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Interviewとmatzに関するkasahiのブックマーク (4)

  • Ruby作者まつもとゆきひろ氏2万字インタビュー (1/5)

    ゲストを招き、プログラミングの魅力やはじめ方のアドバイス、いま注目している技術などを語っていただくシリーズ。第1回目は、日を代表するプログラマーであるRubyアソシエーション理事長のまつもとゆきひろ氏に登場いただく。プログラミングをする上でかならず必要となるプログラミング言語。それを作るのはどんな人なのか? 聞いてみよう。前後編の2回に分けてお届けする。 ゲスト:まつもとゆきひろ(Rubyアソシエーション理事長) 聞き手:角川アスキー総合研究所 父親のガジェットを息子がぶんどって使う ──プログラミングをはじめたのは、たしか子供の頃だったとお聞きしたのですが。 まつもと「ええ、父親がいわゆるガジェット好きで、小学校6年のときに当時10万円くらいした“L-Kit16”を買ってきたんですよ、日橋(大阪の電気街)で。半田ゴテでそのキットを作ったけど、父親はすぐに飽きてしまいました。でも、小学

    Ruby作者まつもとゆきひろ氏2万字インタビュー (1/5)
  • 梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(前編):ITpro

    まつもとゆきひろ ネットワーク応用通信研究所 フェロー 楽天 楽天技術研究所フェロー Rubyアソシエーション理事長。Rubyの作者 Blog「Matzにっき」 まつもとゆきひろの起こした小さな奇跡---梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」の中の節のタイトルである。「時代の巨大な変化の中で個人がどう生きるべきか」をテーマにしたというこのの中で,Rubyを生み「オープンソースで飯をう」生き方を実践するまつもと氏の生き方に,梅田氏は何を見い出したのか。梅田氏とまつもと氏が,インターネットがもたらす新しい時代の新しい仕事,新しい生き方を語る。 まつもとゆきひろの起こした小さな奇跡 ――梅田望夫さんの新刊「ウェブ時代をゆく」には,「まつもとゆきひろの起こした小さな奇跡」という節があります。こので何を伝えようとされ,なぜまつもとさんを紹介されたのでしょうか。 梅田 いま,インターネットの切り拓

    梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(前編):ITpro
  • 「Ruby」まつもとゆきひろの「自由はこう手に入れろ」 / 叱られ隊長・黒幕Q嬢の懺悔の部屋/Tech総研

    今や世界に知られるオープンソースのプログラミング言語「Ruby」。 シンプルで利便性に富んだこの言語を開発したのが、まつもとゆきひろさんです。 「我らがクレイジー☆エンジニア主義」で、まつもとさんのプログラマとしてのルーツを取材したのですが、「Ruby」を開発したのは、サラリーマンプログラマ時代。その当時のお話がとても興味深い! 世界のプログラマから高い評価を得たことで、オープンソースソフトウェア開発で、最も成功した日人とも言われるまつもとさんが、どう会社から「自由」を得たのか? 今回はそんなこぼれ話をお伝えします。 ■■同僚が力を認めてくれれば、自由でいても大丈夫 黒幕Q :会社の業務をやりながら、「Ruby」開発をしてたんですか? まつもと:「Ruby」の開発を始めた1993年は、ちょうどバブル崩壊で      景気が冷え込んだ時期だったんです。      僕は、ソフトハウスで社内シ

  • ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第3回:僕の存在価値はそこにある (1/4)

    過去2回にわたってお届けしてきたまつもとゆきひろ氏へのインタビューは今回が最終回となる。「誰かがRubyを実装し直したとしたら、いまのRubyよりもずっとエレガントで速いものができるはず」と語るまつもと氏は自身の存在価値をどのように見ているのかに迫る。 14年の歳月を経た今も、まつもとはRubyの開発で中心的な役割を果たし続けている。継続することこそが最も難しいといわれるオープンソースソフトウェアの開発において、1人の開発者が長期にわたって中心的な役割を果たし続けている例はそれほど多くない。こうしたことは、成功したから継続しているのだと思われがちだが、実際にはそう単純なことばかりではない。Rubyも、世界的に知られ始めたのは英語の書籍が発売された2000年秋以降で、Ruby on Railsによって広く使われるようになったのはこの2年ぐらいのことだ。その歴史の半分以上の年月は、いわば「下積

    ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第3回:僕の存在価値はそこにある (1/4)
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