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2010年12月1日のブックマーク (30件)

  • ケイト・グリーナウェイ - Wikipedia

    1885年に描かれたグリーナウェイの作品。右側の男の子はスケルトン・スーツを着用している。 ケイト・グリーナウェイ (Kate Greenaway) ことキャサリン・グリーナウェイ(Catherine Greenaway, 1846年3月17日 - 1901年11月6日)は、イギリスのヴィクトリア朝時代に活躍したラファエル前派の画家である。児童書の挿絵で知られる。 彼女が描く子どもたちは、男の子はスモック・フロックやスケルトン・スーツ英語版)[1]、女の子はボンネットやモブキャップ・ストロー・ボンネットの付いたハイウエストのピナフォア、ドレスなどを身に着けていた。ケイトが描いたこれらの服は、リバティ百貨店が実際の子ども服のデザインとして採用し、「グリーナウェイ・スタイル」と呼ばれて一つのブームとなった。 1858年から1871年にかけて、フィンズベリー美術学校、サウス・ケンジントン美術学

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  • ウォルター・クレイン - Wikipedia

    ウォルター・クレイン(Walter Crane, 1845年8月15日 - 1915年3月14日)は、イギリスの芸術家である。絵画、イラストレーション、児童書、陶磁器タイル、その他多くの装飾芸術を制作し、アーツ・アンド・クラフツに深く関わった。 前半生と影響[編集] 「美しい星の王女(英語版)」(Princess Belle-Etoile、1834年)[1] ウォルター・クレインは細密肖像画家のトーマス・クレインの次男としてリヴァプールに生まれた。早くからラファエル前派の影響を受けており、ジョン・ラスキンの信望者であった。13歳の時に著名な彫版師ウィリアム・ジェイムズ・リントンに弟子入りし、3年間工房で働いた。14歳のときにはテニスンの『シャロットの姫』のカラーページを手がけ師の認可を得ている。この工房で彼は同時代のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレー、ジョン・テ

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  • ランドルフ・コールデコット - Wikipedia

    ランドルフ・コールデコット(Randolph Caldecott, 1846年3月22日 - 1886年2月12日)はイギリスのイラストレーター、美術家。ユーモラスで温かい資質が手伝い、独創的かつ多作のイラストレーターとして名声をあげた[1]。 略歴[編集] イングランド北西部のチェスターの会計士の息子に生まれた。学校を卒業した後、シュロップシャーの銀行の支社に入社し、6年後にマンチェスターの店に移り、マンチェスターの美術学校の夜間のコースで絵を学んだ。勤務のかたわら雑誌や新聞に挿絵を寄稿することから出発し、26歳になった1872年に銀行を辞めて、ロンドンに移り、イラストレーターとなった。ロンドンでは短期間、スレード美術学校でも学んだ。1870年代の末から彫版師エドマンド・エヴァンズとともに制作した16冊の子ども向け絵はコールデコットの代表作となった。1880年に結婚した。病気がちであ

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  • 小川未明 - Wikipedia

    小川 未明(おがわ みめい、1882年〈明治15年〉4月7日 - 1961年〈昭和36年〉5月11日)は、小説家・児童文学作家。名は小川 健作(おがわ けんさく)。「日のアンデルセン」「日児童文学の父」と呼ばれ、浜田広介と坪田譲治と並んで「児童文学界の三種の神器」と評された[1]。娘の岡上鈴江も児童文学者。 「未明」という雅号は小川の師である坪内逍遥が付けたもので、正しくは「びめい」と読む[2]。 来歴[編集] 新潟県高田五分一町(現:上越市幸町)に生まれる[3]。父、澄晴はかつては修験者であった。上杉謙信の熱烈な崇拝者でもあった澄晴は、春日山神社を創建するため奔走した[4]。未明自身15歳頃から20歳頃まで春日山神社境内の住居に住んでいた[5]。 旧制高田中学(現:新潟県立高田高等学校)、東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業、坪内逍遙や島村抱月から指

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  • 神曲 ダンテ・アリギエーリ - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2009年6月) 題名に La Divina が付け加えられた最初の版の表紙 (1555年) 神曲の初版(1472年4月11日発行) Comencia la Comedia, 1472 『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)は、13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。 地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る[1]、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書か

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  • カンタベリー物語 ジェフリー・チョーサー - Wikipedia

    4月、チョーサーはカンタベリー大聖堂への巡礼を思い立ち、ロンドンのサザーク(Southwark)にある「陣羽織(Tabard Inn)」という宿屋[注釈 2]に泊まっている。そこに、聖職者・貴族・平民と雑多な構成の巡礼団がやってくる。チョーサーと宿屋の主人も仲間に加わり一緒に旅することになる。この時、宿屋の主人ハリー・ベイリー(Harry Bailey)がある提案をする。旅の途中、全員が2つずつ面白い話をし、誰の話が最高の出来か、競い合おうというのである。全員がそれに賛成し、宿を出発する。最初の語り手はクジで騎士に決まる。(858行) 騎士の話(The Knight's Tale)[編集] 【第一部】アテネ大公のセーセウスは女人国スキタイを滅ぼし、その女王イポリタと結婚、彼女とその妹エミリーを伴いアテネへと向かう。その帰途、テーベの支配者クレオンの暴虐を訴える黒衣の婦人らの訴えを聞き、テー

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  • エプタメロン - Wikipedia

    『エプタメロン』1894年版の挿し絵 『エプタメロン』(Heptaméron, 七日物語)は、フランス・ルネサンス期に王族のマルグリット・ド・ナヴァルによって執筆された72篇の短編から成る物語で、彼女の代表作である。表題から明らかな通り、ボッカッチョの『デカメロン』に触発されたものであり、同じように枠物語の形式を採っている。 構想と内容[編集] マルグリットはこの作品を1542年から執筆し始めた。来は『デカメロン』のように、1日毎に10話が語られる全10日の物語が構想されていたが、1549年に彼女が没したことによって途絶してしまった。完成を見たのは8日目の第2話までである。 多くの短編では愛、官能、不貞などが扱われており、ロマンティックな話や艶やかな話も含まれている。 初期の公刊[編集] この作品が最初に公刊されたのは、1558年のことである。この年にピエール・ボエスチュオーが『幸福な愛

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  • デカメロン(十日物語、人曲) ジョヴァンニ・ボッカッチョ - Wikipedia

    『デカメロン』(Decameron)は、ジョヴァンニ・ボッカッチョによる物語集。ダンテの『神曲』に対して、『人曲』とも呼ばれる。また、デカメロンはギリシャ語の「10日」(deka hemerai)に由来し、『十日物語』とも和訳される。1348年から1353年にかけて製作された[1]。サブタイトルは「ガレオット公爵」で、アーサー王物語においてランスロットの不倫の恋を仲立ちしたキャラクターの名前から取られている。 1348年に大流行したペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという趣向で、10人が10話ずつ語り、全100話からなる。内容はユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などで、それぞれ『千一夜物語』や『七賢者の書』から影響を受けている。チョーサーの『カンタベリー物語』やマルグリット・ド・ナヴァルの『エプタメロン』(七日物語)などに影響を

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  • ペンタメローネ(五日物語) ジャン・アレッシオ・アッパトゥーティス(ジャンバティスタ・バジーレ) - Wikipedia

    ペンタメローネ(ペンタメロン/五日物語・Pentamerone)は、17世紀初めにナポリ王国の軍人・詩人であったジャンバティスタ・バジーレがジャン・アレッシオ・アッパトゥーティス(Gian Alessio Abbattutis)という筆名を用いて執筆したナポリ方言で書かれた民話集。死後の1634年-36年に刊行された。 概要[編集] 正式な書名は、『物語のなかの物語、すなわち幼いものたちの楽しみの場』(Lo cunto de li cunti)であるが、この物語の体裁のモデルとなったジョヴァンニ・ボッカッチョの『十日物語』にちなんで『五日物語』すなわち『ペンタメローネ』と呼ばれるようになった。大の枠となる物語(枠物語)1話と1日分ごとに10の物語が5日分、合わせて全51話から成立している。枠物語と他の50話は一見すると、全く別の物語のように見えるが、実際には50話の語りと枠物語の展開が関

  • 千一日物語 - Wikipedia

    『千一日物語』(せんいちにちものがたり、仏: Les Mille et un Jours)は、1710年から1712年にかけてフランスで出版された物語集。作者はルイ14世時代の東洋学者、フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(フランス語版)(François Pétis de la Croix、1653年 - 1713年)。フランス語版のもとになった原テキストは失われている。よく知られている『トゥーランドット』は『千一日物語』の中の物語(「カラフ王子と中国の王女の物語」)を利用したものである。またアンデルセンの童話『飛ぶトランク』の原話は「マレクとシリン王女の物語」(『千一日物語』109日-115日)であるとされる。 『千一日物語』は枠物語の形式をとっており、物語の発端は同様の形式である『千一夜物語』と類似している。なお、1704年から1717年には『千一夜物語』がアントワーヌ・ガラン(Ant

  • Category:日本の説話集 - Wikipedia

    カテゴリ「日の説話集」にあるページ このカテゴリには 32 ページが含まれており、そのうち以下の 32 ページを表示しています。

  • Category:中国の説話集 - Wikipedia

    カテゴリ「中国の説話集」にあるページ このカテゴリには 34 ページが含まれており、そのうち以下の 34 ページを表示しています。

  • 千夜一夜物語 - Wikipedia

    シェヘラザードとシャフリヤール(フェルディナント・ケラー画 1880年) シャフリヤールに物語を語るシェヘラザード。インド生まれの英国人画家アーサー・ボイド・ホートン(1836 – 1875)の木版画[1]。 『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、ペルシャ語: هزار و یک شب‎, Hezār-o yek šab, 千一夜、アラビア語: ألف ليلة وليلة‎, Alf Laylah wa Laylah, 千一夜)は、イスラム世界の説話集。ペルシャの王に、毎夜、が物語を語る形式を採る[注釈 1]。枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。1704年にフランスで「千一夜」(フランス語: Les Mille et Une Nuits)として出版され、2年後、1706年にイングランドで英語版「アラビアンナイト・エンターテイメント」(英語: The Arabi

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  • イソップ寓話 - Wikipedia

    1867年に刊行されたタウンゼントの英訳 イソップ寓話(イソップぐうわ)は、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話。特に動物(下記を参照)、生活雑貨(例えば、瀬戸物と金物など)、自然現象(太陽と風)、様々な人々(旅人など)を主人公にしたものが有名で、イソップ物語・イソップ童話等と呼ばれることもある。 成立[編集] Aesopus moralisatus, 1485 ヘロドトスの『歴史』によると、紀元前6世紀にアイソーポス(イソップ)という奴隷がいて話を作ったとされるが、現在イソップ寓話に含められているものの中にイソップ人に由来することを実証できる作品はひとつもない[1]。 ベン・エドウィン・ペリーのモデルによると、イソップ寓話の形成には3つの段階が認められる。第1期にはいろいろな作家や弁論家が説得の手段として寓話を援用していた。ヘレニズム時代は第2期で、作家や弁論家に素材を提供す

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  • シャルル・ペロー - Wikipedia

    シャルル・ペロー肖像 シャルル・ペロー(Charles Perrault、1628年1月12日 - 1703年5月16日)は、フランスの詩人。アカデミー・フランセーズの会員。新旧論争の火付け役。『ペロー童話集』の作者として有名。 経歴[編集] 1628年にパリのブルジョワ階級の家庭に生まれる。1651年、オルレアン大学で法学の学位を取得し弁護士となるが、二度弁護しただけでその職に再び戻ることはなかった。1671年にはアカデミー・フランセーズ会員に選出される。コルベールに認められ、ルイ14世に仕えた。 新旧論争[編集] ペローが『ルイ大王の世紀』Le siècle de Louis le Grand(1687)で、「(オウィディウスやウェルギリウスなどの)古典文学よりも現代文学の方がすぐれている」と述べ、ボアローがそれと反対の趣旨で応えたことにより巻き起こった論争。 童話集[編集] 『韻文に

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  • グリム兄弟 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年4月) ハーナウのグリム兄弟像 グリム兄弟(グリムきょうだい、独: Brüder Grimm)は、19世紀にドイツで活躍した言語学者・文献学者・民話収集家・文学者の兄弟。日では、『グリム童話集』の編集者として知られる。 同じ両親から生まれた兄弟は全部で9人、幼くして死んだ者を除くと男5人、女1人の6人兄弟であったが、通常は後世にまで名を残した次男ヤーコプと三男ヴィルヘルムの二人を指す(今日では後述の六男ルートヴィッヒも含むこともある)。 多くをヤーコプとヴィルヘルムの兄弟として活躍したが、グリム童話集ではルートヴィヒも挿し絵を手がけている。 来歴[編集] ハーナウに生まれる。父は法律家のフィリップ・ヴィルヘルム・グリム(

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  • ハンス・クリスチャン・アンデルセン - Wikipedia

    ハンス・クリスチャン・アンデルセン(丁: Hans Christian Andersen、デンマーク語発音: [ˈhanˀs ˈkʁæsd̥jan ˈɑnɐsn̩](ハンス・クレステャン・アナスン)[1]、1805年4月2日 - 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家、詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersen(デンマーク語読みで "ホー・セー・アナスン" [hɔse ˈɑnɐsn̩]、英語読みで"ハンズ・クリスチャン・アンダーソン[注釈 1]")と呼ばれる。 アンデルセンの童話は子供から大人まで人気が高く、現在も多くの国で愛されている。 代表作は「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」など。約170の作品を遺している。 生涯[編集] 1805年4月2日、フュン島の都

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  • アストリッド・リンドグレーン - Wikipedia

    アストリッド・アンナ・エミリア・リンドグレーン(Astrid Anna Emilia Lindgren、スウェーデン語: [ˈǎsːtrɪd ˈlɪ̌ŋːɡreːn] ( 音声ファイル); 旧姓: エリクソン Ericsson; 1907年11月14日 - 2002年1月28日)は、スウェーデンのフィクション作家、児童書編集者、映画家であった[1]。長くつ下のピッピ、レンネビリヤのエーミル、やねのうえのカールソン、やかまし村の子どもたち、さわぎや通りのロッタが登場する児童書シリーズや、子ども向けファンタジー小説英語版)『ミオよ わたしのミオ』、『山賊のむすめローニャ』、『はるかな国の兄弟』で最もよく知られている。リンドグレーンはストックホルムにある出版社ラベン&シェーグレン(英語版)の児童文学編集委員会に従事した[2]。 リンドグレーンの著書は、世界の70か国語以上に翻訳され、100

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  • 荒井良二 - Wikipedia

    この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "荒井良二" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年4月) 荒井 良二(あらい りょうじ、1956年 - )は、日の絵作家。 略歴[編集] 山形県山形市に生まれる。日大学山形高等学校を経て日大学藝術学部美術学科卒業、1990年に処女作『MELODY』を発表し、絵を作り始める。また、ライブペインティングやワークショップ、自ら作詞・作曲しギターも演奏する音楽活動などもおこなっている。 主な作品[編集] ※ 主に

  • やまねこ翻訳クラブ:資料室:文学賞受賞作リスト目次

    ※資料室内のリストには、一部、更新を停止しているものがあります。リンク切れ等の可能性がありますがご了承ください。 資料室の情報はフリーキーワードで検索できます。検索はこちら ★世界の児童文学賞カレンダー★ ↑ ↑ (各賞の発表時期が一覧できます) 世界 / アメリカ / カナダ / アイルランド / イギリス / イタリア / オランダ / スウェーデン / スペインドイツ / オーストラリア / ニュージーランド / 日 / やまねこ

  • 世界の児童文学賞 : やまねこ翻訳クラブ

  • 「世界の児童文学賞ラリー」レビュー集 : やまねこ翻訳クラブ 10周年記念

    ・バチェルダー賞(アメリカ)を新規公開。国際アンデルセン賞、ドイツ児童文学賞、ケイト・グリーナウェイ賞、 コールデコット賞、ボストングローブ・ホーンブック賞、 産経児童出版文化賞に、レビューを追加しました。 ・やまねこ翻訳クラブ「世界の児童文学賞ラリー」企画は、2009年9月をもって、終了いたしました。 このレビュー集について 10周年記念「世界の児童文学賞ラリー」においてやまねこ会員が個々に書いたレビューを、各児童文学賞ごとにまとめました。メ ールマガジン「月刊児童文学翻訳」や「やまねこのおすすめ」などに掲載してきた〈やまねこ公式レビュー〉とは異なる、バラエティーあふれるレビューをお楽しみください。 なお、レビューは注記のある場合を除き、邦訳の出ている作品については邦訳を参照して、邦訳の出ていない作品については原作を参照して書かれています。 ◆「世界の児童文学賞ラリー」掲示板(会員限定)

  • 国際アンデルセン賞 - Wikipedia

    国際アンデルセン賞(こくさいアンデルセンしょう、英: Hans Christian Andersen Award)は、「児童文学への永続的な寄与」に対する表彰として贈られる国際的な賞[注釈 1]。「小さなノーベル賞」とも呼ばれるほどの影響力を持つ。賞の名称はデンマークの高名な児童文学者ハンス・クリスチャン・アンデルセンにちなむ。 国際児童図書評議会 (IBBY) によって隔年で授与される。第3回(1960年)まではひとつの作品へ対して授与されていたが、それ以降は作家の全業績を対象としている。現在は作家賞と画家賞の2部門が存在する。 また、賞に準じるものとして、世界各国の評議会によって選出された優秀な児童文学作品を掲載した「IBBYオナーリスト」[6]が隔年で公刊され、作家・画家・翻訳に対して表彰が行われている。 なお、1964年に国際児童図書評議会による図書『国際アンデルセン賞受賞画家絵

    国際アンデルセン賞 - Wikipedia
  • カーネギー賞 - Wikipedia

    カーネギー賞(The Carnegie Medal)は、イギリスの図書館協会(CILIP:Chartered Institute of Library and Information Professionals)から贈られる児童文学の賞である。鋼鉄王といわれたアンドリュー・カーネギーが図書館の発展に寄与した業績をたたえて、1937年に創設された。ピアソン慈善基金が後援している。2023年、カーネギー作家賞(Yoto Carnegie Medal for Writing)に名称が変更された。 対象作は前年にイギリスで出版された英文の児童書で、1968年まではイギリス国籍の作家のものに限られていたが、現在は海外の作品も最初に出版されてから3ヶ月以内にイギリスで出版されれば対象となる。同じイギリスの児童文学賞であるガーディアン賞は、対象がフィクションに限られ、一度受賞した作家の作品は対象外として

  • ガーディアン賞 - Wikipedia

    ガーディアン賞(Guardian Award)は、イギリス又は英語圏の著者によりイギリスで公表された優れた児童文学作品に与えられる賞である。 1967年から毎年賞が与えられている。 受賞作品・著者リスト[編集] 2016 en:Alex Wheatle, Crongton Knights 2015 デイヴィッド・アーモンド, en:A Song for Ella Grey 2014 en:Piers Torday, The Dark Wild 2013 レベッカ・ステッド(Rebecca Stead), Liar & Spy(『ウソつきとスパイ』) 2012 en:Frank Cottrell Boyce, The Unforgotten Coat 2011 Andy Mulligan, en:Return to Ribblestrop 2010 ミシェル・ペイヴァー(Michelle P

  • ニューベリー賞 - Wikipedia

    ジョン・ニューベリー賞(The John Newbery Medal)は、例年、アメリカ合衆国における最も優れた児童文学の著者に与えられる賞である。アメリカ図書館協会の下位組織であるAssociation for Library Service to Children(児童図書館協会)が運営している。1922年に開始された、世界で最も古い児童文学賞である[1]。名称は、18世紀の児童書出版者であるジョン・ニューベリー(英語版)にちなむ。ニューベリー賞のメダルはルネ・ポール・シャンベラン (Rene Paul Chambellan) がデザインし、フレデリック・G・メルヒャー(Frederic G. Melcher)が作成した(1921年)。裏面には男の子と女の子に自分の作品を読み聞かせる作家の図が描かれている。例年、受賞作の他に佳作(単数とは限らない)も選ばれる。 コールデコット賞とニュー

  • コールデコット賞 - Wikipedia

    コールデコット賞(コールデコットしょう、英: Caldecott Medal)またはコルデコット賞[1][2]は、アメリカ図書館協会の下部組織である児童図書館協会(英語版)(ALSC)が、アメリカ合衆国で前年に出版された最も優れた子ども向け絵に毎年授与している賞(メダル)である[3]。19世紀イギリスのイラストレーター、ランドルフ・コールデコットを記念して名付けられた[3]。ニューベリー賞と並んで、アメリカで最も権威のある児童書の賞である[要出典]。 画像外部リンク 『ジョン・ギルピンのゆかいなお話』(1878) 『6ペンスの唄をうたおう』(1880) コールデコット賞のメダルはRene Paul Chambellanによって1937年にデザインされた。表面は、ランドルフ・コールデコットが『ジョン・ギルピン(英語版)のゆかいなお話』のために描いた、ギルピンが暴走する馬に跨がっているイラス

    コールデコット賞 - Wikipedia
  • フェニックス賞 - Wikipedia

    フェニックス賞(フェニックスしょう、Phoenix Award)は、アメリカの児童文学協会(ChLA:Children's Literature Association)によって1985年に創設された文学賞のひとつ。受賞年の20年前に出版された作品を対象としている他に類を見ない賞である。 英語にて出版された原著作品のなかで、名だたる児童書は20年前の出版当時に主だった文学賞が授与されていない為、それらの作品に対し再評価の意味をこめて毎年贈られている賞である。最優秀賞は基的に1作品、そのほか栄誉賞としてのオナー(Honor Book)があり、受賞作品数はその年によって違いオナー賞のない年もある。 2010年、ChLAは新たに『フェニックス絵賞(- えほんしょう、Phoenix Picture Book Award)』を創設した。絵のみを対象とした賞だが、受賞の基準はフェニックス賞に同様

    inmymemory
    inmymemory 2010/12/01
    素晴らしい→"名だたる児童書は20年前の出版当時に主だった文学賞が授与されていない為、それらの作品に対し再評価の意味をこめて毎年贈られている"
  • http://www.carnegiegreenaway.org.uk/livingarchive/index.php

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0637.html