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2012年12月26日のブックマーク (4件)

  • 【MMD】合気道をひっそりとトレースしてみた【トレース】

    今年度のトレースは合気道です。トレース元は合気道 demo 海外の練習生sm1237385です。動画の最初の4秒が無音なのは仕様ですのでご了承ください。また、動画内で雪が降っているのは作成開始したのが今年の2月だからです。ドラマフェスティバル開催で放置したままだったのでなんとか完成させました。動画で作成した用途不明のモーションファイルをアップしました。解錠キーはmmdです。http://www1.axfc.net/uploader/File/so/84280前作sm15785896最新作sm22187971【10/7追記】手先様、こんなカクカクモーションに宣伝費をつぎ込んでいただき、ありがたいやら、恥ずかしいやら複雑な気分です。とにかくありがとうございました。,【2018 /5/7】チャーリー様、広告感謝…ってか、こんな古い動画になぜw【12/6追記】こちらでご紹介いただきました、ありがた

    【MMD】合気道をひっそりとトレースしてみた【トレース】
  • 『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本

    使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには名があるから、妙に飾らないで、名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形

    『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本
  • finalvent's Christmas story 7: 極東ブログ

    KFFサンタクロース協会にいくつか裏の顔があることは知っている。SEつまり「サイエンティフィック・エンカレッジメンツ」もその一つと言えないこともない。科学教育普及の看板を掲げているが、当にそれだけが目的なのか。しかしマリーからSEの支援に行ってほしいという話が夏にあったとき、とりあえず引き受けることにした。その日がクリスマスなのも気がかりだった。 支援先は、カイロにある英国国教会系のスクールで開催される講演会である。主役は2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナーと、その弟子にあたるサミュエル・ショルマンという若い学者だ。彼もブレナーと同じヨハネスブルグ出身とのことだった。ブレナーの講演は以前一度聞いたことがある。非常に面白かったが、今ではもうけっこうなお年のはずだ。 10年前と代わり映えのしないカイロ空港に着いてみると、ブレナーは出席できないとのメッセージが入ってい

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/12/26
    《生命が生きるためにセックスをして死を受けれたのではないですか?》 ならばその瞬間に悪は生まれようとし生まれるために善という対極を導いただろう。善悪という双生児は生と死によって作られた(=分化)形だ。
  • 伝奇・はてな村 - 24時間残念営業

    2012-12-26 伝奇・はてな村 ひさしぶりに家でちょっとだけネットする余裕がありました。もうここんとこはシフトが当にアレすぎて、僕のアレもあんな感じといった具合なんですが、みなさまいかがお過ごしですか。俺はもうだめにゃん。 ところでいつのまにやら俺の位置づけが「はてな村コンビニ店長」というあたりにじわじわとなってきているような気がします。最近はブコメに目を通すことも多いので、以前からその傾向はあったものの俺が知らなかっただけ、ということも考えられるわけですが、ともあれそんな印象を受けます。 いったんブログをやめる前と、復活後でいちばん違うのは、はてな村の住人であることに自覚的であるかどうかだと思うのです。なんか書きたいなーブログもういっかいやろっかなーと思ったときに「はてな」以外の場所で書いてる自分というのを想像できなかったあたり、思ったよりもこの場所に愛着があったんだなあ、少な

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/12/26
    いい具合に話の筋が捩れていく。/《人々の記憶の古層に封じ込められていた情念は、俺の店というよく燃える松明を得て、いま、昏い秋の夜空をあかあかと染めていました。》