トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…
<訳者より> 本テキストは英国のウエールズ大学のダニエル・チャンドラー博士による記号論への入門書のオンライン版であり、インターネット上で公開されているものです。このオンライン・テキストは評判が良く、1995年公開以来のアクセス回数は56万回(2004年2月時点)にもなっています。 訳者は2002年4月まで35年間、企業の研究所に勤務していたシステム分析が専門の技術者ですが、記号論の本の中に、「システム」という言葉がたびたび出てくることから記号論に興味を覚え、インターネット上で調べていたところ本テキストと出会いました。記号論の主要トピックスをソシュールの記号学および構造主義をベースに、丁寧に説明しており具体的な例も多く観念的でないことから、記号論を勉強してみたいと思っている人、記号論の勉強を始めたがよく分からず挫折した人にとって良い参考書になるのではないかと感じました(残念ながら、日本では、
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って
もうすぐ三歳な我が娘は、いま金魚がマイブームな様だ。この間、妻の実家に遊びに行ってたときに庭の池で金魚を見たのだろう。 ごっこ遊び@風呂場では風呂桶に金魚が泳いでいて、おもちゃ用に置いているおわんからエサをあげているという設定。かと思えばおわんは小さい金魚鉢に変わる。 「お父さんは小さい金魚をどうぞ」 おわんを渡してくれる。ちょっといたずら心が出て「お、これはおいしそうだなあ」とおわんからズズッと飲む真似をする私。 「金魚を飲んでござる!」 とびっくりする娘。 いや冗談だよ。かわいい金魚。 だいたいいつも21時ちょい過ぎには寝るんだけど、昨日はなにやら布団の上でずっと騒いでいた。僕は居間にいてサンシャイン牧場などをしていた。 いい加減遅い時間だろうと思って寝室に顔を出す。 部屋一面に折り紙を破いたものが散乱している。袋に入っている1セット全部破いて撒いたのか。毛布、掛け布団、枕の下にも大量
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10/04(日) 07:45:03.77 ID:ROau48MJ0 【神は妄想である】 10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10/04(日) 09:46:39.20 ID:ZlbNbf510 厳島神社 15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10/04(日) 11:06:05.36 ID:wO+TB2+x0 16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10/04(日) 11:08:57.97 ID:1oQ8l6qt0 18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10/04(日) 11:38:33.94 ID:wO+TB2+x0 宝登山 19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/
アルコールを飲まない日を、自分の意志で週に二日間連続してつくることが出来ますか? アルコール依存症をチェックするための簡単なテストです。出来ない人は、アルコールの摂取を自分でコントロール出来ていないわけですから、アルコール依存症の領域に足を踏み入れてしまっているわけです。 ちなみに、特に暴れたりしないというのは、アルコール依存症であるかどうかの判定にはまったく関係ありません。むしろ、最近は暴れないアルコール依存症患者の方が多数派です。ネクタイアル中なんて呼ばれています。 中川昭一元財務相の死因がアルコール依存症なのは間違いありません。直接の死因では無かったとしても、そもそものあの酩酊会見に至った原因はアルコール依存症だとしか考えられないですし。 でも、アルコール依存症の恐ろしさにスポットを当てる報道がされることはありません。一国の大臣経験者を死に至らしめる病、一国の大臣をしても大切な場面で
先週土曜日は法事があり、浅草に出た。浅草は寺の町だ。雷門や浅草寺の賑わいを抜け、国際通りを越えると、大小の寺がひしめき合う静かな地区に出る。その中の一つが実家の菩提寺で、父方の祖父母の墓がある。祖父母は私が学生の頃、在宅介護を経て逝った。 法事はいつも私の家族だけで行っているが、今回は母方の祖母も来た。東京に住む大伯母*1が危篤なので、最期のお別れにと上京したのだ。こちらにいる間は母が面倒を見ている。一人で放ってはおけないので、法事にも一緒に出てもらった。 祖母は物事がだいぶわからなくなってきていて、同じ話を何度も何度も、何度も何度も繰り返す。前回会ったときよりも、話がループする間隔が短くなっていた。これが進むと、起きた出来事を忘れ、私達を忘れ、何もかもがわからなくなるのだ、亡くなった祖父母がそうだったように。 私達家族は、数分前に聞いたばかりの話にも、初めて聞くような顔で相づちを打った。
暴力の問題を純法律的問題としてのみ捉える考え方が馬鹿げているのは、むしろその考え方こそが、直接的暴力の本質的問題を過小評価することにつながるからに他ならない。直接的暴力の形態は様々である。警察が振るう暴力だって、当然ながら直接的暴力と呼べる。では、なぜ今回のtoledさんに振るわれた暴力が問題となるのか?純法律的な答えは、このようなものにならざるをえない――法律でそう決まっているから。かくして、いっさいがっさいの「存在」の形象は問題の中心から切り離され、議論はひどく限定された「当為」の次元で行われる。これは――今や20世紀(初頭)の遺物となった――きわめて素朴な法実証主義といわなければならない。「存在」は「当為」から解放されるが、そのことによって「当為」に縛られる。まさに、あらゆる形象と結びついたさまざまな暴力の区別が、合法的かどうかの区別に還元されてしまうのである。たとえば陵辱ゲームはな
あまりにみみっちい話しなので。書くのも情けない話なのですが。ちょっと愚痴を聞いてください。 乳腺炎を起こしてくる人がいます。授乳中、乳管が詰まって、しこりができて、赤くなって、高熱を出す人もいます。本人は、とてもつらいのです。 そのような時、患者さんにはベッドに横になって頂いて、オッパイのマッサージをします。詰まっているところが通るように。しこりが解消されるように。出てくる母乳をガーゼに吸わせながら、とても時間がかかります。大体、30分近く。力もいるので、終わると手ががたがた震えるほどです。 つい先日、その乳房マッサージが保険点数、35点。350円だと知りました。わあ、これだけ苦労して、350円なのか、と、ちょっとがっかりしました。もちろん患者さんは、その3割負担の105円、規則で切り上げの110円の支払いです。えらく安いんだあと。 実は、私はレセプトの点検をするときにも、点数は、全く気に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く