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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (36)

  • [書評]帝国日本と朝鮮野球 憧憬とナショナリズムの隘路(小野容照): 極東ブログ

    私はこの夏60歳になる。老人への道を辿りつつある。そう思うことのひとつには、自著にも書いたが、父が大正15年生まれであることについて、そう遠い歴史と感じられないことがある。 正確な期日は聞きそびれた。私の父は10歳から20歳まで朝鮮で暮らした。祖父の従兄弟の誘いから植民地で大家族を営んでいた。だが、彼はそうした家族を好まず、早々に満州鉄道学校の寄宿舎に入った。朝鮮人と一緒に少年期と青春期を過ごした。野球もした。私は父からそうした感覚を受け継いでいる。だが私も老い、今の日人にはそうした歴史感覚は伝わらなくなった。そして歴史感覚が失われたとき、歴史の考察が始まるのだろうと、書を読みながら思った。 書は、その時代、植民地時代の朝鮮での野球を中心に、朝鮮における野球を歴史的に俯瞰的に扱ったである。と、いうと、いわば歴史筋ではなく、ディテールな、些末な歴史のようだが、実際に読まれてみれば

    [書評]帝国日本と朝鮮野球 憧憬とナショナリズムの隘路(小野容照): 極東ブログ
  • トランプ政権のシリア空爆をどう見るか?: 極東ブログ

    トランプ政権によるシリア空爆をどう見るか? たぶん、こういう見方が出るんだろうなという見方が、ダイヤモンドオンラインに掲載されていたのをたまたま見かけた。軍事ジャーナリスト・田岡俊次による「米シリア攻撃の大義名分「化学兵器使用」は当にあったか」(参照)である。その論点の1つは、「シリアが化学兵器を使ったとは思えない」ということで、その理由が「いくつか」示されている。 問題提示としては、「アサド政権が化学兵器使用したのか?」として理解できる。だが、そうすると、「アサド政権なのか?」という疑問と「サリン等の神経ガスか?」という疑問が重なる。同議論では、後者についてはあまり触れず、前者については「旧ヌスラ戦線の「自作自演説」や、シリア軍の航空攻撃の際の「飛散説」の方が可能性は高いと思われる」としている。その上で同議論は、2003年のイラク攻撃と同様に国連安保理の決議もなく進めた軍事行動であり、

    トランプ政権のシリア空爆をどう見るか?: 極東ブログ
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    kilminwq 2017/04/11
  • 朝鮮有事の可能性について: 極東ブログ

    あまり国内での議論に目をとおしていないので突飛な意見になるかもしれないが、これまでのこのブログでの延長的な課題でもあるので、現下の朝鮮有事の可能性について印象程度の話だが触れておきたい。 端的に朝鮮有事はありうるかというと、まず、ないと断言できる要素はない。むしろ断言できないということが確実だろう。表面的な対立の構図は北朝鮮対米国である。ここで最終的な、軍事的な選択は排除されない。ではその場合、どのような有事となるのか。3つあるだろう。 1つめは、北朝鮮のミサイルや核兵器関連とみられる施設を奇襲空爆することである。10年前になるがシリアに対してイスラエルが実行した(参照)こともあり異常な作戦とも言えないが、現状の対北朝鮮となると規模は拡大するだろう。この議論については、3月24日付けのロイター「コラム:トランプ大統領、北朝鮮に「禁断のカード」切るか」(参照)にくわしい。 2つめは米軍が韓国

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    kilminwq 2017/04/10
  • やあ、僕だよ。久しぶり。: 極東ブログ

    やあ、僕だよ。久しぶり。 ブログに書きたいことがなかったわけでもないんだけど、まあ、いろいろあってね。さて、なんの話にするかな。森友学園? まさか。もっとつまんない話がしたいんだ。ブログなんてそう、そもそもつまんないもんじゃないか。 昨日だった。ダイヤモンド・オンラインというサイトで『自民党「愛煙家」議員暗躍!受動喫煙対策法案は骨抜きに』という記事を見かけた(参照)。内容はわかりやすい。表題から想像が付くと思う。でも、ついでにリードも引用しておこう。こういう話だ。 森友学園問題や南スーダンの自衛隊の日報問題など課題の多い第193回通常国会のなかで、政府が成立を目指そうとしている1つの法案がある。2020年の東京五輪に向けて制定を目指す受動喫煙対策法案だ。受動喫煙の制限促進に好意的な世論を考えれば、速やかに制定してもおかしくないこの法案。だが、自民党内の強硬な反対もあり、法案成立の目途は見え

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    kilminwq 2017/04/05
  • 「津久井やまゆり園」事件、雑感: 極東ブログ

    神奈川県「津久井やまゆり園」で元職員の男が、同施設の入所者、年齢19歳から70歳の男性9人・女性10人を刃物で殺害する事件が起きたのは、先月26日のことで、もうしばらくすると1か月になる。事件は日国のみならず世界を震撼させる話題となったが、海外での受け止め方は、①これはISなど宗教・政治的なテロではないこと、②日では大量殺人は非常に珍しいこと、の2点に集約されていた。対して日では、全日自閉症支援者協会の声明に見られるように、ヘイトへの危険性として受け取られることが多かったように思われた。また、ネットなどでは優生思想の危険性が政局の枠組みと関連づけられて語られている様子もしばしば見られた。 例えば同協会の声明の事件の認識の核は次のようだった(参照)。 今回の事件の詳細については、十分に把握できない状況ですが、警察の被疑者への取り調べやメディアを通じた情報によれば、被疑者は、「障害者は

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    kilminwq 2016/08/22
  • 2016年の参院選についてたぶん、どうでもいい話: 極東ブログ

    さて、2016年の参院選についてたぶん、どうでもいい話なのだが、自分の住んでいる東京選挙区で誰を選ぶかというのはとても悩んだ。比例の政党としては、金融緩和政策をもう少し進めてほしいし、それができそうなのが安倍首相率いる自民党しかなさそうなので、「自民党」とした。よく誤解されるが、特段、自民党支持者ということではない。そう言っても通じない人には通じないだろうけど、まあ。 ただ、それじゃあ、とりあえずであれ自民党を支持するというなら、個別にも自民党推薦に入れるかというと、中川雅治さんを選ぶ気にはならなかった。志村けんみたいに「あいーん」とかパフォーマンスやってくれるとちょっと気が変わったかもしれないが、大蔵官僚上がりかよぉなのと、ちょっとやーな挿話も覚えていた(参照)。神奈川県民だったら、金子洋一さんに1票入れていた。朝日健太郎さんについては、すまん、私はそもそもがスポーツマンというのが好きで

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    kilminwq 2016/07/13
  • 中東民族衣装を国家はどう扱うか、というか、もうちょっと微妙な問題: 極東ブログ

    米国を中心とした海外圏ではけっこう話題になっていたが、これって日国内では話題になるだろうか、とググってみたときはなかったように思ったが、今このブログを書く前に再度ググったら、AFPが拾っていた。間違った記事ではないのだが、これ、なかなかに含蓄深い。ようは、中東民族衣装の男が米国でISに間違われて暴力的に拘束された、という話題である。すぐに誤解が解けたものの、ちょっと冗談のような話である。が、このニュースの論点は、米国の警察っておバカなことするな的な問題でもない。 まず、AFPで拾っておこう。「民族衣装で過激派と勘違い? 米でUAE市民拘束、政府が抗議」(参照)より。 【7月4日 AFP】アラブ首長国連邦(UAE)政府は3日、同国市民のビジネスマンが(41)が滞在先の米国でイスラム過激派と疑われて拘束され「虐待的な扱い」を受けたとして、米大使館の高官を呼び抗議した。男性はUAEの民族衣装を

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    kilminwq 2016/07/06
  • 英国のEU離脱がもたらす安全保障上の論点: 極東ブログ

    英国のEU離脱について、前もってブログならではの予想記事を書こうかとも思ったが、自分なりに詰めのところが見えなかった。投票数日前から英国入りしてて現地報道をしていたNHKの香月隆之特派員も投票前に、英国民は「良心」によって残留を選ぶだろう、と、おそらくうっかり言っていたのが印象的だったが、私もそうした「良心」を信じたい気持ちはあった。が、結果は離脱となった。 ので、これからどうなるのかという、一種後出し議論がメディアで盛んになりつつある。辺境ブログでもネタを投じて起きたいとも思うのだが、日のメディアやジャーナリズムを見ていてしみじみ思うのは、やたらと経済にばかり関心をもっているものだなあということである。EUというのは、安全保障の枠組みでもあり、英国ではこの議論もけっこう盛んに行われていた。が、どういうわけか、日人はこの問題にあまり関心を持たないように見える。 これも日のジャーナリズ

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    kilminwq 2016/06/25
  • [映画] パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs): 極東ブログ

    以前から見ようと思って留意していたフランス映画「パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs)」を見た。邦題からも察せられるように教育をテーマにした映画である。日公開は2010年だが、元のフランスでは2008年の作品なので、現時点からすると少し古い時代になったかもしれない。が、教育環境にはそう大きな変化もないのだろうと思う。 物語は、と切り出してみて、さしたる物語はない。むしろ、ドキュメンタリー作品であるかのように見える。実は、そこにこの作品の映画としての真価があるのだが、それでも、物語っぽい部分を追ってみよう。 場所はパリ20区の中学校。パリの街はルーブル美術館のある1区から渦巻き状に区番号が振ってあって、20区が最後になる。つまり、パリのはずれということだが、その意味合いは、「ボンリュー(banlieue)」に近く、ボンリューというのは訳語は「郊外」だが、よく「ボンリュー

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    kilminwq 2016/06/22
    パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs): 極東ブログ: 以前から見ようと思って留意していたフランス映画「パリ20区、僕たちのクラス(Entre les…
  • 「バーナンキによる刺激策助言を受け入れるのに日本は13年も遅れた」とな: 極東ブログ

    ネットを見ていると、消費税先送りについて、アベノミクス失敗を示すものだから、安倍首相は辞任せよ、安倍内閣は総辞職せよ、といった議論が目に付く。日は自由主義国なので、いろいろな議論があってもいいだろう。私としては、さて他にはどんな議論があるのものかな、海外ではどうかな、とパラパラと各種の意見を見ていくと、WSJの記事で、ちょっと懐かしいものを見つけた。正確には、この記事が懐かしいわけではない。 記事は「バーナンキによる刺激策助言を日は13年も遅れて受け入れている(Japan is Taking Ben Bernanke’s Stimulus Advice 13 Years Late)」(参照)である。リードには「前連邦準備制度理事会(FRB)議長は10年以上も前から、日は金融と財政の刺激策が一対になっていると示唆していた」とある。 簡単にいうと、今回の、安倍首相による、さらなら消費税増

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    kilminwq 2016/06/03
  • 38歳のベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障問題担当)的問題について: 極東ブログ

    27日の、広島でのオバマ大統領の演説を執筆したのは、38歳のベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障問題担当)である。同日付の英紙ガーディアン記事「誰がヒロシマ・スピーチを書いたのか(Who wrote Obama's Hiroshima speech?)」(参照)に関連記事がある。同記事としては、38歳のベン・ローズ大統領副補佐官を浮き立たせるというより、全体としてはオバマ大統領の声をよく伝えたとしていた。また同記事には、彼を論じたニューヨーク・タイムズ記事についてのリンク(参照)もある。 で、まあ、そうした記事は比較的、38歳のベン・ローズ大統領副補佐官について、それなりに公平を意識して書かれているのだが、たまたま東洋経済サイトで「オバマ大統領「広島演説」は一大叙事詩だった 魂をゆさぶる、神がかり的なコミュ力」(参照)をざっと読んで、批判する意図はないが、ちょっと困ったなあとは思った。

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    kilminwq 2016/05/31
  • [書評] 公明党 創価学会との50年の軌跡(薬師寺克行): 極東ブログ

    二大政党という幻想が戦後日史から崩れ去って久しいとまでは言えないが、国民間の相反する利益代表が二つの政党によって国民の信を問うという、希望、というのだろうか、かつての期待といったものは、すでに失われてしまった、と見てよいだろう。こう言うと批判も多いと思うが、現実的に見て、民主党政権はそうした戦後史の期待をかなりみごとにゴミ箱に投げ込んでしまった。 そうであるなら、どうするべきか。普通に考えれば、一定規模の第三極の登場とともに、政治の世界の再編成が進むべきだろう。しかしここでも率直に言えば、みんなの党の末路を見るまでもなく、そうした期待も虚しくなった。それどころか、そもそも二大政党という期待自体、他の先進国でも崩れつつある。そしてそこで台頭してきているのは、具体的な政治プランを持たない反発的な衆愚主義のようなもの、である。日もそこに向かうのだろうか。 そうしたなか、現実の権力政党である自

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  • トランプ米大統領候補とオバマ大統領との差は中東観ではあまりないかもしれない: 極東ブログ

    米国大統領は米国民が決めればいいことなので、日人としては基的に国際情勢をどう読むかという知的関心以上には、それほど米国大統領選挙は興味がない。そのうえ、まあ、メディアがいくら騒いでもさすがにトランプ候補はないでしょと思う。それよりひどいクルーズ候補は論外。そもそも共和党の目はなし。するとヒラリー・クリントン候補か、にわか民主党サンダース候補か、だけど、同様にサンダースはないでしょう。なので、終了、と言いたいところだが、なぜか最後の詰めで確信が持てない。ヒラリー・クリントンもないよなあ、という思いが拭えない。 そうした文脈でしみじみトランプはないよなあと思いつつ、ふと、奇妙なことを思っていた。たとえば、この発言である。 中近東の人々と違って、東南アジアやアフリカの人々は、どうやってアメリカ人を殺そうかと考え続けてはいない。 つまり、「中近東の人々はアメリカ人を日夜どう殺害するかと考えてい

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    kilminwq 2016/04/16
  • 昭和の保育: 極東ブログ

    先日、「現代は少子化なので幼稚園も経営努力として保育にも関心を持っていることがある」という話を書いたところ、「なに言ってんのこの爺、昭和の話してんじゃないよ」みたいなコメントを頂いた。なるほど徳仁親王と同世代の私も爺という時代にはなったが、「それってどこが昭和なんだろうか」とも思った。昭和の保育っていうのは……とちょっと思って、そうだなあ、昭和の保育の話を書いてもいいなと思った。昭和という時代の保育がどうだったか、教えられないのかもしれないが、知らない人も増えてきたので、奇妙な誤解も生まれているかもしれない。 昭和の保育というが、昭和は大雑把に二つの時代に分けられると思う。あるいは、三つだろうか。戦前、戦後、もはや戦後ではない時代。昭和の戦争はメディアで映像的にもよく取り上げられるが、意外と戦争自体の時代は短い。日中「15年」戦争もあり、それも戦争期ではあるが、当時の世界情勢を見て特段に戦

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    kilminwq 2016/04/08
  • [書評] 「フランス人ママ記者、東京で子育てする」西村・ペプ・カリン著: 極東ブログ

    現代日育児事情にはさまざまな側面がある。地域や所得、教育による違いも大きい。全体像を知ることは難しいし、それには統計的な調査も必要になる。というのは確かなところだが、それはさておき、日人男性と結婚したフランス人女性が日で出産して子育てをするという、ちょっと珍しい事例の物語を読むと、むしろその特異な事例によって現代日育児事情というものの質がくっきり見えてくる。フランス人から日育児を見ると、その異なる視点から、日人としては「ああ、育児というものは、こういうものなんだなあ」というのがはっきりわかる。そして、ちょっとびっくりする。つまり、このはとても面白い。これから結婚や出産を考える日の若い世代の人は、一読しておくと良いと思う。 話は帯にあるように、「日人マンガ家と結婚したフランス人ママ記者による日仏子育て比較エッセイ」である。夫は、このの表紙や挿絵を描いているじゃんぽ

    [書評] 「フランス人ママ記者、東京で子育てする」西村・ペプ・カリン著: 極東ブログ
  • 実際、保育園に落ちたらどうするか?: 極東ブログ

    実際、保育園に落ちたらどうするか? この話題の経験談的な側面は当初自著に含める項目のつもりだったが書籍全体のバランスを考えて落とした経緯がある。他にも家事分担のコツのような話題も考えていたが落とした。また何か機会があれば書籍として書きたいものだと思いつつ、ブログに書くような話題でもない。そうこうしているうちに時は過ぎてしまった。が、よい機会でもあるので、現時点で少し整理してというか、思い起こしつつ書いてみたい。あまり正確ではないかもしれないし、なんの役にも立たないかもしれないが。 保育園落ちて「日死ね」という気持ちになるのはわかるという人は多いだろうし、それはその文脈の議論があるだろう。ただ、他方、現実的に保育園に落ちた子供をどう対応するかという現実的な問いは依然残る。 今回、そうした現実対応の話題が出てくるのか、とざっと見ていたが、見ていた範囲では見かけなかったように思う。いくつかざっ

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    kilminwq 2016/04/05
    実際、保育園に落ちたらどうするか?: 極東ブログ: 実際、保育園に落ちたらどうするか?…
  • 脱文脈化ということ: 極東ブログ

    昨日、一昨日と、書いてみました的な話題だったが、はてなのinumashさんが二つともう読んでくださって(ありがとう!)、昨日のには、こうしたコメントをされていた。まあ、こう。 inumash こうやってごく基的な経緯すら把握していないくせになんぞ深刻ぶった顔で的外れな分析ばかりしてるから、「ブログを10年以上も続けてきた」にもかかわらず貴方の声に動かされる人間が出てこなかったんでしょうね。 愉快だった。読み違えしているかなと思えるのは一点、「深刻ぶった」というくらいで、どうも「バブー」のベタは受けなかったようだ。つまり、他の指摘は当たっていると思った。二つある。 一つは「こうやってごく基的な経緯すら把握していないくせに」である。まあ、それでいいと思う。他のはてなーず(「女子ーず」みたいだな)のコメントに、「私はシャルリだ」の背景もわからんのか爺、みたいのもあった。 どう理解されているか

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    kilminwq 2016/04/04
    脱文脈化ということ: 極東ブログ: 昨日、一昨日と、書いてみました的な話題だったが、はてなのinumashさんが二つともう読んでくださって(ありがとう!)、昨日のには、こうしたコメントをされていた。まあ、こう。 inumash
  • 「保育園落ちたの私だ」ということはどういう意味だろうか: 極東ブログ

    ツイッターで「保育園落ちたの私だ」というタグを見たとき、その後ろに「ばぶー」とかつくのかと思った。そうではなかった。「私の子供を保育園に預けることができなかった」という意味だと理解したのは、しばらくしてからだった。それから、ゼロ歳児を保育園に預けるのは大変だろうなと思った。なぜ、そう思ったかについては後に回したい。 この話題でそうこうしているうちに、「保育園落ちたの私だ」という国会前デモがあることを知り、少し奇妙な違和感を覚えた。これも後で触れると思う。ただ、当然、反感とかではない。市民がどのような示威活動をするのも自由であるからだ。 それから、その文脈の報道に接して「女性」という言葉がよく現れることにまた少し奇妙な違和感を覚えた。これもまた後で。その前に、そうした文脈の一つを上げておくと、たとえば表題に「母親ら」とある次のような記事である。毎日新聞「母親ら、改善求め厚労相に署名提出」(参

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    kilminwq 2016/04/03
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

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    kilminwq 2016/04/02
    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ: すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろ
  • 中野劇団員殺害事件のこと: 極東ブログ

    昨年8月、中野区で起きた若い女性の劇団員殺害事件について、その当時、NHKのニュースでそういう事件があったということは知っていた。報道によると、被害者の自宅アパートでの殺人とのことなので、知人による痴情のもつれではないかとの印象をなんとなく持った。ゆえに早晩、容疑者も絞られるだろうとも思っていた。私の関心はそこで終わった。私はこの手の世間のニュースには関心をもたないのである。案の定その後、世間ではこの事件の話題が盛り上がっていたようだったことも私が興味を失う理由であった。 が、年末頃だっただろうか、この事件が未解決状態であることを知り、そのことに興味を持った。私は世田谷一家殺害事件のように未決事件というものには関心を持つのである。なぜ、中野劇団員殺害事件は数ヶ月しても未解決なのだろうか? その時点で事件が何であったのか気になりだした。まず、それはどういう事件で、どのように初報道されたのか。

    中野劇団員殺害事件のこと: 極東ブログ
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    kilminwq 2016/03/21