生きる意味に関するkikuutanのブックマーク (22)

  • こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【精進(1)】 新型コロナウィルスで経済は冷え込み、 中でも旅行業、飲業など壊滅的な打撃を被り、 私の友人のセミナー講師も軒並みキャンセルで、 何もできず、家にいるとのこと、 オリンピックを目指していたアスリートや 開幕を目指して調整していたプロ野球選手なども、 いつ頃終息するかもわからぬ状態に、モチベーションを保つことが難しいようです。 収益も上がらず、仕事もできない、練習もままならない、 こういった不遇な環境に取り残されていくような不安を覚えたり、 投げやりになったり、周りに当たり散らしたり、絶望したり、 となっていくものです。 しかし一方で「窮すれば転ず。転ずれば通ず」。 こんな事態から始まった窮余の策からイノベーションが起きるのも世の常で、 願わくばこの未曽有の逆境をかけがえのないものと転じていきたいものです。 自由にできない不遇な環境にあって己を磨いて、 後に羽ばたくきっかけと

    こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 経営悪化の企業に見られる負のスパイラル - 親鸞に学ぶ幸福論

    【自因自果(2)】 コロナウィルスの影響で深刻な景気悪化で、 飲業や旅行業は大打撃ですが、 今後ますます経営不振の波は各方面の企業に及びそうです。 これはバブル崩壊のときも、リーマンショックの際も繰り返されたことですが、 会社の収益が上がらないとき、きまって社内で起きることがあります。 それは、以下の3つです。 1.社長が幹部重役の落ち度を責める 2.幹部重役は管理職の社員を叱咤する 3.管理職の社員は社員を追い詰める この1~3は、社内全体にギスギスした空気を蔓延させるので、 よけい収益が上がらなくなり、さらなる1~3が始まります。 これはあらゆる会社が陥りやすい負のスパイラルです。 もしあなたが上の立場にあたる社長、幹部、管理職なら、 部下を責めることに何の意味もないことを胸に刻むべきです。 それは単に「私は責任がない無力な被害者だ」と 周りにアピールしているようなものです。 自らの

    経営悪化の企業に見られる負のスパイラル - 親鸞に学ぶ幸福論
  • ファクトフルネス「犯人捜しの本能」を仏教の視点から解説する - 親鸞に学ぶ幸福論

    【自因自果(1)】 世界的ベストセラー『FACTFULLNESS』には、 私たちが持つ10の思い込み能が紹介されていますが、 その一つに「犯人探しの能」というのがありました。 以下はその引用です。 ーーーーーーーーー 誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。 一発らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。 そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。 誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう。 ーーーーーーーーー これはどこにでもよくあることで、 たとえばある工場で生産のラインが止まってしまった、 工場長が調べてみると、ある工員の居眠りだった、 その工員をこっぴどく叱りつけ、それで終わり。 犯人を捜し出して制裁するまでが仕事だ、 とこの工場長は思っているので

    ファクトフルネス「犯人捜しの本能」を仏教の視点から解説する - 親鸞に学ぶ幸福論
  • わかりやすく大衆に伝えた者が世界を制す - 親鸞に学ぶ幸福論

    【説法(1)】 ホモサピエンス史の著者ハリルはなかなかの毒舌家で、 研究熱心で正確だけど面白みのない筆致の学者のよりも、 読んでておもしろいので、つい手が伸びます。 たとえばこんな感じ。 「でっちあげの話を1000人が一ヶ月信じたら、それはフェイクニュース。 その話を10億人の人が1000年間信じたらそれは宗教で、 信者の感情を害さないためにそれはフェイスニュースと呼ばないよう諭される」 同じ事を言っていても、 いやむしろ正確なデータをそろえて論理的に展開する骨太のよりも内容的には薄くとも、 譬喩が豊富で、具体例も興味深く、風刺の効いたやわらかい文章なので、 大衆に受け、が売れ、結果的にその道の権威として認知されています。 この事実はまじめな学者たちにはそうとう不愉快な出来事かもしれませんが、 いつの世でも、どの分野でもこういうことがあって、 それはやはり人々に分かるよう伝えることに

    わかりやすく大衆に伝えた者が世界を制す - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 老いにも屈せぬ心の平安をどうやって得るか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【老苦(1)】 仏教に教えられた四苦八苦の一つに『老苦』があります。 文字通り老いていく苦しみのことです。 だんだん肌がたるみ、つやを失い、シワが増え、白髪も増え、歩くのもおぼつかなくなり、 自分の体さえ自分で自由にならなくなってくる、そういう苦しみのことです。 お釈迦様は人間の避けられない四つの苦しみの一つに挙げられており、 いつの時代、どこの国であろうと「老苦」を避けることはできないのですが、 中でも人類史上、未曽有の老苦を味わっているのが現在の日、 といっていいのではないかと思います。 お釈迦様のおられた2600年前、当時のインドの平均寿命はわかりませんが、 今から1000年前、平安時代の貴族の平気寿命が男性33歳、女性27歳といわれますから、 お釈迦さまの時代でも同じようなものだったでしょう。 その頃は老苦といっても、老いる前に飢餓や病気や疫病や戦争で命を落としてしまうために、

    老いにも屈せぬ心の平安をどうやって得るか - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 若きアスリートたちに教えられること - 親鸞に学ぶ幸福論

    【忍辱(1)】 以前オリンピックを見ていて思ったことですが、 柔道の判定でも、物言いがついて勝者と敗者が逆転してしまったり、 体操のポイントでも抗議により総得点が入れ替わったり、というのが結構あります。 審判団の問題、とまでいかなくても 極限まで研鑽を重ねたアスリートたちのしのぎ合いなので 当にちょっとした判定のあやとか零コンマ零何秒の差で 歴然と結果が決められてしまっています。 何年もこの時のこと一つにかけてきたのですから 「こんなことのために」と どんなにか悔しい事態もあると思います。 そんな中でも偉いなと感心するのは、 駄々をこねたり、仏頂面でになったりせず 終われば自分を負かした相手と握手し、 インタビューでは言葉少なに「負けは負けです」と言い、 表彰台に登ればどんなに悔しくても笑顔は作るところです。 自分を支えてくれたコーチ、 オリンピックに出たくても出れなかった選手たちのこと

    若きアスリートたちに教えられること - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 死ぬことを真面目に見ることが幸せの第一歩だと説く仏教 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • ルソー「人間は呼吸するために生きているのではない」 - 親鸞に学ぶ幸福論

    人生の目的(1)】 どんな行動にも目的があります。 【タクシーに乗る】という行動も、【どこそこに何時までに行く】といった目的があります。 目的がないのにタクシーに乗っていれば、時間とお金がどんどん無駄になるだけです。 【勉強する】という行動にも当然目的があります。 「なんで勉強してるの」と問えば、「資格を取るため」とか「明日試験だから」などと返ってくるでしょう。 【歩く】という人間の基的な行動も、 「ちょっとそこのコンビニまで」とか「気分転換に散歩」とか、目的は必ずあります。 このように人間の行動には目的があるのです。 では【生きる】という人間の行動、この目的は何でしょうか。 何を目的に私たちは【生きる】という行動を続けているのでしょうか。 タクシーに乗るのも、勉強するのも、歩くのも、 言ってみれば生きる営みの範疇に入るのですが、 さてその根ともいえる【生きる】のは、そもそも何のため

    ルソー「人間は呼吸するために生きているのではない」 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 同じことの繰り返しのつまらなく退屈で苦しい流転輪廻の人生 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教に『流転輪廻』という言葉があります。 ゴールなき円周をひたすら回り続けるように、安心も満足もなく迷い続けている私たちの様をいわれます。 今回は『流転輪廻』についてお話しします。 同じことに繰り返し、流転輪廻の人生に嫌気がさす 中学や高校時代、一番好きな曜日は何曜日だったでしょうか。 たいていの人は「土曜日」もしくは「金曜の夜」と答えるかと思います。 「明日は休みだ。いつまでも寝ておれる。今日は遅くまで自分の好きなことできる」と思うと、心が明るくなったものです。 では、一番いやな曜日は、といえば「月曜日

    同じことの繰り返しのつまらなく退屈で苦しい流転輪廻の人生 | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • 常に不安な人といつも心穏やかな人との違いはどこにあるか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【因果の道理(1)】 以下はお釈迦様のお言葉です。 「善いことをしたならば、安心していなさい。 その善いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、安心するがよい。 人に知られずしたことであっても、安心していなさい。 それの果報があるのだから安心していなさい」 お釈迦様がこう断言されるのは、因果の道理に狂いがないからです。 因果の道理とは、仏教の根幹です。 善い行いをすれば善い結果が生じる、 悪い行いをすれば悪い結果がひきおこる、 善いのも悪いのも自分のまいた種はすべて自分が刈り取らねばならない、これに例外は一切ない。 これが因果の道理であり、 この大道理を徹底して説かれたのがお釈迦様、ブッダの教えです。 だからお釈迦さまは「善いことをしたならば、安心していなさい」と言われるのです。 善いことをすれば、100%必ず善い結果が生じるからです。 「善いことをしたのが、ずっ

    常に不安な人といつも心穏やかな人との違いはどこにあるか - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 治らない人のための情報がない - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 仏教に教えられているのは「なぜ生きる」の答えです。 「なぜ生きる」とは砕いて言えば 「(必ず死ぬのに)なぜ生きる」ということであり、 「(どんなに苦しくても)なぜ生きる」ということです。 人は必ず死んでいくのに、 なぜそれまでさまざまな苦しみに耐えてでも、 一生懸命生きねばならないのか、 この問いが仏教で言うところの「なぜ生きる」です。 「なぜ生きる」一つの開顕が釈迦45年の教えでした。 世の中には「どう生きる」を教える人は多くあります。 どうしたら健康になれるか、 どうしたら稼げるか、 どうしたらあの人とうまくやっていけるのか この「どうしたら」でみな一生懸命ですから、 そのニーズに応えんとして 「自分はこうして健康になった、もうかった、仲良くなれた」と実体験を交え、 あるいは心理学や物理学や経済学や医学の根拠を用いて 説得力ある「どう生きる」の答えを提供する人は

    治らない人のための情報がない - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 9月1日問題の解決の鍵は意外なところにある - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 9月1日が一年間でダントツに子供の自殺が多くなる日だというところから名付けられた「9月1日問題」が、 最近メディアで取り上げられるようになってきました。 お盆が過ぎ、甲子園が終わる頃になると 「そろそろ夏休みも終わりだなぁ。宿題どうしよう」 と子供の心が憂になってきますが、宿題でため息つくくらいなら問題はない。 クラスでいじめにあっている子、うまく友だちが作れない子の、 夏休みの終わりの憂は「いっそ死んでしまいたい」と思い詰めるほど深刻です。 新学期が始まるのが嫌で嫌で仕方なく、 9月1日前後に自ら命を絶つ子供もたくさんいるのです。 前途ある子供たちがどうして、と大人も頭を抱え、 なんとかせねばと国も問題視するようになり、 文科省は各方面に対策を打ち出しました。 学校では教師が、夏休み明けの子供の表情をよく見て異変はないか、関心を払うよう指導され、 保護者である

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  • 今から思うと、あの「水飲むな」っていう指導法は何だったんだろう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【空言たわごと(1)】 今の子供たちは部活動でも 「熱中症には気をつけよう」「こまめに水分を取ろう」 と呼びかけられますが、 私の高校時代の部活動は「練習中、水分を取ってはいけない」とのルールがあり、 このために、特にこの夏の時期、大変苦しまされました。 炎天下、「ファイトファイト~」と声を枯らすまで声を出し、 シャツが汗でびっしょりになっても休憩までは水が飲めない、 私も目がチカチカしてふらっと倒れたことが一回ありますが、 どの部員もそんな経験の一度か二度あり、 これは今なら熱中症の症状と言えるのではないかと思います。 なぜ水を飲んではいけないかというと、 これも今から思うと何の根拠もない話なのですが、 水を飲むと疲れやすくなるから、という理由でした。 気持ち悪くなったり倒れたりするのは、 根性がないから、体力がないからだと言われました。 自分も倒れる者を見てそう思いましたし、 みなそう

    今から思うと、あの「水飲むな」っていう指導法は何だったんだろう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 東山彰良の『流』に一水四見を思う - 親鸞に学ぶ幸福論

    私たちはお互いわかってもらえず、わかりもせず、 一人一人が底知れなく寂しい人生旅路を行く孤独な旅人であることをお釈迦様は 『独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)』 “人間は独り生まれ、一人死ぬ存在であり、 皆どこからか独りでやってきて、どこかへ独りで去っていく” と説かれていることを先回のメルマガでお話ししました。 『独生独死独去独来』の話をすると、 「どうせわかり合えないのなら、お互い話し合ったり近づいたりしてわかり合おうとする努力は無駄なのか」 と質問される方が時々あります。 今日はこのことについてお話しいたします。 東山彰良の直木賞受賞作『流』という小説は、骨太の内容でした。 登場人物は台湾、日中国を舞台に、さまざまな歴史を背負って生きる民族、家族です。 文化も価値観も異なるがゆえに、お互いがお互いの悲しみがわからず、傷つけ合ってしまいます。 それら登場人物が大人に

    東山彰良の『流』に一水四見を思う - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 長寿は不幸、長生きは悪いことと思い始めた日本人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【老苦(1)】 人類史において長らく「長寿」は貴重なことであり、幸福の大きな要素でした。 祝いの意を表す「寿(ことぶき)」という字が使われますし、 88歳の米寿のお祝い、99歳の白寿のお祝いなど、 長生きした区切りにお祝いの行事もありました。 つい150年ほど前まで人類は、はしかや胃かいようなどの病でも命を落としましたし、 疫病で村の半分が死んだ、とか、飢饉が襲い村が全滅した、 といった事態がそこかしこで起きました。 そんな時代にそれらの不幸や災難に遭わずに長生きできることは、 貴重なことであり、人々にとってこよなく幸せなことでした。 その長らく人類が幸せの要素と固く信じてきた「長生き」が、 比較的容易に手に入れることができるようになった現代、 果たして長生きは幸福といえるのだろうか、 と人類は疑問を持つようになってきています。 しかもそれは皮肉にも、幸せになりたいと人類が全身全霊、長寿の

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  • 死後に私はどうなるのか、仏教の問い - 親鸞に学ぶ幸福論

    【後生の一大事(2)】 「死んだら私はどうなるのか」 この問題を仏教では「後生の一大事」といいます。 この問いに今日どんな答えがなされているか、いくつか挙げてみます。 「今頃あの世で、奥さんと一献傾けているだろう」 このセリフは葬儀の際によく聞きます。 しかしこう話す人は、当にあの世で、 死んだ奥さんと再会して好きな酒を酌み交わすことができる、 と信じて、こう口にしているのでしょうか。 ワインでもビールでもスコッチでも泡盛でも好みの酒で一献傾けられる、 そして好きだった人と再会して、よもやま話に花が咲く、 あの世がそんな自由に振る舞えるところなら結構なことですが、 気でそう確信している人の言葉とはちょっと思えません。 もし好きな人と再会することができるなら、 嫌いだった人とも再会するかもしれませんが、 そういう可能性は考えてもいない。 好きな人とだけ再会できると思っている。 そんな都合

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  • のんきな人はどこにもいない - 親鸞に学ぶ幸福論

    【流転輪廻(1)】 もう何年か前ですが、ある番組の対談で、 さまぁ~ずがその頃売れ筋だった芸人に、 「ブレイクしてすごいね」と言うと、 「いや、ホント不安なんです。このまま消えたら一発芸人なので。あの売れなかった時代に戻ると思うと怖くて」 「僕らからしたらさまぁ~ずのみなさんはプラチナカードなんです。僕らもなんとかプラチナカードの仲間入りをしたいんです」 と芸人が答えていました。 その言葉にさまぁ~ずが 「いやいや、プラチナカードなんて思ったこと一度もない。こっちも不安なのは一緒だよ」 と返していたのが印象的でした。 学校のクラスの「おもしろい人」の一握りが「プロの芸人」になり、 「プロの芸人」の一握りが「ブレイクした芸人」になり、 その「ブレイク芸人」のそのまた一握りが、 ずっと活躍する「プラチナカード芸人」となるのですが、 どこまで行ってもこれでヤレヤレということはないようです。 イチ

    のんきな人はどこにもいない - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 「それがどうした」って、それを言っちゃあ、おしめえだ - 親鸞に学ぶ幸福論

    サッカーは相手のゴールポストにボールを手を使わずに入れることを目的とするスポーツです。 その目的に向かう限り、どのパスにも、どのドリブルにも意味があります。 しかし「ゴールポストにボールを入れたところで何になる?」と言い始めたら、 どんなスーパースターの妙技も「だからどうした」となり、 もうサッカー自体が意味をなさなくなります。 時間内に何回ゴールするか、その回数で勝ち負けが決する、これがサッカーのルールなんだから、 としか言いようがない。 ではそのルールに何の価値がある、 果たしてそれは負けと言えるのか、 などと言い出したら、ただの面倒くさい人で、 「いいからお前もう、サッカー観るなよ」 と言われるのがオチです。 しかしこれはサッカーを例に取って言っただけのことで、人生もそうだといえます。 例えばある兵士が祖国のために戦死したとします。 その国で、彼は護国の英雄として讃えられます。 しか

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  • ゲノム編集ベビー・デザイナーベビーは人類の尊厳を問うのか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 ゲノム編集による「デザイナーベビー」が現実化してきました。 すでに農業の分野では遺伝子の配列を書き換え、 生産性の高い品種を作り出す技術は一般化し、 この夏にもゲノム編集品は店頭に並ぶ見通しと報道されています。 この技術は作物、家畜だけでなく、人間にも応用でき、 すでに昨年、中国の科学者がゲノムを編集して双子の赤ちゃんを誕生させ、 世界に衝撃を与えました。 人は生れたときにさまざまな個性を持って生まれます。 先天的に健康状態、容姿、知能指数、運動神経、みな違い、 私たちはさまざまな運命をいっぺんに受けます。 誰しも屈強な肉体で、頭脳は明晰、才能は豊かに、容姿も端麗で生れてきたかったとは思うものの、 これは人間の力ではどうにもできないことだとし、 キリスト教では「神が与えた運命」としてきました。 才能のことを「ギフト」と呼ぶのも、 ズバ抜けた才能の子供を「神童」と呼

    ゲノム編集ベビー・デザイナーベビーは人類の尊厳を問うのか - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 生きる目的がわからない人生を「生死の苦海」「難度海」と例えられた親鸞聖人 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 親鸞聖人は、私たちの人生を「生死の苦海」「難度海」と言われました。 180度、空と海しか見えない海で、苦しみの波と戦いながら泳いでいるのが私たちの姿だと説かれています。 「水平線に向かって泳ぐことに何の意味があるのか」 「いったいどこに向かって泳いだらいいのか」 親鸞聖人が人生を海に例えられ、私たちに何を教えられようとされたのでしょうか。 なぜ人生は生死の苦海なのか 仏教では、人生を「海」にたとえられます。 私たちは生まれると同時に、果てしない大海のど真ん中に放り出されたようなものです。 生まれ落ち、オギ

    生きる目的がわからない人生を「生死の苦海」「難度海」と例えられた親鸞聖人 | 生きる意味が分かる親鸞の教え