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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (6)

  • 心に引っかかっていた、そのこと、その一つ: 極東ブログ

    なんとなくブログを書かない日が続いたが、ネットから消えたわけでもなく、それなりにこの日々だらだらとツイッターには書いていたりした。何も書くことがないわけでもない。ということで心に引っかかっていた、そのことを少し書いてみようとかとも思うのだが、そう言い出してみて、やはり気は重い。 その一つは、れいの「黒子のバスケ」脅迫事件である。 「黒子のバスケ」というアニメ(実は私もたまに見ることがあるし、コミックも持っていたりもする)と簡素に説明をするにもどうするかなと思って事実関係を見直そうとニュースを見直す過程で、早々にウィキペディアに項目があったことを発見した(参照)。事件を知らない人で知りたい人がいたら参考にするとよいだろう。 当初このニュースを私が聞いたとき、作者に個人的な怨みのある人物の犯行ではないかと思ったが、少し関心をもっただけでそういう印象は消えた。むしろ、なにか社会的なメッセージ性の

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2014/03/25
    あれは西尾のめだかのマイナスの概念の体現者みたいだと思った。僕は悪くないってやつ。いや安い悪党でしょふざけるなと。/間違えてパチンコやオンラインゲームに溺れればよかったのに。
  • [書評]ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン): 極東ブログ

    邦訳書のタイトル「ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)」(参照)からもテーマはわかりやすいだろう。2007年、米国や欧州の膨大な数の養蜂のミツバチが消失した。 養蜂の箱のなかに死骸があふれ出したわけではない。ミツバチたちはある日箱を飛び立ち、戻らなくなった。それが比較的短期間に起きた。あたかもミツバチが蒸発でもしたかのように忽然と消えたに等しい印象を与える。 が、死骸がまったく見当たらないというのでもない。箱のなかで死ぬ個体もある。この現象は蜂群崩壊症候群(CCD:Colony Collapse Disorder)と呼ばれている。 CCDは実に奇っ怪な現象で、シャマラン監督「ハプニング」(参照)の冒頭でもエピソードとして使われている。 ミツバチが全米各地で姿を消している。 こんなことが起きる原因は? 誰も? ハチの異変に興味ない? 見えない力が働いている。 何らかの攻撃のよ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2013/09/13
    《我々はインターネットで知性を向上させているのではなく、CCDが暗示するような自滅に向かった狂気を育成している危険性ないのだろうか。》
  • finalvent's Christmas story 7: 極東ブログ

    KFFサンタクロース協会にいくつか裏の顔があることは知っている。SEつまり「サイエンティフィック・エンカレッジメンツ」もその一つと言えないこともない。科学教育普及の看板を掲げているが、当にそれだけが目的なのか。しかしマリーからSEの支援に行ってほしいという話が夏にあったとき、とりあえず引き受けることにした。その日がクリスマスなのも気がかりだった。 支援先は、カイロにある英国国教会系のスクールで開催される講演会である。主役は2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナーと、その弟子にあたるサミュエル・ショルマンという若い学者だ。彼もブレナーと同じヨハネスブルグ出身とのことだった。ブレナーの講演は以前一度聞いたことがある。非常に面白かったが、今ではもうけっこうなお年のはずだ。 10年前と代わり映えのしないカイロ空港に着いてみると、ブレナーは出席できないとのメッセージが入ってい

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/12/26
    《生命が生きるためにセックスをして死を受けれたのではないですか?》 ならばその瞬間に悪は生まれようとし生まれるために善という対極を導いただろう。善悪という双生児は生と死によって作られた(=分化)形だ。
  • 吉本隆明が亡くなった: 極東ブログ

    隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。 僕は吉さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉さんのの編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉さんのの、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/03/16
    今丁度、氏の著作『悲劇の解読』を買い求めようと探していたところだった。合掌。
  • [書評]孤独のグルメ【新装版】(久住昌之・著、谷口ジロー・画 ): 極東ブログ

    中年男の孤を描いた漫画「孤独のグルメ」(参照)が電子ブックで売っていた。電子ブックでこの漫画を読むとどうなんだろうかという素朴な興味と、通して読んだことはなかったなという思いがあって、買って読んだ。泣けたというのとは違う、胸にずんとくる感慨があった。中年男の孤というものの、いわくいいがたい微妙な心情をよく描いていることもだが、私自身生きてそしてってきたあの時代が絵の一コマ一コマにそのままにあったのだった。 物語は、個人経営の洋雑貨輸入商・井之頭五郎が、背広姿で見知らぬ町を巡った営業帰りに、いそびれた昼飯をその町の店屋でうというだけの設定が多い。表題にグルメとあるが、普通の意味でグルメといったものではない。下町のさびれた定屋のようなところで、中年男が、がつがつとありふれた事をするだけの短い話。B級グルメといったものでもない。うのは腹がいっぱいになればいいやといったくらい。 だ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/01/17
    こういう読み方は全然しなかったなあ。男とか中年とかじゃなくて、食べることそのものの楽しみというか、それはひとりでなければ没頭できないというか。
  • どうして英語では、"I like a cat."って言えないのだろうか?: 極東ブログ

    このところ陶しい話ばっかだったので、ここらでボケ話。いや、まじボケなんでそこんところよろしく。で、何か? どうして英語では、"I like a cat."って言えないのだろうか? である。何故? いや、"I like a cat."って言えるんじゃないの? 文法的にも間違っていないはずだし……うーん、そうなのか。じゃ、意味は? 「私はが好き」……そうか? いや、それなら、"I like cats."だよね。なんで、"I like a cat."じゃだめなのか。不定冠詞の総称的な用法っていうのがあったんじゃなかったっけ。 逆に、表面的には文法的に"I like a cat."は間違いじゃないというなら、それってどんな意味があるのだろうか? 「私はが好き」に近い意味はあるだろうけど、その不定冠詞の意味合いはなんだろか? 「私はならなんでも好き」かな。語感的には、「私にはというのものが

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