ソ連と教養に関するkodai795のブックマーク (41)

  • ロシア人のように元旦を過ごすための7つの決まり

    ロシアでは大晦日が最大の祝日だ。皆がとても楽しみにしていて、盛大にお祝いする。それもとても贅沢に。それに加えて、準備にもとても時間をかけ、贈り物やご馳走にお金を使うことも惜しまない。そして、2日間かけて料理をし、膨大なサラダを作るのだ。 そう、1月1日の様子を見れば大晦日がいかに楽しいものであったかが分かる。 1.二日酔いになる 待ちに待った大晦日の夜、ロシア人は思いきりお祝いする。着飾って、べて、飲んで、ダイエットや健康のことも一時忘れる。花火をし、踊り続けて寝るのも忘れて楽しむのである。 よく言われることは、もし大晦日に何が起こったか全部覚えていて、二日酔いもしていなければ-新年のお祝いは失敗だったということである。 2.お昼近くになって起き出す

    ロシア人のように元旦を過ごすための7つの決まり
  • ロシア版「牢名主」その他の面々:監獄と犯罪界のヒエラルキーをのぞいてみよう

    「ヴォール・ヴ・ザコーネ」(規律ある泥棒)は、犯罪界の上位を占める大親分たちだ。大いにリスペクトされるこの大物たちは、刑務所の内でも外でも、犯罪界の大半を支配しており、一定の基準を満たすことで、このカーストを形成している。 「ヴォール・ヴ・ザコーネ」になりたい者は、たとえば、まず泥棒仲間のなかで揺るぎない尊敬を集め、多数の前科をもち、さらに治安機関に絶対に協力してはならない。 「ヴォール・ヴ・ザコーネ」たる者は、厳格な行動規範、いわゆる「泥棒の仁義」を尊重し遵守する。その主な原則は、泥棒としての在り方をあくまで貫き、くどいようだが、刑務所の職員、看守を含め、あらゆる治安機関に協力しないことだ。 「ゾーン」(これは、最も規律が厳しい監獄を意味する俗語だ)に投獄されると、「ヴォール・ヴ・ザコーネ」は「オブシャク」(共有の現金)を管理し、独自の掟を定める。そして、その一連の掟「ポニャーチヤ」(観

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  • «Тоже мне подарок!»:ロシア語でひと味違った意見の言い方をしてみよう

    今回は、(肯定的、否定的…)評価を表す構文について説明しよう。評価を表す構文などと言うと、難しそうに聞こえるかもしれないが、根拠を示す議論や意見交換はそれなしでは済まない。 マルチタスクの能力は、現代では宗教のように崇められる。渋滞に巻き込まれて、仕事のメールに返信しながら、付属のオーディオブックの音量を調整する。片手でコンロ上の夕をかき混ぜ、片手で子供の宿題を直し、目の隅でテレビのお気に入りのトークショーを見る。 メカニズムとしての言語は、マルチタスクの原則にも沿っている!1つのフレーズで、外的状況を説明するだけでなく、評価(好き/嫌い)を表現し、しかも、もし相手と意見が違った場合には、相手を説得することもできる(つまり、「私は正しいが、君はそうじゃない」という意味を込められる)。 例として、«Говорю тебе, Ванечка стал выше!»(いいかい、ワーニャは背が伸

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  • ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.25 〜ロシアを走って感じた「ご当地事情」〜 - dino.network

    いまでも多くの人に聞かれる事、宿、買い物などといったロシアの「ご当地事情」ユーラシア大陸横断の旅を終えて、東京に帰って来たら、痩せていた。ベルトをしなくてもぴったりとフィットしていたジーンズはブカブカだし、キツかったジャケットは、ちょうどよくなっている。 「痩せた?」 旅のことを知らない知人でも、何人かが訝しんでいたから、間違いなく痩せて見えたのだろう。 思い当たるフシは、ただひとつ。旅行中の摂取カロリーが少なかったのだ。特に、ロシアでは「美味しいものをたらふくべた」という記憶がない。 ロシア旅行中の“”をどうするかという課題は、結局、出発してみるまでは解決しなかった。 ウラジオストク、ハバロフスクを離れ、内陸部へと進んで行くに従って、心配していた通り、事&料事情は悪化していくばかりだった。 べ物を買うことができるのは、小さな街の料品店やキオスクのような売店などに限られる。

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  • 興行収入がもっとも多かったソ連映画10選

    ここで紹介する映画を観れば、ソ連の人々のメンタリティがどのようなものだったのか、すぐに理解することができるだろう。戦争映画、スパイ映画、海賊もの、メロドラマ、ジェンダー問題を扱ったコメディなど、ソ連で大きな人気を博した10映画作品を紹介しよう。 ソ連時代、映画はもっとも人気のある娯楽の一つであった。映画は比較的安価で、誰もが楽しめるものであり、映画館は小さな町にも必ずあった。いくつかのソ連映画の観客動員数が記録的な数字となったのは、こうした背景があったからだろう。そしてこれらの映画はいまでも、世代を超えて愛される作品となっている。 10. 朝焼けは静かなれど(1973年) 第二次世界大戦を描いた心を打つ作品の一つ。ソ連の作家、ボリス・ワシリエフの同名の小説映画化したものだが、戦闘シーンはそれほど多くなく、サディスティックな戦争の恐ろしさも描かれていない。これは、5人の若い女性兵を送り

    興行収入がもっとも多かったソ連映画10選
  • ロシア軍で過ごす一週

    もしロシア軍に徴兵されれば、「ゴムの水曜日」「青い木曜日」など、一週を通して思いもよらない経験をたくさんすることになるだろう。 ロシアでは今なお志願制と並んで義務的な兵役制が保たれている。18歳以上の若者、教育機関を卒業した若者全員が、一年だけとはいえ(以前は2年だった)ロシア軍に入隊する。その多くが厳しい生活条件や新兵いじめに恐怖を感じ、入隊を恐れている。兵役を刑務所での服役に例え、人生の貴重な一年の喪失と見る人もいる。 もちろん、どの軍種に配属されるかによる部分も大きい。しかし入隊するからには、この試練をユーモアで乗り切り、目の前の現実に利益を見出し、服務と軍隊生活から満足を得られるよう努めた方が良い。 では軍隊生活で何が待ち受けているのか、どう乗り切れば良いのか、お話ししよう。 「指揮官の月曜日」 軍の一週間の始まりはいつも波乱万丈で大忙しだ。指揮官の「中隊、起床!」という怒鳴り声で

    ロシア軍で過ごす一週
  • 冷戦時代、「ソ連軍を迎え撃つ決戦場」だった北海道の村 歩いて見えた、その理由:朝日新聞GLOBE+

    ■決戦用の戦車部隊 私たちは10月半ばの午前9時半、音威子府から52キロ南に下った名寄を出発した。郊外には、音威子府に一番近い陸自名寄駐屯地がある。 松村さんによれば、自衛隊は当時、定員割れに苦しんでいたが、北海道の部隊だけは定員を満たしていた。第2師団は当時9千人で充足率100%だった。陸自の隊舎は2段ベッドが普通だが、名寄だけは3段ベッドが導入されていたという。有事になれば、松村さんらの戦車部隊は名寄の普通科(歩兵)部隊などと合流し、戦闘団をつくって現地に向かう手はずになっていた。 陸上自衛隊第2師団名寄駐屯地=牧野愛博撮影 松村さんは当時、自衛隊が導入を始めた74式戦車4両を指揮する戦車小隊長だった。74式は61式に次ぐ2代目の国産戦車で、音威子府付近を流れる天塩川を渡河できるように設計されていた。重量38トン。不整地での燃費は1リットルあたり約200メートル。約800リットルを積載

    冷戦時代、「ソ連軍を迎え撃つ決戦場」だった北海道の村 歩いて見えた、その理由:朝日新聞GLOBE+
  • エセーニンと「神話創造」:彼はいかに愛国詩人となったか

    セルゲイ・エセーニン、1916年(左)、1924年(右) Russia Beyond (Lev Ivanov, Sputnik) セルゲイ・エセーニン(1895~1925)は、ロシア最高の詩人と自認したが、自分自身の居場所を見つけることはついにできなかった。彼は何者だろうか――田舎の青年、悪戯好き、あるいは名声を求める狡賢い人? 田舎の若者が、巨大都市サンクトペテルブルクにやって来た――貧農の装いで、みすぼらしい鞄一つをぶら下げて。駅から真っすぐ、彼は、自分の「偶像」のところへ、つまり今を時めく大詩人、アレクサンドル・ブロークの住まいを探しに、出かけた。ただ彼に会うためだけに…。 しかしこれは、セルゲイ・エセーニンが自分についてつくり出した多くの神話の一つにすぎない。20世紀初頭、ロシアの詩壇は才能に溢れていた(もちろん、三文詩人も…)。有名になるには、トリックや神話づくりに頼ることも必要

    エセーニンと「神話創造」:彼はいかに愛国詩人となったか
  • ロシア北部とプリモーリエ(沿海地方)の超衝撃的料理

    寒い地の果てでは人々は何をべているのだろうか?実は、ロシアの少数民族は、かなり過激なものをべている。この記事には、生々しい料理の描写と画像が含まれている。衝撃や不快感を与える可能性があるため、ご注意いただきたい。 魚がたくさん収穫できるところでは、魚でデザートまで作ってしまう。そんなわけで、魚の鱗と皮を使ったゼリーができるのも当然のことと言える。ウデへ人(2010年時点で人口1,500人)のゼリーの作り方は次のようなものである。サケの皮を乾燥させ、鱗をとり、牛乳を加え、弱火でゼリー状になるまで煮る。ゼリーはこれでほぼ完成なのだが、これを熱いまま器に入れ、ベリーや砕いたナッツやドングリを入れ、冷ましていただくのである。 キヴィアク 鳥を詰めたアザラシ 少し心の準備はできただろうか?次に紹介するのはエスキモーたちのかなり独特なお祝いの料理である。これは珍味であるだけでなく、長い極夜の時期に

    ロシア北部とプリモーリエ(沿海地方)の超衝撃的料理
    kodai795
    kodai795 2021/09/10
    北極のグロテスクな食文化の裏には、これを食べざる得ない過酷な環境がある
  • 北方民族でなければ命を落としてしまう危険な料理

    それは、北方民族の間では珍味とされているが、それ以外の地域の人がべると翌日にも命を落としてしまう可能性がある。1970年代に実際にそのような事件もあった。 北方民族の伝統料理は、他の地域の人々にとってかなり衝撃的なものである。たとえば、トナカイの熱い血や濃厚な「血の」スープ、トナカイの胃の中にある未消化の内容物などをべてみようという勇気のある人はそういないだろう。ではデザートにはどのようなものがあるのだろうか?実はデザートも、当に好きな人でないとべられないものである。北方のアイスクリームは、ベリー類で「味が整えられているものの」、セイウチまたはアザラシの脂身でできているのである。 しかし、北方のもっとも奇妙でもっとも危険な珍味といえば、コパルヒン(クィムグートとも呼ばれる)以外にない。子どもの頃からべ慣れていないと、命を落としてしまう危険性のある代物である。 「嘔吐、意識喪失、肝

    北方民族でなければ命を落としてしまう危険な料理
  • 【簡易まとめ】ソビエトの農業について

    田中ピカチュウ @USSR1945_5_9 「ソビエト連邦を超大国のまま存続させてみる」読んだ! ncode.syosetu.com/n1088gf/ #narou #narouN1088GF うーんネップマンが都市部で飢える民衆を尻目に「まだまだ農作物の値段は上がる!」なんて資主義のクソみたいなとこを煮詰めたような行動したものがどうスターリンに認められるか脳内補完できん 2020-05-11 21:49:56 田中ピカチュウ @USSR1945_5_9 ソビエトの農業集団化そのものが問題だったのかにも疑問が残るところではある気がする ソビエトの農業生産高は1940年が最大で(41年に一大穀倉地帯を焼き払われ地雷まみれにされてる)その後一度もピークに達しないが、それでも崩壊前の時点で世界第二位の農業国だし 2020-05-11 21:52:09

    【簡易まとめ】ソビエトの農業について
  • ソ連のホームドラマ7選:庶民の悩みと希望を映し出した映画

    家庭の諍い、喜劇、ドラマ、魅力的なキャラクター、母子家庭の子供、理想的な愛…。何かのソ連映画は、家庭の男性、女性、両親その他の人間関係を、千の言葉よりもよく描き出している!そうした名画が実際どれだけ現実に近いか見てみよう。 ソ連時代には、映画のホームドラマもまた、他の形式の視覚芸術と同じく、理想社会への志向を見せることを目的としていた。しかし、ここにパラドックスがある。ほとんどのソ連映画は、それなりに現実との接点があったが、実のところ、人々が映画を見に行ったのは、困難な現実から束の間逃れるためだった。 第二次世界大戦とスターリンの大粛清の結果、人口統計上の巨大な不均衡が生じた。それは主に、男性の「遺伝子プール」を破壊し、ソ連の男女関係を歪んだものとした。 問題は、ソ連の全世代のかなりの部分が父親なしで育ったということだ。戦後、父の不在は、男女間に根的に異なる関係をもたらした。父の不在、

    ソ連のホームドラマ7選:庶民の悩みと希望を映し出した映画
  • 現代も使えるソ連式しつけの10の原則

    ソ連は天才的な研究者、優れたスポーツマン、そして創造的な知能が溢れていることで広く知られていた。これは優秀な遺伝子プールだけでなく、ソ連のしつけにおける原則によっても説明することができる。その原則をいくつか紹介しよう。 ソ連における幼年時代というもの、そしてソ連で子どもたちがどのように育ってきたのかということを理想化する必要はない。そこには多くの暗い面があり、一義的とは言えない規則があった。もっとも有名なものを挙げるなら、「できないなら、教えよう。したくないなら、やらせよう」というものだ。 ソ連のしつけにおける多くの原則は1930年代に伝説的な教育者アントン・マカレンコによって打ち立てられた。当時ロシアにはホームレスの子どもたちが多数存在し、そうした子どもたちは後に犯罪者になった。そこで政府はホームレスの子どもたちを通りから集め、孤児院に収容したが、それらの子どもたちを“普通の子”にするの

    現代も使えるソ連式しつけの10の原則
    kodai795
    kodai795 2021/08/23
    戦後教育にソ連方式が導入されていたのは有名だが、確かに似ているところがあるな。
  • ロシアの絶滅寸前の伝統木造家屋

    インスタグラムのアカウント@oldrussianhousesは、ロシアの典型的な木造住宅の画像を投稿している。ロシアでは、都市部から数キロ歩くと、このような家が見えてくる。

    ロシアの絶滅寸前の伝統木造家屋
  • 知っておくべきソ連の主要な芸術家10人

    芸術学者で、モスクワのトレチャコフ美術館で開かれた展覧会「社会主義リアリズム・メタモルフォーゼ・ソ連芸術1927〜1987」のキュレーターを務めるアレクサンドラ・ハリトーノワが、20世紀半ばに活躍した重要なソ連の芸術家10人を選んだ。ハリトーノワ氏は、このうちのほとんどはプロパンダ芸術という枠を大きく超越した存在だったと言明している。

    知っておくべきソ連の主要な芸術家10人
  • 1990年に秘密の美女コンテストで優勝した「ミスKGB」とは誰か

    1990年10月のある朝、ある女性の写真がコムソモールスカヤ・プラウダ紙の一面に掲載された。彼女の名はカーチャ・マヨーロワ。記事の写真を見る限り、若くて魅力的な女性だ。ただし物騒なポーズを取っている。手にしているのは拳銃だ。 見出しには「ミスKGB」とある。しかし、世界で唯一「保安機関の美女」という奇妙な称号を持つカーチャ・マヨーロワは、一体どのような人物だったのだろうか。 KGBの新たな顔  ミハイル・ゴルバチョフが、ソビエト政権の透明性を高める新政策「グラスノスチ」を敢行していたにもかかわらず、KGBは依然としてソ連で最も機密性の高い機関の一つであった。この強大な組織は、真面目で広く恐れられる情報機関というイメージで、不真面目なこととは無縁のようだった。 このため、KGB職員を若く明るい魅力的な女性として紹介する新聞記事を見たソ連の読者は驚いた。外国の特派員も、謎めいたミスKGBに関心

    1990年に秘密の美女コンテストで優勝した「ミスKGB」とは誰か
  • ロシアでもっとも危険な植物のひとつを紹介しよう

    バイカルハナウド(ソスノウスキーのホグウィード)は一見したところ安全で害のないように見え、ディルに似ているからと言って騙されてはいけない。この悪魔のような植物の狙いは、人に泣き叫ぶような痛みを与え、場合によっては死に至らすことである。 ロシア人は夏になると、特別な防護服を身に着け、刃の鋭いスペード(踏みすき)を手に持ち、バイカルハナウド(ラテン名=Heracleum)に立ち向かう。このディルに似た巨大な植物は、命を危険に晒すだけでなく、文字通り道路ぎわから私邸の庭にもどこでも生長する。では、なぜそこまで危ないと言われているのだろうか? バルカンハナウドがロシアにもたらされた背景 第二次世界大戦後の困難な時期、ソ連で農業生産の再興が必要とされる中、バルカンハナウドの物語は始まる。集団農場の指導者たちは、動物たちの飼料問題を抱えており、安価なかいばを求めていた。そして農学者はトルコやジョージア

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  • ロシア革命の理解を深める映画6選

    1917年に起きたロシア革命とそれに続く内戦、そしてソヴィエトという新たな政権の樹立は今なお、画家や作家から建築家、作曲家にいたる芸術界全般にインスピレーションを与え続けているが、もちろん映画監督もその例外ではない。 以下は革命時代の歴史と人々の感情をよりよく理解し、新たに解釈する助けとなる映画6作品である。 1.「10月(世界をゆるがした10日間)」(1927年) セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による革命3部作の最終作。監督自身、この作品に関して、革命は「わたしにもっとも大切なものを与えてくれ、わたしを芸術家にした」と述べている。革命3部作はデビュー作品の「ストライキ」が1作目、黒海で反乱を起こした戦艦ポチョムキンとその船員たちを描いた映画史上屈指の名作「戦艦ポチョムキン」(1905年)が続く2作目となった。「10月」は革命についての映像の集大成であり、そこにはニコライ2世の銅像の破壊

    ロシア革命の理解を深める映画6選
  • 地下核実験はいかに、またなぜ行うのか?

    1949年8月29日、ソ連の原爆が初めて炸裂した。後に、その実験に携わった者の1人、ケシュリム・ボツァエフは、次のように回想している。 「閃光にさらされたソウゲンワシやタカは、恐ろしい光景を呈していた。片側の羽毛は焦げ、目は白くなっていた。通信ケーブルの上にとまったまま、我々が近づいても身動きもしなかった。ある場所には、死んだ豚が転がっていた。黒く焼け焦げて膨れ上がっていた。医師たちはそれを他の場所に移すいとまがなかったのだ。とにかく恐るべき光景だった。この偉大な発明は、人類に対しこんな恐ろしい結果を約束しているわけだ」 ソ連最初の原子爆弾は、1949年にセミパラチンスク核実験場(カザフスタン東部)で炸裂した。しかしこの実験から数年経つと、居住地から離れたところで行われたとはいえ、環境への影響は破局的であるということが、ソ連指導部には分かった。 こうして、1963年に核兵器保有国(アメリカ

    地下核実験はいかに、またなぜ行うのか?
  • 戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと

    第二次世界大戦を描いたこの映画は、最も恐ろしく最も難解な映画でもある。一度見たらなかなか頭から離れない。 『炎628』はしばしば戦争映画史上最高の傑作と言われ、間違いなく世界で最も人気のあるソ連映画だ。この映画は第二次世界大戦の一部分を、ベラルーシの十代の少年の視点から描いたものである。『炎628』は劇中ずっと戦争の残酷さを憚ることなく見せつける。リアリズムを徹底したこの映画は、戦時中の人間の暗い所業ほど恐ろしいものはないということを教えてくれる。 この映画を見たことがないなら、絶対に見るべきだ(Russian Film Hubで『炎628』を見るにはこちら)。もし見たことがあっても、これらの9つの事実を知れば、映画がもっと面白くなるだろう。だが気を付けてほしい。最後の事実はネタバレだ。 1. 撮影中、実包を使用した

    戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと