一九二三(大正十二)年九月一日の関東大震災は、地震による建物の倒壊や火災で多くの死傷者が出ただけでなく、差別と流言飛語で常軌を逸した一般の民衆が多くの朝鮮人を虐殺する陰惨な事件を引き起こした。県内も例外ではなく、特に被害が大きかった県北部では、熊谷市で七十〜八十人、本庄市で八十〜百人、上里町で四十数人が犠牲になったといわれる。今年も九月一日に慰霊の追悼式が行われる。(柏崎智子)
関東大震災時、流言により各地で朝鮮人が殺害される中、鶴見署内に朝鮮人約三百人を保護し、命を救った故大川常吉署長。八十七年前の事実を後世に伝え、外国人への差別をなくそうと、横浜市鶴見区の郷土史研究家らが三十一日、署長の顕彰碑がある東漸寺(同区潮田町)で、地元の児童ら約六十人に震災当時の話を聞かせた。 (水野健太) 話をしたのは「鶴見歴史の会」相談役の林正己さん(82)と、在日韓国・朝鮮人児童を支援している「ヨコハマ ハギハッキョ」実行委員の後藤周さん(62)の二人。 林さんは、一九二三(大正十二)年九月一日の震災後、「朝鮮人が井戸水に毒を入れた」といううわさが流れ、パニックになった民衆が、焼け出された朝鮮人約三百人を保護していた同署に押し掛けた。その際、大川署長は民衆に向かって「朝鮮人を殺すなら自分を殺せ」と立ちはだかったとされるエピソードを紹介した。
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