タグ

ブックマーク / www.homes.co.jp (19)

  • 【ホームズ】準工業地域の土地にはどんなメリットがある? 主な特徴と土地選びの注意点 | 住まいのお役立ち情報

    実はメリットも…準工業地域が住宅用地に向いている理由 工業というワードから、準工業地域は住宅用地に向いていないといったイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実際には一般的にイメージされる工場地帯とは異なる雰囲気を持ったエリアであり、住宅を建てることも可能です。 ここではまず、準工業地域のおおまかな特徴を見ていきましょう。 準工業地域の特徴 準工業地域は、主に軽工業の工場やサービス施設が立つ地域です。 工場が並び立つ工業専用地域とは明確に用途が区別されており、一戸建てや小規模工場、マンション、店舗、飲店、オフィスビルなどが混在するエリアといえるでしょう。 分かりやすいイメージとしては、昔ながらの職人街や町工場街などが挙げられます。なお、準工業地域は工業系用途地域に分類されますが、住宅が建てられることも想定された制限・規制となっているのが特徴です。 たとえば、工業地域と聞くと、騒音や産業廃

    【ホームズ】準工業地域の土地にはどんなメリットがある? 主な特徴と土地選びの注意点 | 住まいのお役立ち情報
  • 居住地別に見た住みたい郊外地域~住みたい郊外調査②

    住みたい街を選ぶとき、現在住んでいる地域を大きく離れることはあまりないと前回書いた。 そこで調査対象となった1都3県を10地域に分けて、それぞれの地域に住んでいる人ごとに住みたい街を集計してみた。 東京23区居住者の1位は「上記以外」、つまり1都3県および茨城県以外であり、23区内に住まないとしたら、もう地方移住だということである。 2位以下は武蔵野市、横浜市西区・中区、鎌倉市などとなっているが、まあ、これは23区の居住者にとっては23区の飛び地のような意識だろう。 そういう意味では地方に移住したとしても、それは地方と23区内の2拠点居住をして、土日だけ地方に行くとか、逆にいつもは地方にいて、必要なときだけ都心に来るといったライフスタイルを志向しているとも言える。 三多摩居住者では武蔵野市、府中市、立川市、八王子市、三鷹市という順位であり、ほぼ順当な結果である。 横浜市居住者も横浜市内の区

    居住地別に見た住みたい郊外地域~住みたい郊外調査②
    kechack
    kechack 2019/08/22
  • 住みたいのは港北ニュータウンか船橋か?~住みたい郊外調査①

    カルチャースタディーズ研究所では2019年5月に「住みたい郊外調査」を行った。その結果速報を何回かに分けてホームズプレスで発表したい。 同調査は、三菱総合研究所が毎年行っている3万人調査「生活者市場予測システム」(※略称mif)の2018年の回答者への追加質問をする形で行ったものであり、東京、埼玉、千葉、神奈川および茨城県南部の居住者2,400人の男女(25〜54歳)を対象とした。 質問は「下に首都圏の主要な市区町村名とその地域の代表的な街が書いてあります。 あなたが今後住みたいと思う市区町村はどこですか」という聞き方であり、用意した99にブロック分けした市区町村から複数回答で答えてもらった。 結果は23区内を除くと、「横浜市西区(横浜駅周辺、みなとみらいなど)、横浜市 中区(山手、元町、石川町など)」「船橋市、鎌ケ谷市、習志野市」「藤沢市、平塚市、茅ヶ崎市」「武蔵野市」「鎌倉市、逗子市、

    住みたいのは港北ニュータウンか船橋か?~住みたい郊外調査①
    kechack
    kechack 2019/08/07
  • 札幌駅から3分、苗穂駅直結の再開発プロジェクトが始動。北海道新幹線の延伸を控えるJRもマンション事業に初参入

    北海道新幹線の札幌延伸を見据え、札幌都心の東側にある苗穂エリアが、大きく生まれ変わろうとしている。JR札幌駅の隣にある苗穂駅の北口で、駅と一体となった再開発プロジェクトが動きだした。株式会社大京と住友不動産株式会社、経営難で収益拡大が急務となっている北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)が3社共同で取り組む「苗穂ステーションパークプロジェクト」だ。生活に必要な機能をまちの中心部に集約するコンパクトシティの構想を取り入れ、苗穂駅とタワーマンションや商業施設を空中歩廊で直結。JR北海道の施設跡地のうち約8,000m2に「新しいまち」をつくるという大規模な計画だ。 苗穂エリアは明治時代から、交通利便性と豊かな伏流水を背景に工業地域として発展。ビール醸造所、味噌・醤油醸造所、鉄道工場、製糸工場などが建ち並び、北海道のものづくりを支えてきた。札幌市によると、苗穂駅周辺は札幌都心から東側に2~3㎞と近く

    札幌駅から3分、苗穂駅直結の再開発プロジェクトが始動。北海道新幹線の延伸を控えるJRもマンション事業に初参入
    kechack
    kechack 2019/07/16
  • 大阪の地盤沈下の原因と現状。江戸時代、大阪の海抜はもっと高かった?

    国土交通省の洪水ハザードマップでは、大阪市のほとんどが浸水想定区域にあたっている。一級河川の淀川や大和川が東西に横切っているせいもあるが、大阪の地盤が低いのが主な原因だ。昔からそうであったわけではない。「大大阪時代」と呼ばれた大正後期から昭和初期にかけて、大阪市域、北摂地域、東大阪地域、泉州地域で地盤沈下が続き、昭和10年から27年にかけては3m近くも沈下している。 地盤沈下を自分自身の目で実感したいなら、大川を運航する水上バスに乗ってみると良い。難波橋や天神橋、天満橋をくぐるとき、橋げたが近いのに驚くだろう。平坦に作られた水上バスの屋根をこするのではないかと心配になるほどだ。これも、地盤沈下が原因なのだ。 地盤沈下が起きると水害の被害が大きくなり、排水が困難になる。そして、深く杭を打ち込んだビルの周囲の地盤が下がる、いわゆる「抜け上がり」も起きた。抜け上がりが起きると、建物の下が空間にな

    大阪の地盤沈下の原因と現状。江戸時代、大阪の海抜はもっと高かった?
    kechack
    kechack 2019/02/08
  • 【下町の歴史】「東京東側」の郊外化の歴史をたどる | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

    東京の下町はどこかと聞かれると、あなたはどこを思い浮かべるだろう。浅草、柴又、門前仲町、あるいは足立区と答える人もいるだろう。だがそれらの地域は最初から下町だったわけではない。 図1は1975年の中央区の倉庫の分布図だが、ほぼ現在はマンションに建て替わっていることがわかる。だが、そうした街の歴史を新住民自身があまり知らないのも事実だ。 だとしたら私がその東側郊外について研究をし、その成果をわかりやすく、面白く、このLIFULL HOME'S PRESS連載において断続的に書いていきたいと考えた。 結論を先に言うと、東京の下町は歴史的に言っておよそ以下のように4段階に分けられる。 第一下町 江戸以来の下町。1920年が人口最大。旧区名で日橋、神田、京橋。 第二下町 明治・大正以降の下町。震災前に人口が急増したが震災後は減少し1940年が人口最大。浅草、下谷、芝、所、深川。 第三下町 昭和

    【下町の歴史】「東京東側」の郊外化の歴史をたどる | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
    kechack
    kechack 2018/11/08
    本来の下町、神田、日本橋、京橋を下町と言う人はもはやほとんど居ない。
  • 大阪市民の足であり日本初の市営の電車だった、今はなき『大阪市電』

    大阪市営地下鉄は2018年4月1日に民営化し、「Osaka Metro(大阪メトロ)」と名称を改めた。それに伴い大阪市交通局は廃止され、大阪市高速電気軌道株式会社が運営を引き継いでいる。運賃やダイヤに変更がないので、「メトロってネーミングが馴染まへんわぁ」と、軽いぼやきが聞こえてくる程度で、今のところ利用者は大きな変化を感じていないようだ。 しかし、市営であることが大切だと感じる市民もいる。なぜなら、大阪の地下鉄が日初の公営地下鉄だったからだ。それだけではない、その前身と言える大阪市電も、日初の市営電車なのだ。そこで、今回は大阪市高速電気軌道株式会社 広報課の永澤良太氏に、大阪市電が生まれた背景や歴史を教えていただいた。 大阪市電が産声を上げたのは、大阪市内に大量輸送機関がまったくない時代のこと。それまでは人力車が主役で、1900年大阪駅には450人もの車夫がいたという記録もある。馬車

    大阪市民の足であり日本初の市営の電車だった、今はなき『大阪市電』
    kechack
    kechack 2018/06/22
    それまでは人力車が主役で、1900年大阪駅には450人もの車夫がいたという記録もある。馬車鉄道(四天王寺西門~東天下茶屋)や、巡航船(新町~湊町~戎橋~日本橋)が市内の人の移動を担っていた
  • 武蔵小杉エリアの初乗り人員が5年で約1.8倍に増加。第12回大都市交通センサス調査の分析結果

    2018年3月30日、国土交通省は大都市交通センサス調査の分析結果を発表した。大都市交通センサス調査は1960年以降、公共交通施策検討の参考とすることを目的に、5年ごとに実施されている。今回の発表は、2015年に実施された第12回調査結果を分析、取りまとめたものだ。分析結果から、いくつか特徴的な変化が見られたものを取り上げたい。 通勤目的での鉄道利用状況を見ると、2010年から2015年にかけて、乗車人員は首都圏、中京圏、近畿圏、全ての圏域で増加した。特に首都圏では629万人から682万人と大幅に増加した。一方で、平均乗車距離は全ての圏域で短くなった。 鉄道の定期券利用者を属性別に見ると、前回調査と比較して女性の乗車人員が全圏域で増加。男性の定期券利用者は首都圏、近畿圏で減少、中京圏では横ばいという結果となった。男女別で定期券利用者の構成比を見ると、調査ごとに女性の割合が増加している。20

    武蔵小杉エリアの初乗り人員が5年で約1.8倍に増加。第12回大都市交通センサス調査の分析結果
    kechack
    kechack 2018/06/11
  • 泡沫の夢と消えた幻の鉄道線「未成線」。廃線跡に続く新たな観光資源となるか buy_00738

    廃止になった鉄道路線の跡をたどる、「廃線跡歩き」。1990年代にブームとなったこの趣向は、今や鉄道ファンや愛好家の間ですっかり定着した感がある。 ここでいう廃線跡とは、「かつて実際に運行されていた路線」の遺構のこと。一方、開業をめざして計画はされたものの、実際にこの世に誕生することなく消えていった幻の鉄道路線が、この日列島には無数に存在するという。 いわゆる「未成線」、未完成のまま中途で放棄された「未完成の鉄道線」である。 この未成線というジャンルについては、実は鉄道ファンでも知らない人が多い。その存在を世に知らしめた草分けともいえるのが、鉄道ライターの森口誠之さんだ。森口さんは90年代後半、国立公文書館に通いつめて、戦前の鉄道省や運輸省の資料を徹底的に調査。その成果を著書にまとめ、2001年に『鉄道未成線を歩く・私鉄編』、02年に『同・国鉄編』(いずれもJTBキャンブックス)を出版した

    泡沫の夢と消えた幻の鉄道線「未成線」。廃線跡に続く新たな観光資源となるか buy_00738
    kechack
    kechack 2018/02/04
  • 都市のバス停大変貌。民間がバス停上屋を設置する仕組みとは?

    バス停の姿、形が少しずつ変化してきていることにお気づきだろうか。かつてのバス停は行き先、バス路線名などを記した標識柱が野外に立っているだけの、野ざらしなものだったはずだ。ところが近年見かけるバス停には日差し、雨を避ける屋根があり、風を防ぐ透明な壁があり、座る場所も確保されている。時刻表も見やすくなっており、夜になると照明が入って防犯の面でも安心。以前からするとはるかに快適なバス停が増えてきているのである。 このバス停だが、実は民間の費用で設置されている。発祥は1964年のフランス。バス停に掲載された広告料収入を原資に道路上に高品質なインフラを整備し、維持管理するという仕組みを思いついた人がいる。現在、日でも北は札幌から南は鹿児島までの40都市、71バス事業者に普及しているバス停「B-Stop®」を手掛けるMCDecaux社の創始者ジャンクロード・ドゥコー氏である。 以降、ストリートファニ

    都市のバス停大変貌。民間がバス停上屋を設置する仕組みとは?
    kechack
    kechack 2018/01/18
  • 【船橋】戦前の高級住宅地と娯楽の殿堂〜海神、花輪台、三田浜楽園

    船橋から連想するものというと、地方出身の私には、巨大娯楽施設ヘルスセンターとストリップ劇場である。ヘルスセンターは地方でも広告を打っていたし、ストリップ劇場については、深夜テレビ番組の11PMで見たからだ。 東京で就職した頃はららぽーと(ヘルスセンターの跡地にできた)、その後、人工スキー場ザウス、今はイケアと、いずれにしても海側の大規模商業娯楽施設が思い浮かぶ。だから、住宅地といわれても、戦後の住宅公団や民間による巨大団地やニュータウンのイメージが強い。 ところがだ。あったんですねえ、船橋にも、高級住宅地が。 昭和8年(1933)に京成電鉄が開発した海神台分譲地が海浜別荘住宅地として売り出されたのがそれだ。京成線で船橋の一つ東京寄りの海神駅が最寄り。駅の北側の海神台、あるいは海神山といわれる丘陵地に、それはできた。京成電鉄最初の不動産開発事業で、総面積は1万8400坪、分譲戸数は86だった

    【船橋】戦前の高級住宅地と娯楽の殿堂〜海神、花輪台、三田浜楽園
    kechack
    kechack 2017/12/31
  • 新たな廃校は年間約500校も。廃校の活用事例 特集

    厚生労働省の人口動態統計(※平成28年 人口動態統計:確定数によると、2016年の出生数は97万6978人で、1899年の統計調査開始以来、初の100万人割れとなったという。少子化は急速に進み、今後は出産適齢女性の減少問題も含め、社会全体の課題となっている。 少子化により必然的に児童生徒数の減少を続けており、また市町村合併などが進んだことで、各地域に多くの廃校が発生している。年間約500校もの新たな廃校が増え続けているという状況だ(※文部科学省 「みんなの廃校プロジェクト」資料より)。 文部科学省は、廃校施設の有効活用を促進しようと、『~未来につなごう~「みんなの廃校」プロジェクト』を立ち上げ、各地方公共団体で、活用方法や利用者を募集している廃校施設等の情報を一覧にして公表している。現在(※2017年10月20日更新版)利用活用用途を募集している廃校施設の数は、全国で250となっている。

    新たな廃校は年間約500校も。廃校の活用事例 特集
    kechack
    kechack 2017/11/13
  • 【ホームズ】中央・総武緩行線の混雑率、遅延状況を徹底解剖!沿線住人の声と国交省データから探る | 住まいのお役立ち情報

    ちなみにJRと私鉄を含めた主要31区間で最も混雑率が高い路線は199%となっており、総武緩行線はそれに次ぐ数値であることを考えると、かなりの混雑率であると言えるでしょう。 実際に沿線に住む人の通勤・通学時の実感は?一方で、実際に中央・総武緩行線沿線に住む人はどう感じているのでしょうか。沿線に住んでおり、週に3回以上利用する500人に、“混雑率の目安”を参考に、通勤・通学時のピークの混雑率を答えてもらいました。 沿線に住む人の実感による数値を平均すると、172%となりました。一定の区間が混んではいるものの、距離が長い中央・総武緩行線においては、公開されている混雑率ほどの混み具合ではないと感じる人が多いようです。 マンガ/あべかよこ 物件を探す 物件の参考価格を調べる中央・総武緩行線はどのくらい遅延する?2016年に国土交通省が公開した「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」(※3)で

    【ホームズ】中央・総武緩行線の混雑率、遅延状況を徹底解剖!沿線住人の声と国交省データから探る | 住まいのお役立ち情報
    kechack
    kechack 2017/10/28
  • 続々誕生する高架下保育園。高架下ならではのメリット、苦労を聞いた

    中央線では東京都による三鷹・立川間の連続立体交差事業が行われ、2010年11月に完成。全長9キロにも及ぶ、長大な高架下空間が生まれた。その後、2012年から高架下を活用、店舗や広場その他様々な用途の施設が作られて来たが、そのひとつに保育園がある。 JR東日は2011年から「HAPPY CHILD PROJECT」と名付けられた子育て支援を通じた沿線活性化事業に取り組んでおり、その中心となる取組みが子育て支援施設の開設。2017年4月には101ヶ所に及んでおり、吉祥寺駅以遠の中央線沿線にも10ヶ所の子育て支援施設が作られている。 うち高架下には3ヶ所あり、そのひとつ、武蔵境駅と東小金井駅間にある定員62人の認可保育所グローバルキッズ武蔵境園を設計した石嶋寿和氏によると、中央線、JR東日をはじめ、他沿線でも高架下利用の保育園は増加傾向にあるという。「私自身、中央線以外でも赤羽、西船橋、その

    続々誕生する高架下保育園。高架下ならではのメリット、苦労を聞いた
    kechack
    kechack 2017/05/29
  • 空き物件を有効活用。古民家を再生したレトロな複合施設「上野桜木あたり」が面白い

    2015年3月、谷根千からほど近い閑静な住宅街にレトロな複合施設「上野桜木あたり」が誕生し、人気を集めている。上野桜木あたりは昭和13年に建てられた古民家を再生したもので、1・2号棟には、天然酵母を使ったビアホールや手づくりパンの店、塩とオリーブオイルの専門店、ヴィンテージのアパレルショップなどのこだわり満載の店舗のほか、事務所などが入居。3号棟は賃貸住宅とコミュニティスペースになっている。 「あたり」というネーミングも愉快だ。これは、「あいまいだからこそ、どこまでもひろげていける可能性がある」という意味でつけられたそう。 「再生された古民家は1~3号棟まであり、3号棟は父が生まれ育った場所。近年は住居やシェアハウスなどとして貸し出していたのですが、5年ほど前に空き家となってからは、そのまま放置していました。解体して駐車場や賃貸住宅などとして土地活用を考えていたところ、NPO たいとう歴史

    空き物件を有効活用。古民家を再生したレトロな複合施設「上野桜木あたり」が面白い
    kechack
    kechack 2016/06/20
  • 【池袋の次世代型路面電車(LRT)構想➀】LRT先進都市・ストラスブールの事例、そして池袋

    以前HOME'S PRESSでもレポートしたのだが、池袋(東京都豊島区)は今、街の姿を大きく変えようとしている。豊島区役所移転(2015年5月)に伴う旧庁舎跡地一帯では、2020年の五輪開催までにシネマコンプレックスや新ホールなどが誕生するという一大プロジェクトが進行中。また、池袋のランドマーク的存在であるサンシャインシティの南東側の隣地には造幣局東京支局があるが、2016年10月にさいたま市へ移転するため、その跡地を防災公園などに整備する計画が進められている。このほかにも複数のプロジェクトが計画され、再開発機運が高まっている池袋にあって、街づくりの軸として豊島区が検討しているものがある。それは次世代型路面電車システム「LRT(Light Rail Transit=ライトレールトランジット)」の導入。現時点では構想段階なのだが、2003年から13年越しで検討され続けている。池袋駅東口の駅前

    【池袋の次世代型路面電車(LRT)構想➀】LRT先進都市・ストラスブールの事例、そして池袋
    kechack
    kechack 2016/03/14
  • 建替え目前。日本初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」を見て来た

    首都圏では4.6世帯に1世帯がマンションに住む(*)。今やマンションはごく一般的な居住形態というわけだが、その歴史は意外に短い。日で最初の分譲マンションが登場したのは1953年、63年前である。その日初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」が建替えのために取り壊されることになり、見学に行った。マンションのルーツはどんな建物だったのか。ご紹介しよう。 場所は渋谷駅から徒歩数分。渋谷ヒカリエ、宮益坂に隣接する一等地である。建設当時の渋谷は2階建てまでの建物が中心の、今の郊外住宅地のような風景が広がっており、唯一、高い建物と言えば1934年に完成した東急百貨店程度。建替え後は直結となる地下鉄銀座線は1939年の開業で、完成から2年後の写真で見ると右手に地下鉄の高架があり、多少は高い建物が増えてはいるものの、今の渋谷からは及びもつかない。その中にあって11階建ての宮益坂ビルディングは一際目立つ

    建替え目前。日本初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」を見て来た
    kechack
    kechack 2016/03/09
    次第に住宅部分の事務所化、賃貸化が進み、築後25年時点では当初から居住しているのは5世帯、住宅として使われているのは全70戸のうち、40戸となっていた
  • 【高野山のまちづくり①】祈りの聖地にゲストハウスが誕生。”お大師さんスピリッツ”を継承する若い世代の挑戦

    弘法大師によって開創された密教の聖地・高野山。その景観を他に並びなきものにしているのが、高野山真言宗総山の金剛峯寺を中心とした寺院群だ。山内には今も113の寺院がひしめき合い、このうち52坊が宿坊(※)として参詣者を迎え入れている。 2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録され、外国人観光客の数が急増。2004年~2014年の10年間で、外国人観光客の数は1万530人から5万4511人へと5倍以上に増え、高野山は日有数の国際観光地に成長した。 そんななか、開創以来の伝統を守ってきた高野山にも、新しい風が吹き始めている。その象徴ともいえるのが、2012年の『高野山ゲストハウス Kokuu』の開業だ。 ゲストハウスとは数千円で泊まれる素泊まりの格安宿。ドミトリー(相部屋)中心の客室の他にリビングダイニングなどの共用スペースがあり、宿泊者同士の交流が自然に生ま

    【高野山のまちづくり①】祈りの聖地にゲストハウスが誕生。”お大師さんスピリッツ”を継承する若い世代の挑戦
    kechack
    kechack 2015/10/20
  • “歩きたくなる街”へ~つくば市と吉祥寺から見る日本本来の街の姿とは~

    皆さんにとって住みたい街はどんな街だろうか? ただ部屋や住宅が最新だから、広いから、といった理由だけでは選ばないだろう。HOME’Sが2013年1月に公表した「東京都民が選ぶ住みたい街ランキング」では、総合1位が吉祥寺の街。どうして吉祥寺はこんなに人気があるのだろうか。 しかし、人気の理由を探る前にもう1つ気にしたい街がある。それは「つくば」。つくばという名前を聞いて連想するものは何だろうか?つくばエクスプレス?筑波山?筑波大学? 今回、街づくりのプロデューサーなどを行っている筑波大学 准教授の渡和由先生に取材を行い、つくば市の“人が集まり不動産も動く街づくり”について聞いてみた。 渡先生の研究のメインは全国各地の街の活性化につながるサイトプランニング(敷地計画)。筑波大学のキャンパスがある「つくば市」の街づくりにも総合プロデューサーとして関わっている。つくばと言えば、1960年ころから筑

    “歩きたくなる街”へ~つくば市と吉祥寺から見る日本本来の街の姿とは~
  • 1