鵲森宮(かささぎもりのみや、森の宮神社)の社務所で、宮司さんに話をお聞きしている時、平安後期、鵲森宮が描かれたという古地図を見せていただき、了解の上、撮影させていただいた(上が東、左が北、右が南の地図) 参詣者からよく話を聞かれるので、説明のために用意しておられる地図とのこと。 鵲森宮 社務所で撮影『承徳九年(1098年)平安後期 堀河天皇』とされる地図 古地図の鵲森宮あたりを拡大した。 鵲森宮あたりを拡大した古地図 要点(核心)をまとめると ● 鵲森宮は「玉造」の北側に描かれており、ほぼ現在地にあたり、 ● 北側に「用明天王」聖徳太子のお父上の名が書かれた建物。千木があるので神社の社殿(現存しない) ● さらに北側に「天王寺跡」 天王寺跡は「元四天王寺」のことと鵲森宮では伝えている。おそらくその根拠(のひとつ)がこの地図なのだろう。 四天王寺は古くは荒陵(あらはか)と呼ばれた現在地(大阪