代、生田紗代、吉田修一、藤沢周平、佐川光晴、森絵都、玄月などにも言及している、まさに現代小説と呼ばれるであろう作家たちを紹介している。 「近代小説・純文学」を「エンターテイメント化」したものとしての「現代小説」の紹介、ということになる。 ここでいう「エンターテイメント化」とは、「近代小説・純文学」がもっている「かったるさ」を消去することである。 基本的には「文体」に注目した批評がなされていく。 そういうわけで、作家たちがどのような技巧を使っているのか、ということはよく分かるのだが、それが果たして「現代小説」というものにとって重要なのかどうか、ということはよく分からない。 というのも、例えば「ゲーム的リアリズム」というのは、妥当かどうかはさておき、事実だとすれ
ちょうど二十歳になる直前のぎりぎりのところで、私は、ドストエフスキーの最後の長編小説群を『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』の順 ── これは書かれた順・制作順でもあります ── で読み、この体験はそれから四半世紀を過ぎようとするいまもなお太く強く尾を引いています(この順で読んだのには、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』の影響があるだろうと思います。『悪霊』の次に書かれた『未成年』はいまだに読んでいないんです。それはともかく、「いまもなお太く強く尾をひいてい」ることがすべてよいなんてふうには私は考えてはいません。よくなかったこともある。それでもそうなっちゃったんですよね)。 ドストエフスキーは死ぬまで上昇しつづけた稀有な作家 ── ほとんどの作家はやはりそれぞれの生前のある時期にピークを迎えてしまい、その後はどうしても下降してしまうんです ── だと私は思っていて、私
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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最近増えてきた空気や男女の話から。 「空気嫁」にしろ「なにもわかってない」にしろ「理屈っぽい人は」にしろ、それは結局のところ「お前の言った事が気に食わない」であって、その原因だとか理由は隠されていたり曖昧だったりよくわからない。 もし、言われた者が悪意を持っておらず、むしろ善意を持っていたなら、「相手の気持ちを考えて」なんとかしようとするだろう。 なんとかしよう、だが原因も理由もわからなかったり曖昧だ。ならどうするか。相手に「気に食わないこと」を言ってしまったものは取り消せない。相手に「気に食わない」と言われたことも取り消せない。 ならば、言われた人は、言った人のために「それ以降一切言わない」という選択肢を取るだろう。 こうして、善意の人は「言う」という選択肢をだんだんと奪われていく。そうなってしまうと、次に待っているのは「コミュニケーション能力がない」だ。それはつまり「(私が是とするもの
※投稿時の注意! ・ネタはweb、その他(雑誌など)で使用させていただく場合があります。 ・ホームページをお持ちの方はご記入下さい。掲載時にリンクさせていただきます。 ・文章は掲載時にこちらで変更を加える場合があります。 ・同じネタがかぶった場合、早かった方のお名前だけを乗せております。ご了承下さい。 ・ご自身で考えたネタをご投稿下さいね。 ※投稿作品の掲載率を上げるポイント! ・基本的に、笑えるものを集めております。 ・一語だけ誤変換のもの(世界征服→世界制服)よりも、長い文章の方が乗せやすいです。 ・変換する文節が変わるものはめずらしいため、掲載しやすいです。 (感動 した?! → 管 どうした?!) ・変換後に、意味が逆転したり、変換前と繋がりがあるとさらに乗せやすいです。 (関根ツトム→赤熱トム) 誤変換後も人の名前!! ・元ネタが万人にわからないもの(「僕の見た秩序→僕のみ太刀通
パートのA子から欠勤の連絡。悪徳金融業者のワナにハマったか、と心配した。寝込んでいるというので帰りに見舞いに寄った。『正直に言うのも恥ずかしくて悩んでいるうちに変換ミス。でもこれって何となくありそうで,同情もしてもらえそうと思ったからそのままにしておいた』。と言う。貧乏人を相手にするわけないからおかしいとは思っていたけれど・・・。
「リアリズムとリアリティ」のつづき。 リアリティという言葉を、伊藤剛にならって、「現前性」と「もっともらしさ」に分類した。 大抵、リアリティという語が使われるときは、「もっともらしさ」についてのことが多いが、フィクションについて考察するのであれば、「現前性」について考えることはより重要であるように思われる*1。 伊藤剛は、単なる絵が「現前性」を獲得するにおいて、「キャラ」というものの機能に着目したが、それだけではなく「フレームの不確定性」とその抑圧についても考察している。 また、その抑圧と抑圧の解除を、マンガのモダンとマンガのポストモダンとも呼んでいる。 ここでは、より広い見地から、フィクション表現のモダンとポストモダンについて考えてみたい。 「鏡」のように現実を写し出すメディア 東は「まんが・アニメ的リアリズム」(および「ゲーム的リアリズム」)に基づいた作品の特徴として「半透明性」という
黒猫白猫 [DVD] 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン発売日: 2004/09/17メディア: DVD クリック: 24回この商品を含むブログ (72件) を見るエミール・クストリッツァ監督の結婚騒動コメディ『黒猫・白猫』を見ていたのだけど、何となく「ガルシア・マルケスの小説みたいだなあ」と思った。クストリッツァは『パパは出張中!』『アンダーグラウンド』で有名なセルビアの監督であり、マルケスはコロンビアの小説家である。セルビアとコロンビア。直接何の関係もない。なぜ、私は『黒猫・白猫』をマルケスのようだと思ったのだろう。あれこれと考えてみたけれども、どうもそれはクストリッツァの映画もマルケスの小説も、登場人物の心理を事細かに描いていないということが理由なのだと思う。 『黒猫・白猫』の登場人物たちの内面描写というものはほとんど存在しない。この喜劇的な映画は
黒猫白猫 [DVD] 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン発売日: 2004/09/17メディア: DVD クリック: 24回この商品を含むブログ (72件) を見るエミール・クストリッツァ監督の結婚騒動コメディ『黒猫・白猫』を見ていたのだけど、何となく「ガルシア・マルケスの小説みたいだなあ」と思った。クストリッツァは『パパは出張中!』『アンダーグラウンド』で有名なセルビアの監督であり、マルケスはコロンビアの小説家である。セルビアとコロンビア。直接何の関係もない。なぜ、私は『黒猫・白猫』をマルケスのようだと思ったのだろう。あれこれと考えてみたけれども、どうもそれはクストリッツァの映画もマルケスの小説も、登場人物の心理を事細かに描いていないということが理由なのだと思う。 『黒猫・白猫』の登場人物たちの内面描写というものはほとんど存在しない。この喜劇的な映画は
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