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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/ego_dance (75)

  • 超男性 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『超男性』 アルフレッド・ジャリ   ☆☆☆☆☆ 白水Uブックス、澁澤龍彦訳である。昔買ってもう何度読み返したか分からないが、何度読んでも面白く、シュルレアリスムの良さを堪能できる。 ジャリは私の中ではボリス・ヴィアンと非常に近いところにいる作家で、ほぼ同時代の作家みたいなイメージがあったし、そもそもジャリはシュルレアリスムど真ん中ストライクの作家だと思っていたのだが、年代をチェックするとはるかに早い。ジャリが死んだのは1907年、この『超男性』が発表されたのは1902年。『シュルレアリスム宣言』は1924年、なんと20年も先行しているのである。信じられない。ちなみに『うたかたの日々』を書いたボリス・ヴィアンは1920年生まれ。 シュルレアリスムといっても重たく暗いものやら、残酷でエロティックなものやら、不気味なものやら天上的なものやら色々あるが、この『超男性』は軽やかでエスプリに満ちた、

    超男性 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • ターバンを巻いた娘 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『ターバンを巻いた娘』 マルタ・モラッツォーニ   ☆☆☆☆☆ イタリアの女流作家の短篇集。どう考えても傑作なのだが、現在絶版のようだ。私は随分と昔に購入し、たまにひっぱり出しては再読するということを繰り返している。 この人の短篇は独特だ。品と風格があって、エレガントで、芳醇で、ゆったりしていて、それでいてどことなく不安で、抽象的で、謎めいている。 ストーリーは大変おとなしい。手に汗握るような事件は別に起きない。登場人物の置かれた状況が淡々と綴られることで物語が成立している。しかしその淡々の中に微妙な不安感と、謎めいた雰囲気が入り混じっている。例えば最初の短篇『白いドア』。ある大音楽家(作中で名前は出ないがモーツァルトらしい)が大邸宅に招かれ、滞在している。クラヴィチェンバロつきの立派な離れをあてがわれ、世話係をつけられ、いたれりつくせりだ。ところが、仕事がはかどるようにという配慮からか、

    ターバンを巻いた娘 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 競売ナンバー49の叫び - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『競売ナンバー49の叫び』 トマス・ピンチョン  ☆☆☆☆☆ 大長編が多いピンチョンの、唯一手ごろな長さの長編。昔読んだことがあるが久しぶりに読みたくなって購入した。 ピンチョンの小説はいつも混沌としているが、書も例外ではない。カリフォルニアに住むエディパという女性が不動産王ピアス・インヴェラリティの遺言執行人に指名され、仕方なくサン・ナルシソ市に行って弁護士に会ったり書類を見たりしているうち、色んな偶然や暗合などによってトライステロという秘密結社の存在を知る。これはラッパのマークが目印の、中世の昔から存在する恐るべき私設郵便組織なのであった……。 という、冗談なのかまじめなのかよく分からないプロットである。ピンチョンというのは私が知っている限り、大体いつもそういう小説を書く。かなり奇妙な作家だ。そしてプロットはどんどん錯綜していく。エディパは元俳優のイケメン弁護士と不倫の関係を持ち、モ

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  • 『コスモス 他』 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ/ブルーノ・シュルツ - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『コスモス 他』 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ/ブルーノ・シュルツ   ☆☆☆☆☆ ゴンブロヴィッチは『バカカイ』を読んだことがあったが、その猥雑、パワフル、ケイオティックな世界はなかなかユニークで印象的だったものの、すごく好みというわけでもなかった。書を購入したのは一緒に収録されているシュルツを読みたかったからだ。 収録されているのはシュルツの『肉桂色の店』『クレプシドラ・サナトリウム』、そしてゴンブロヴィッチの『コスモス』。これに訳者工藤幸雄の序『異端のポーランド文学 -非リアリズムの系譜-』と篠田一士『わたしの作品論』がついている。篠田一士の評論がついているのはもうけものだった。 さてシュルツの『肉桂色の店』、読み始めてまず気づくのは華麗な比喩にみちみちた精緻な文体である。マニエリスティックというか、修辞の森の中にようやく世界が見えてくるようなとても人工的、技巧的な文章を書く。そう

    『コスモス 他』 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ/ブルーノ・シュルツ - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • シュルツ全小説 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『シュルツ全小説』 ブルーノ・シュルツ   ☆☆☆☆☆ 前に『コスモス 他』で読んで驚嘆したブルーノ・シュルツ、単独名義の、しかも「全小説」とあれば買わないわけにはいかない。こういうものはすぐに絶版になるものと相場は決まっている。『コスモス 他』に収録されていた『クレプシドラ・サナトリウム』は13編のうち6編が欠けていたので、これでようやく全部読むことができる。 上下ニ段組だった『コスモス 他』に比べてこちらの方が字が大きく、読みやすい。訳者は同じ工藤幸雄氏なので翻訳文はほとんど同じだが、微妙に変えてある。しかし饒舌で華麗なレトリックがうねうね続く文体はあいかわらず独特だ。 『肉桂色の店』は全部既読だし、『砂時計サナトリウム』も半分は読んでいるが、こうして再読すると読み落とした部分とか新たな発見とかあって面白かった。しかしこの人の壮絶な超現実的小説世界の面白さはもう読んでもらう以外に説明の

    シュルツ全小説 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 最後の瞬間のすごく大きな変化 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『最後の瞬間のすごく大きな変化』 グレイス・ペイリー   ☆☆☆☆☆ アメリカの女流作家の短篇集を読了。訳者の村上春樹があとがきで絶賛している。「現存している中で、もっとも留保のない敬意を受けているアメリカ人作家の一人であると言って、間違いないと思う」「なぜ僕が訳すかという点については、『何はともあれ自分の手で訳さずにはいられなかったから』と答えるしかない」「グレイス・ペイリーの物語と文体には、いったんはまりこむと、もうこれなしにはいられなくなるという、不思議な中毒性があって、そのややこしさが、とにかくびりびりとやみつきになる」てな具合だ。ここまで褒められるとやはり読みたくなる。 実際読んでみて、同じ村上春樹が訳しているということもあるのかも知れないが、なんとなくレイモンド・カーヴァーを思い起こさせる。共通する部分は確かにある。離婚や親子関係など、ドメスティックなテーマを持っていること。人

    最後の瞬間のすごく大きな変化 - アブソリュート・エゴ・レビュー
    inmymemory
    inmymemory 2009/03/16
    「物語と文体には、いったんはまりこむと、もうこれなしにはいられなくなるという、不思議な中毒性があって、そのややこしさが、とにかくびりびりとやみつきになる」(村上春樹)
  • コレラの時代の愛 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。じゃ、さっそくいきます。 『コレラの時代の愛』 ガブリエル・ガルシア=マルケス   ☆☆☆☆☆ 遂に出た、マルケス流ラヴ・ストーリー『コレラの時代の愛』の日語訳。ああ長かったよ、長かった。待ちくたびれて一昨年の11月に英語訳で読んでしまったが、日語訳をゆるゆると読むのはまた格別である。それにしてもあれからもう一年以上たってしまったとは。月日のたつのは超はやい。 訳はラテンアメリカ文学ではおなじみの木村榮一氏だが、今回は英語訳をすでに読んでいることもあり、「あれ?ここんとこちょっとニュアンスが違うな」と感じた部分がところどころにあった。もちろん英語訳も原作とはまた違っている可能性があるわけで、やはり翻訳というのは奥が深い。『百年の孤独』や『族長の秋』を私は日語訳でしか知らないわけだが、原作を読むとまた違うんだろうなと

    コレラの時代の愛 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 犬の人生 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『犬の人生』 マーク・ストランド   ☆☆☆☆☆ アメリカの詩人ストランドの短篇集。訳は村上春樹。 私は村上春樹の小説の大部分は苦手だが、この人の翻訳は結構好きだ。レイモンド・カーヴァー全集は何冊か持っているし『バースデー・ストーリーズ』も良い。中でも極めつけに好きなのがこの『犬の人生』である。 何がそんなに好きなのか、箇条書きにしてみる。 1.簡潔で軽やかでエレガントな文体。簡潔な文体と言っても、ヘミングウェイの禁欲ハードボイルドタッチ、ブコウスキのぶっちゃけぶっきらぼうタッチ、パスカル・キニャールの古典的彫刻的タッチ、ホアン・ルルフォの灼熱黙示録的タッチ、などなど色々あるが、ストランドの簡潔さはストイックさよりも散文詩的な言葉のスピードから生まれてくるものだ。彼の文体はあるイメージから別のイメージへ非常にすばやく移動する。そのスピードと軽やかさが非常に心地よい。ただスピーディーなだけ

    犬の人生 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 隠し部屋を査察して - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『隠し部屋を査察して』 エリック・マコーマック   ☆☆☆☆☆ スコットランド生まれカナダ在住の作家、マコーマックの短篇集を読了。しかしまあ、なんというヘンな小説を書く人だろうか。綺想作家と呼ばれる人は色々いるが、この人ほどこの言葉が似合う作家もあまりいないと思う。 アメリカの「アンリアリズム」と称される最近の作家連中、例えばケリー・リンクやジュディ・バドニッツなんかもとんでもない非現実的な短篇を書くが、彼女達のアイデアがどこかパーソナルな感情や生理感覚と結びついていて、人間の内側にある何かを綺想に仮託して描いている感じがするのに対し、マコーマックの奇想はある意味ブッキッシュというか形而上学的、抽象的で、奇想そのものを面白がって手玉に取っているという、非常に遊戯的な感じがする。だから作品の印象は硬質で、乾いている。そういうところはボルヘスに似ていて、書にはボルヘスっぽい短篇も収録されてい

    隠し部屋を査察して - アブソリュート・エゴ・レビュー
    inmymemory
    inmymemory 2009/03/16
    "綺想作家と呼ばれる人は色々いるが、この人ほどこの言葉が似合う作家もあまりいないと思う"
  • 見えない都市 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『見えない都市』 イタロ・カルヴィーノ   ☆☆☆☆☆ カルヴィーノの小説では『まっぷたつの子爵』とこの『見えない都市』が大好きだ。『まっぷたつの子爵』が童話的・物語的なのに対し、書は架空の幻想都市を次々と紹介するという陳列型小説で、透明感のある硬質の幻想やアレゴリーがダイヤモンドのように乱反射するきわめて完成度の高い幻想小説になっている。 マルコ・ポーロの『東方見聞録』の枠組みを借りているのでパロディといわれることもあるようだが、私はこれをパロディと呼ぶことには違和感がある。パロディには普通原典に対する風刺や揶揄があると思うが、この小説にはそういう不純なものは見当たらない。読んでみれば分かるが、非常に透明感のある審美的な小説である。そもそもが審美的、唯美主義的である幻想文学の中でも、ここまでピュアに審美的な小説は珍しいんじゃないかと思うくらい美しい作品だ。カルヴィーノはただ『東方見聞録

    見えない都市 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 三つの物語 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『三つの物語』 フローベール   ☆☆☆☆☆ 岩波文庫の絶版を古で入手。活字体も古いし、旧かなづかい。おまけに漢字も難しく、けっこう読めない。「いう」は「いふ」、「ほんとう」は「ほんたう」、「ように」は「やうに」。ページを開くとものすごい風格が漂う。読みづらいが、これはこれで雰囲気があって嫌いじゃない。 フローベール自身によって発表された最後のらしい。遺作の『ブーヴァールとペキュシェ』は未完となっている。解説によれば、この三つの物語こそ、その形式においても精神においても、この人の芸術・作品の完璧な総合であるといわれている、らしい。確かにそういわれるのも納得できる見事な出来だ。私は『ボヴァリー夫人』しか読んだことがなくて、今ひとつフローベールという作家のすごさが分からなかったが、このを読んでよく分かった。やはりフローベール、あのミラン・クンデラが絶賛するだけのことはある。 収録されて

    三つの物語 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • さくらんぼの性は - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『さくらんぼの性は』 ジャネット・ウィンターソン   ☆☆☆☆☆ 昔、冒頭ちょっと読んで中断していた小説。あらためて最初から読み直し、こんなにいい小説だったのかと驚いた。 基的に奇想天外な幻想小説である。ちょっとユーモラスな語り口はほら話的でもあり、御伽噺的なムードを漂わせている。主人公の一人である犬女は巨大な女だが、はかりに乗って象を空高くふっとばしてしまうなんてあたりは、ガルシア・マルケスあたりに通じるたくましい荒唐無稽さを感じる。その一方で、恋人達の言葉が幾千幾万の鳩になって飛んでいく、なんていう繊細で美しいイメージには、たとえばボリス・ヴィアンやジャリあたりの華麗なシュルレアリスムに近いものも感じる。いずれにしろ、誰かのフォロワーではない独自の想像力のきらめきを持っている作家さんだ。 全体を貫く明確なストーリーがないという、この緩さもまた魅力的だ。ジャネット・ウィンターソンは物語

    さくらんぼの性は - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • フリッカー、あるいは映画の魔 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『フリッカー、あるいは映画の魔』 セオドア・ローザック   ☆☆☆☆☆ 再読。何度読んでも面白い。これはもう、映画好きは絶対に読まなければならない小説であって、映画ファンのための『薔薇の名前』である。まして映画ファンであり小説ファンでもある私みたいな人間にとってはにマタタビ状態、脳からドーパミン出まくりになる至福の書と言っても過言ではない。 ストーリーをざっくりいうと、「ぼく」ことジョナサン・ゲイツはLAの名画座でマックス・キャッスルというマイナーな映画監督の映画に出会い、その魅力にとりつかれて散逸していたフィルムを追い求め、研究し、やがて映画学科の教授になり、しだいにキャッスル映画に秘められた恐ろしい秘密へと足を踏み入れていく。 書は基的には実在架空を問わずさまざまな映画に言及しつつ、映画にとりつかれた人間達のドラマを緻密に追いかけていく「映画命」な物語だが、一方で映画とヨハネ騎士

    フリッカー、あるいは映画の魔 - アブソリュート・エゴ・レビュー
    inmymemory
    inmymemory 2009/03/16
    "何度読んでも面白い。これはもう、映画好きは絶対に読まなければならない小説であって、映画ファンのための『薔薇の名前』である。脳からドーパミン出まくりになる至福の書と言っても過言ではない"
  • ピサへの道―七つのゴシック物語2 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『ピサへの道―七つのゴシック物語2』 アイザック・ディネーセン   ☆☆☆☆☆ 『夢みる人びと』に続く「七つのゴシック物語」の二巻目。けれども原著ではこちら収録分が前半というねじれ翻訳となっている。収録は「ノルデルナイの大洪水」「老男爵の思い出話」「猿」「ピサへの道」の4篇。短篇の巧緻さはどれもこれも甲乙つけがたいが、個人的には『夢みる人びと』よりこっちの方が好きだ。「ノルデルナイの大洪水」と「猿」を偏愛しているのである。 「ノルデルナイの大洪水」は、洪水が起きたノルデルナイの夜、水の中に取り残された4人の老若男女がそれぞれの身の上を語るという話である。4人の中には献身的に人びとの救助に当たった聖人のようなハミルカール枢機卿もいる。洪水の夜という状況も神秘的だが、それぞれが語る身の上話も例によって寓話的な、形而上学的幻想に満ち溢れた異様な物語ばかり。「他人の目に見えなくなる」ことを求めて逃

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  • 『百年の孤独』 G. ガルシア=マルケス - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『百年の孤独』 G. ガルシア=マルケス   ☆☆☆☆☆ 再読。画像は改訳版のものだが、私が所有しているのは旧訳版の方。昔読んで以来あちこち拾い読みをした回数は数え切れないが、最初から最後まで通読したのは多分二度目である。 今さら取り上げるのも恥ずかしいくらいの有名作であり、問答無用の大傑作だが、好きなんだから仕方がない。物語は誰もが知っている通り、マコンドという架空の町を舞台にしたブエンディーア一族の話である。ホセ・アルカディオ・ブエンディーアは軍鶏のトラブルで人を殺し、幽霊につきまとわれるようになったためのウルスラとともに村を出て、新天地を求める。目的地にたどり着けなかった彼らはあきらめて、ついてきた人たちと一緒にマコンドという村を作る。それから百年後、マコンドとブエンディーアの一族が風とともに滅びるまでの物語である。 ホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラの子供達、そしてまた

    『百年の孤独』 G. ガルシア=マルケス - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 族長の秋 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『族長の秋』ガルシア・マルケス   ☆☆☆☆☆ 再読。昨日読了。もう4、5回は読んでいる。 マルケスといえば『百年の孤独』。しかしこの『族長』は『百年』に比べてあまりにマイナー。Amazonではすでにハードカバー・文庫ともども中古でしか手に入らない状態にある。しかし私はこちらの方が好きだ。愛しているといってもいい。これまでの人生で読んできたすべての小説のベストテンに確実にランクインする。マルケスは私の中で別格の作家だが、そのマルケスで最も好きな作品はと聞かれたら迷った末にこれを一位に上げるだろう。二位は『予告された殺人の記録』である。三位は『百年の孤独』かも知れないが短篇集『エレンディラ』も捨てがたいので流動的となる。 それにしても、なぜ『百年』があれほどポピュラーなのに『族長』はこんなにマイナーなのだろう。やはりノーベル文学賞受賞が大きいのだろうか。分からないのは『族長』の方が難解だとい

    族長の秋 - アブソリュート・エゴ・レビュー
    inmymemory
    inmymemory 2009/03/15
    "これまでの人生で読んできたすべての小説のベストテンに確実にランクインする" "マルケスで好きな作品は一位『族長の秋』、二位『予告された殺人の記録』、三位『百年の孤独』か短篇集『エレンディラ』"
  • ローマのテラス - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『ローマのテラス』 パスカル・キニャール   ☆☆☆☆☆ 再読。2000年度のアカデミー・フランセーズ小説大賞受賞作。 一応モームという版画家を主人公にした物語だが、『辺境の館』ほどしっかりした構成を持った物語ではない。最初の数章、モームがナンニと出会い、愛し合い、悲惨な別れをする部分はかっちりした物語になっているが、それ以降は時系列が乱れ、モームの作品や夢や言葉、交友関係、エピソードなどがランダムに並べられる緩い構成になっている。一貫した筋を追うことはなくなり、断片的エピソードの羅列となる。モームの死が途中で語られ、死後の作品の扱いが語られ、また平然と生前の話に戻ったりする。 が、それがこの物語をプロットの制約から解放し、冗長さを排除し、鮮烈なイメージを自由自在につなげていくことを可能にしている。一貫したストーリーがないので、前フリや下ごしらえというものがいらないのである。キニャールは自

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  • 辺境の館 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『辺境の館』 パスカル・キニャール   ☆☆☆☆☆ 再読。いやー久々にキニャールを読み返したが、やはりこれは大傑作である。すごい。端整で、残酷で、優美で、バロックで、猥雑で、壮麗で、美しい。 これはキニャールがポルトガルのフロンテイラ邸を題材に書き下ろした架空の物語で、もともとはフロンテイラ邸の写真集として出版されたらしい。その後フランスでも小説だけの文庫版が出たらしいが、まあこの出来ならそれも当然だ。このでは冒頭に8ページばかりフロンテイラ邸の写真がついている。バロック建築の代表というだけあって邸宅の威容も見ものだが、タイルに青く焼きつけられた奔放で奇怪な絵の数々がやはりすごい。人間と動物のあいのこのような生き物、人間のように服を着て音楽を学ぶ動物達、陰部に刺青をした女性、などなど。写真はないが、自殺する男や転ぶ踊り子、物陰で排便する女性の絵などもあるらしい。キニャールはこの奇怪なタイ

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  • 世界終末戦争 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『世界終末戦争』 マリオ・バルガス・リョサ   ☆☆☆☆☆ リョサの大長編を再読。全700ページ、活字は上下二段組でぎっしり。読み応え抜群である。とにかく分厚くて持ち歩くのが大変、手も疲れる。けれども内容は案外読みやすくてスラスラ読める。読みやすさという意味では『緑の家』より上だと思う。話も異常に面白く、たっぷりのめり込める。このは現在入手不能のようだが、こんなに波乱万丈の面白い物語なんだから、文庫5巻ぐらいに分けて読みやすくしたら絶対売れると思うんだけれどもどうだろう。 物語は1890年代終わりのブラジル、カヌードスの反乱という実際にあった歴史事件を描いている。ブラジルの奥地セルタンゥに、コンセリェイロと呼ばれる流浪の説教師が現れ、不思議な威厳と福音で貧しい人々の心を掴んでいく。彼に付き従う人々は数人から数十人、そして数百人へと膨れ上がっていく。彼らは誰よりも貧しくありながら、その表

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  • ヴェネツィア―水の迷宮の夢 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『ヴェネツィア―水の迷宮の夢』 ヨシフ・ブロツキー   ☆☆☆☆☆ 随分前に買って斜め読みしていたをじっくり再読。これは美しいである。といっても、普通の小説のようなプロットはない。詩人が書いた、ヴェネツィアに関する夢想と瞑想の数々があるだけだ。散文詩的な小説である。 実際に作者は何度もヴェネツィアを訪れているそうだし、あとがきで訳者は「一種の日記文学といえる」と書いているが、まあそれはそうなんだろう。しかし十二月の寒い晩、「ぼく」が駅舎のバーで「超美人」を待つ冒頭からして濃厚に虚構の匂いが漂っている。事実か作り事かは別にして、この人の文章は常に靄のような虚構性ですべてを包んでしまう。現実を題材にしているにしても、詩人の夢想と文章の力で現実が詩に転化されているのだ。だから「日記文学」という言葉からにおってくる味気ない日常性はかけらもない。幻想文学といってもいいぐらいだ。 ヴェネツィアとい

    ヴェネツィア―水の迷宮の夢 - アブソリュート・エゴ・レビュー
    inmymemory
    inmymemory 2009/03/15
    "文章はアントニオ・タブッキを思わせる。まがりくねった、瞑想的な、人をはぐらかすようなレトリックがそう思わせるのかも知れないし、そのゆったりしたテンポが似ているのかも知れない。散文詩的な文章の浮遊感も"