石原東京都知事が震災に関して「天罰」発言をしたことにしばらく立ち止まった。フーコーによれば18世紀、食糧難に対する政治的態度は二種類の形式をとったという。ひとつは「不運」と呼ばれるギリシャ・ローマ的概念、もうひとつが「罰」だった。 「不運」は自然に対する人間の無能力を確認するための概念ではなく、自分の政治的失敗を受け容れるときの政治的権力者のためにあった概念だとされる。政策が失敗したときに自らの不運を嘆く責任放棄のための方便というより、権力が責務を負うときに必要な形式だった。ただしそこには幸運というものはない。 さて「罰」である。「罰」は人間を悪とみる、ひとつの道徳観からもたらされる。これこそが倫理的というより政治的な概念だった。なぜ人間を善か悪でとらえなければならなかったのか、そこには政治的な強大な権力を道徳によって抑制しようとする意図があったとされている。絶対的な政治的権力に「やっては