安土城 天下布武 1467年の応仁の乱を境にして、日本は戦国の世となった。主君を討つ下克上や近隣大名との戦、他国への侵略を繰り返しながら、全国の大小の大名達は天下統一を目指して領土を広げ、戦いに明け暮れたのである。そんな数多の大名の中で、南蛮からの新しい文化を積極的に取り入れ、身分の上下によらず部下の勲功を取り立て、楽市楽座に代表される自由闊達な政治を行い、天下統一にもっとも近づいた武将こそ、戦国大名でその名を知らぬものはいないであろう「織田信長」だ。 1534年(天文3年)に尾張の国で生まれた信長は、周囲の人々から「うつけ者」と呼ばれるような自由奔放で奇抜な行動を繰り返しながらも、成長するにつれ次第に戦国武将としての頭角を現してゆく。15歳で家督を継いだ後、今川義元を「桶狭間の戦い」で破ったのを皮切りに、斉藤、武田などの諸大名と交戦、1568年(永禄11年)足利義昭を擁して上洛、天下統一