二俣事件(ふたまたじけん)とは、1950年(昭和25年)1月6日に当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で一家4人が殺害された事件である。強盗殺人罪で逮捕・起訴された被告人の少年(事件当時18歳)が第一審(静岡地裁)・控訴審(東京高裁)とも死刑判決を受けたが、最高裁が審理を破棄差戻し、後に静岡地裁・東京高裁とも被告人に無罪判決を言い渡し、無罪が確定した。 同じ静岡県内で起きた袴田事件と並ぶ冤罪事件の一つとして知られる。この事件では、当時静岡県警察の警部補であり、多くの冤罪を作った紅林麻雄による拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。 1950年1月6日、当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、就寝中の父親(当時46歳)、母親(当時33歳)、長女(当時2歳)、次女(当時生後11か月)の4人が殺害された。父親と