69歳の誕生日を迎えた2日後の2016年1月10日(現地時間)、この世を去ったデヴィッド・ボウイ。彼にとって3年振り、28枚目のアルバムとなる『★』(ブラックスター)をリリースした2日後のことでもあった。1960年代に彗星のごとく現れ、音楽、演劇、映画など多岐に渡る表現者として駆け抜け、黒い星となった彼の軌跡を振り返る。
![デヴィッド・ボウイ、山本寛斎のデザインと日本に魅せられた不滅のスターアイコン。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/85850dc8463405ab0f118e3fa1b51666f388d2b6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmedia.vogue.co.jp%2Fphotos%2F5f1eb25049735d4cd1910931%2F16%3A9%2Fw_1280%2Cc_limit%2FGettyImages-52432750.jpg)
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が自身のレコード・コレクションの中から厳選した「お気に入りのアルバム 25選」を米国の雑誌ヴァニティ・フェア2013年11月号にて発表。ネットでもWeデザイナーのSam Allemangが立ち上げた特設サイトでリストが見れます。 ボウイはまず「本当に合理性/論理的であるマイ・フェイバリット・アルバムのリストを作る方法はない」と述べたあと、自身が所有している2500枚のアナログ・レコードの中から、このリストを選んだと説明。ビートルズやニルヴァーナなど“あまりにも明らかな”アルバムは、あえて除外しているそうです。 ●THE LAST POETS / THE LAST POETS (1970, Douglas) https://www.youtube.com/watch?v=KTQlhXij66g ●SHIPBUILDING / ROBERT WYAT
1月11日に伝えられたデヴィッド・ボウイの訃報は、偉大なるスターが亡くなったことへの喪失感はもちろんとして、死の直前にリリースされたアルバム『★』がキャリア屈指の完成度だったが故に、あまりに衝撃的だった。Mikikiでは『★』特集の第2弾として、新作を切り口に〈ロックンロール・アイコンとしてのボウイ〉を掘り下げる内容を当初企画していたが、その方針も踏まえつつ、この記事をもって〈地球に落ちて来た男〉に追悼の意を捧げることにした。 今回ご協力いただいたのは浅井健一、土屋昌巳、THE NOVEMBERSの小林祐介という、世代は異なれど交流の深い3人。SHERBETSのリーダーとしてニュー・アルバム『CRASHED SEDAN DRIVE』を発表したばかりの浅井は、このインタヴュー中に〈ボウイの詩作に影響を受けた〉と語っている。かつてプロデューサーとしてブランキー・ジェット・シティに携わった土屋は
デヴィッド・ボウイは2015年10月、久しぶりに表舞台に帰ってきた。6話構成のヨーロッパの新ドラマ『The Last Panthers』に向けて書き下ろした、オリジナル・テーマ曲を発表したのだ。この曲は、『レッツ・ダンス』や『ヤング・アメリカンズ』のような特大ヒットは見込めないが、そもそもこれらはボウイの膨大な楽曲リストのなかでも極めて例外なのである。彼の作品のほとんどは、ラジオで流れることもなければ、カラオケバーで聞くこともない。しかし、爆発的にヒットしたひと握りの楽曲に劣らぬ、輝きがある。ローリングストーン誌は、ボウイの隠れた名曲を読者に投票してもらった。結果は以下の通り。 10位『ロックン・ロールの自殺者』 「人生で最も素晴らしいツアーのひとつだった」と、ジギー・スターダストの最後のコンサートで、ボウイはラストを締めくくる曲の前にこう語った。「今回のツアーの全公演のなかでも、特にこの
「多くの人が、あれ以上のショウはありえないと思ってくれているんだ」 デヴィッド・ボウイがそう語ったのは、1974年に企画された「ダイアモンド・ドッグス・ツアー」のことだ。 その構想が始まったのはツアーの前年、自らが作り上げたロック・スターのジギー・スターダストと別れたボウイが、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を読んだときからだった。 近未来の悪夢を描いた小説の世界観に魅了されたボウイは、ミュージカルでその世界を再現したいと考えたのだ。そこで早速『1984年』の版権を持つオーウェル未亡人に連絡をとった。 ところが以前に『1984年』が映画化された際、勝手に小説と違う結末に変えられたことに立腹した未亡人は、それ以降は他のメディアへの使用許諾を全て断っていた。 ボウイも例外なく断られてしまったために、その世界観をモチーフに新たな作品を書きはじめることになる。 1974年の1月8日、27歳
カダフィ、ベンアリ、ムバラク、そしてヤヌコビッチ……。ここ数年のうち、テレビで顔の知られた独裁者たちが民衆の前から次々と姿を消していった。 幕引きは様々だったが、23年前の南米には劇的な結末を迎えた独裁者がいた。 彼の名は、マヌエル・ノリエガ将軍(1934~)。1983年からパナマの最高司令官として君臨してきた人物だ。 パナマと言えば、運河。流通や金融で栄えた中堅どころの国家である。 1959年、「アメリカの裏庭」と呼びならわされてきた南米の一角、キューバにカス トロ率いる共産政権が生まれたことで、アメリカに動揺が走る。そして南米政策は、反共一色に染め上げられることになった。親米でありさえすれば、どんな人物でもおかまいなし。多少のワルでも大目にみよう、その典型がノリエガだった。 「Bull in the China Shop」というイディオムがある。「瀬戸物屋に雄牛」。つまり、引っ掻き回し
デヴィッド・ボウイの確固たる地位を築いた金字塔的アルバムが、1972年にリリースされた『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(“ジギー・スターダストとスパイダーズ・フロム・マーズの栄光と没落”)』だ。 1964年、デイヴィー・ジョーンズは若干17歳でレコード・デビューを果たすも、なかなかヒットには恵まれなかった。 バンドを変えたり、名前をデヴィッド・ボウイに変えたりと、様々な試行錯誤を経てようやく芽が出たのは1969年、「Space Oddity」のヒットでついにミュージシャンとしての成功を掴む。 それから3年後の1972年、デヴィッド・ボウイが発表したのは宇宙から来た架空のロックスター、ジギー・スターダストを題材とするコンセプトアルバムだった。 ジギーの存在はレコードの中に収まらず、デヴィッドは自らジギ
「これまでのどんなツアーの時よりも、僕は肉体性の動きがはっきり出るように演った」 デヴィッド・ボウイが初めて日本の地を踏んだのは、1973年4月5日のことだった。 前の年にリリースしたアルバム『ジギー・スターダスト』は、全英チャート5位にまで登りつめてイギリスでの人気を不動のものにした。 コンセプチュアルなアルバムの内容は、架空のロック・スター、ジギーの栄枯盛衰を描くというものだった。 ボウイはツアーで自らジギーに扮してステージに上がり、多くの若者が感化されてそのファッションを真似した。 幼少期から日本の文化に強い興味を抱いて、芸術やファッションから強い影響を受けてきたボウイにとって、日本に行くことは長年抱いてきた夢だった。 来日した翌日、ボウイはファッションデザイナー山本寛斎の事務所へと向かう。 ビデオで日本で催されたファッション・ショーを見て寛斎のファンになり、歌舞伎などの伝統演劇を取
スターマンは空で待っている 僕らに会いたがっている でも、僕らが正気のままでいられるかと 心配してるのさ 1973年。 ミュージック・ライフ誌は表紙に山本寛斎がデザインした衣装に身を包んだデヴィッド・ボウイの写真を載せ、「遂にやって来たスターマン デヴィッド・ボウイ日本に上陸」というタイトルで特集を組んだ。 上陸、というミュージック・ライフ誌の表現は正しかった。 彼は飛行機で羽田空港に降り立ったのではなく、オロセイ号という豪華客船で横浜港の大桟橋に上陸したからだ。 スターマンという星から降ってきた男の苦手なものが飛行機だという話はどこか奇妙な感じがしたが、逆に、雨の横浜港に忽然と姿を現したボウイは、とてもミステリアスに映った。 そして雨に煙る中、赤と紺のチェックのジャケットに赤いスラックスのボウイは、モノクロームの画像の中、ひとり色が塗られた男のように見えた。 日本公演を終えたボウイは、再
★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第116回 1960年代半ばにデビューしたロンドンのモッズ少年は、やがてシンガー・ソングライター、グラムロックのスター、モダン・ソウル、ベルリンの電子音楽といった流れで70年代を駆け抜け、常に最先端のポップカルチャーやヒップでアートな音楽文化を先導。そんなカルトスターとして君臨した男が大衆化した80年代とその後の低迷。バンド編成での原点回帰や90年代後半のソロ活動再開。俳優としての顔もあった人──デヴィッド・ボウイ。その足跡は眩しいほどスタイリッシュだ。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから 『David Bowie』(1967) 1960年代前半〜半ば。R&RやR&B、ビート小説に傾倒するロンドンのモッズ少年は、1964年にDavie Jones with
2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが旅立った。 日本時間では、1月11日15時30分に更新されたFacebookの公式アカウントで「18ヶ月におよぶ癌との勇敢な闘いの末、家族に見守られながら静かに死去しました」と告知された。 ボウイは1月8日、69歳の誕生日に通算25作目となるニュー・アルバム『★(Blackstar)』をリリースして、最新のミュージックビデオも公開されたばかりだった。 見上げてみな、俺はここ、天国にいる 俺には傷跡がある、見えないけど ドラマがある、決して奪えない 今や皆が俺を知っている 見上げてくれよ、もう死にそう 失うものなんてもう無い アルバム『★(Blackstar)』 の第2弾先行シングル「Lazarus(ラザロ)」は、1976年の映画『地球に落ちて来た男』でデヴィッド・ボウイが演じたホームシックの宇宙人、トーマス・ジェローム・ニュートンの目線で描かれてい
日曜日(US時間)にデヴィッド・ボウイの死が発表されたことで音楽界は大きな衝撃を受けている。 デヴィッド・ボウイの演劇的な天賦の才能と伝統にとらわれない部分に大きな影響を受けた、ミュージシャンにしてパフォーマーでもあるマリリン・マンソンは、逝去したロックのアイコンに向け、心に迫る追悼の言葉をローリングストーン誌へ書き記した。 初めて『ダイアモンドの犬』を聞いてショックを受けたとき以来、ボウイの音楽がいかに自分の人生を永遠に変えたのかを表したものだと語った。 僕がデヴィッド・ボウイに初めて出会ったのはMTVで『アッシュズ・トゥ・アッシュズ』を見たときだった。僕は戸惑い、そして魅了された。 でも1997年頃に初めてちゃんとロサンゼルスに住むまで『ジギー・スターダスト』『アラジン・セイン』や『ハンキー・ドリー』以外の作品を聞くように言う人はいなかった。そう言われた僕はめまいがするような気持ちでハ
この地球に産み落とされた異形のロックスター、デヴィッド・ボウイがこの世を去った日、世界中の人々が悲しみにくれた。アリーナを埋め尽くした孤独なキッズたちを前に、”君はひとりじゃない”と歌った彼は、この世界を優雅に放浪し続けた、セクシーでチャーミングな唯一無二のロックスターだった。 奇形を認め、狂人に語りかけた彼は、常に異質な存在でありながらも、どんなロックスターよりも人間的だった。ドレスを引き裂き、涙でボロボロになった子供たちの顔を見つめる彼の瞳は、10代のキッズたちが抱える混乱をただ肯定していた。グラマラスなスターマン、バラードの名手、ベルリンの貴公子、そういった自身のイメージを自由自在に変化させながらも、その声に宿る求心力が失われたことは決してなかった。どんな時も、彼の宇宙船は我々を進むべき方向へ導いてくれた。 そのカリスマ性は数多くの熱狂的な信者を生み出した。80年代をティーンエイジャ
ボウイはまだ数ヶ月生きるつもりで、亡くなる1週間前にヴィスコンティにレコーディングしたいと語ったそう。5曲分のデモがあったそう ローリング・ストーン誌の次号はボウイの追悼号で、トニー・ヴィスコンティが亡くなる前のボウイについて詳細を語っている。 http://www.rollingstone.com/music/news/david-bowie-planned-post-blackstar-album-thought-he-had-few-more-months-20160113 その中で、11月の段階でボウイの体全体に癌が転移しており、もう助からないとは分かっていたものの、まだ数ヶ月は生きると思っていたと、ヴィスコンティが語っている。実際ボウイは、亡くなる1週間前にヴィスコンティにFacetimeで、新たに書いた5曲のデモテープがあるから、スタジオに入りたいと語っていたそう。 「亡くなる
デヴィッド・ボウイには、親ばかという印象はほとんどない。 多量の薬物を乱用し、永遠に続くかとも思えるようなツアーを行い、子供のひとりにはゾウイ・ボウイとあだ名をつけた。(編注:ゾウイZowieは日本語にすると「うわぁ!」「ひゃあ!」というような感嘆詞。名字Bowieとの語呂合わせだ)
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)追悼メッセージを追加。ブライアン・ウィルソン、ロッド・スチュワート、ジョニー・マー、ジョー・ペリー、ジョーン・ジェット、ノラ・ジョーンズ、イングヴェイ・マルムスティーン、パール・ジャム、ロビー・ロバートソン、マーク・スチュワート、ザ・プロディジー、トミー・リー、ヌーノ・ベッテンコート、Skrillex、ミスフィッツほか。 なお、上記写真は一部サイトで「ボウイの最後のオフィシャル写真」のひとつとして紹介されているもの。ボウイの誕生日である1月8日にボウイの公式サイトにアップされたものです。撮影時期については明記されていません。 Sting on the passing of David Bowie: "Trudie and I were totally captivated by his energetic charm, his extraordi
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