タグ

personとgameに関するkirara_397のブックマーク (5)

  • Touch-DS.jp - 社長が訊く 『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』

    岩田 今日はご無理をお願いして、 わざわざ京都までご足労いただきました。 堀井さん、すぎやま先生、ありがとうございます。 堀井・ すぎやま いえいえ。 岩田 この「社長が訊く」のコーナーは Wiiを開発した頃からはじめていまして、 もともと社内の開発者の話を訊く、ということから スタートさせたインタビュー企画なんです。 ですから、任天堂以外のソフトの話を 訊かせていただくのは初めてのことになるんですが、 今回、どうしても実現させたかったんです。 ふだんは、最初に自己紹介からはじめるんですけど、 改めて自己紹介をしていただくまでもないほど、 おふたりのことは、どなたもご存じだと思います。 そこでまず、ちょっと変な話からしたいと。 わたしと『ドラクエ』との関わりについて、 世の中にはあまり知られていないことがひとつありまして・・・。 堀井 それは? 岩田 初代の『

    kirara_397
    kirara_397 2009/07/06
    あの頃の熱気が蘇ると良いなあ>IX
  • トラウマになるので音楽は後からつけたほうがいい――チュンソフト 中村光一氏(前編)

    自由な発想と情熱が大事 左がチュンソフト代表取締役社長・中村光一氏。右がヒライタケシ氏。閑静な住宅街にひっそりと営業しているSALON DE HIT TAMA GOODが今回の取材場所。ゲームの話を肴に宴が催された 平井武史氏(以下、敬称略) 最初に、簡単なプロフィールを教えていただけますでしょうか。まずはゲームとの接点を。 中村光一氏(以下、敬称略) 高校に入学した頃、インベーダーゲームが大ヒットしており、好きで遊んでいました。高校に入学して、パソコン同好会の先輩にプログラミングを教わりながら、アルバイトしてPC8001を購入したのがきっかけですね。当時、IOという雑誌にプログラムを投稿して少額の印税を稼いでいまして、ちょうどその頃、エニックスがコンテストを開催したんです。そして、高校3年の時に作って応募したのが「ドアドア」なんです。それで優秀賞をもらいました。 平井 ボクはその頃中学生

    トラウマになるので音楽は後からつけたほうがいい――チュンソフト 中村光一氏(前編)
    kirara_397
    kirara_397 2009/04/10
    中村光一氏、初めて見た。
  • 活字中毒R。

    『日を変えた10大ゲーム機』(多根清史著・ソフトバンク新書)より。 【1989年に発売されたゲームボーイの名前に、ファミコンのように<コンピュータ>という文字が含まれなかったのは象徴的だ。この新型ゲーム機は、<おもちゃ>であることに徹していた。おもちゃとは、子どもや大人を問わず、誰もが一目見ればすぐに遊べて、乱暴に扱っても壊れないものだ。「分かりやすさ」と「堅牢性」では、並の家庭用ゲーム機は足下にも及ばない。 そして任天堂には、長年の経験に裏打ちされた「おもちゃを見るプロ」かつ「ゲームの素人」で、しかもゲームボーイの企画をちゃぶ台返しできる人物が一人いた。当時の社長・山内溥その人である。 山内にまつわる二つの逸話は、どちらもすさまじい。一つは、ゲームボーイの試作機をプレイしてみたときのエピソードだ。当初の試作品は、ゲーム&ウォッチと同じ、斜めから見やすい「TN液晶」を採用していた。これは

  • 三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな ~任天堂社長 岩田聡氏~ - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

    ちょっとご無沙汰しておりました「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな」。梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく」で下記の文章に大変感銘を受けたことをきっかけにスタートしております。 「三十歳から四十五歳」という難しくも大切な時期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。(P194) 今回ですが、梅田望夫さんのウェブブック「生きるための水が湧くような思考」の中で、若者たちの新しい「ロールモデル」(お手)として見つめ直す必要がある。」と記述されている人物。その名は任天堂代表取締役社長 岩田聡。 当時ソニー「プレイステーション2」の後塵を拝していた任天堂の代表取締役社長に就任後、ニンテンドーDS/DS Lite、Wiiを世に送り出し、瞬く間に任天堂を首位の座に返り咲かせた立役者、岩田聡。現在のその華麗な実績に至るまでの30歳から45歳の道のりは、極めて苦しく険しいものでした。今回は岩田聡さん

    三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな ~任天堂社長 岩田聡氏~ - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談
  • 任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ ~最強の55歳~

    任天堂の宮茂やWiiに関するNew York Timesの記事。 http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。 追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも 「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」 宮茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。 ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いて

    任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ ~最強の55歳~
  • 1