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ソ連に関するkmay518のブックマーク (2)

  • 葛根廟事件を知ってますか…日本人1千人を殺害したソ連軍の暴虐 「最後」の慰霊祭

    先の大戦末期、満州に侵攻したソ連軍によって日の避難民が虐殺された葛根廟(かっこんびょう)事件の慰霊祭が14日、東京都目黒区の五百羅漢寺で営まれた。事件の生存者らで作る興安街命日会が主催してきたが、高齢化によって解散し今回が最後の式典となった。(大森貴弘) 葛根廟事件は昭和20年8月14日に発生した。旧満州の興安街に住んでいた日の民間人が避難の途中にソ連の戦車部隊に襲われ、1千人以上が犠牲になった。慰霊祭には遺族ら約50人が参列し、お経を読んで慰霊碑に手を合わせ冥福を祈った。 興安街命日会は昭和45年に発足し毎年慰霊祭を取り行ってきたほか、風化を防ぐため事件の証言集なども刊行した。平成13年には現地で法要を実施。中国政府が慰霊碑などの建立を許可しなかったため、テントを広げて仏像を安置した。 代表の大島満吉さん(87)は、会を設立した父の肇さんから引き継ぎ平成14年に就任した。事件で妹を亡

    葛根廟事件を知ってますか…日本人1千人を殺害したソ連軍の暴虐 「最後」の慰霊祭
  • ソ連軍による占領 | 北方領土問題とは | 北方領土 | 町の政策 | 行政情報 | 北海道別海町

    昭和20年(1945)8月28日、ソ連軍が択捉島留別村に上陸以来、北方四島の島々はすべてソ連軍によって占領されてしまいました。 歯舞、色丹、国後の各島の居住者の中には、ソ連軍の手を逃れて漁船で根室方面に脱出するものが多く、しかし脱出時にソ連軍に発見されたり、あるいは荒波で船が遭難して命を落とした人が相当あったといわれています。 脱出者数は、終戦当時の北方四島居住者の約半数といわれ、主として北海道の根室支庁管内に近い、歯舞群島、色丹島、国後島の島民の人たちでした。 しかし、択捉島の場合は島が最も遠く、しかも予期せぬソ連占拠が最初に行われたこと、脱出できるような船が無かったことなどがあり、ほとんどの全島民はソ連軍占領のもとにやむを得ず残留し、以後、ソ連の指導下にあって、心身ともに不自由な生活を余儀なくされることになります。 私有財産は取り上げられ、自分の土地も畑も使用できず、家畜の馬や牛も奪わ

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