「検察のリークではないのか?」とキャスターが迫れば、新聞社出身のコメンテーターは「多方面から取材し、それを(検察官に)当てて感触をつかんでから書く」とリークを否定する。毎日新聞の社説(22日付)も「事件の取材先は捜査機関に限らず多岐にわたる」と検察からの一方的なリークでないことを強調している。 地検のスポークスマンは次席検事だ。検事正に続くナンバー2の地位である。大きな事件の場合、次席検事が起訴事実を記者にレクチャーする。「正式発表」である。この場では起訴事実以上のことは言わない。 だが、記者には発表以上のことを聞けるチャンスもある。事務官を通して次席検事に個別に会わせてもらうのだ。「えっ!そんなことがあったのか」というような裏話が聞ける。ただし、ニュースソースは絶対に明らかにしてはならない。 ローカルの地検であれば、捜査を担当している検事に直接会って話しを聞くことも可能だ。お宅訪問も構わ
http://d.hatena.ne.jp/walwal/20100121/1264067087某情報番組で激安百貨店の話題が流れていました。ぼーっと眺めていたのですが、「従来約700人いた従業員を約90人まで削減し、効率化を達成!」というテロップが。……いたたまれなくなって、チャンネル変えました。http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20100121/p1ボーンの条件によれば、経済成長なしに財政破綻をさけようとしたら、それに見合うだけの増税か財政引き締めか、あるいはどっちも必要になる。それで財政規律は確保されるだろう。でも、国民にはかなり高くつくことになる。もう経済成長なんかいらないとかできないとか言う人は、この点をふまえて、それも覚悟の上でものを言っているのか疑問に思う。 しかし、まず景気がよくならないと、経済成長もおぼつかない。景気がよくなれば、企業の売上ものび
「日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」、と内田樹氏が『日本辺境論』で書いている。本人も冒頭で書いているように、日本人の思考や行動を「辺境性」によって説明する考え方はこれまでもあり、特に新味があるわけではない。それでも、筆者が本書の中の指摘で面白いと思ったのは、「辺境人」の特徴の一つが中心部で創造された知見を「学ぶ」術に長けている、というくだりである。 日本の製造業にあてはめてみると、戦後に競争力を上げることができたのは、欧米のリニアモデルをキャッチアップできたからだと見られているが(以前のコラム)、その原型は「辺境性」にあるのかもしれない。つまり、外に何か手本があってそこに「学ぶ」ときには、「辺境性」がうまく機能するということである。 この部分を理解するためには、内田氏が「学ぶ」ということをどう見ているのかを知る必要がある。人間はなぜ学ぼうとするのか。内
内田氏によると、それは「私たちの血肉になっている」ということだから、かなり強い影響力があると見ているようだ。中でも特に考えさせられたのは、日本語の構造そのものに「辺境性」が影響しているという指摘だ。 原日本語にはもともと音声しか存在しなかったと言われているが、漢字が入ってきたときに、それを正統な言葉(真名)とし、もともとあった音声言語を「仮名」として隷属的な地位に退かせたというのである。そして、漢字(真名)は男性語として正統な位置を占める一方で、土着の言語である仮名は、生の感情や生活実感などの「本音」を表現するという役割を果たすに至った。 外から来た漢字に正統の位置を明け渡す、というところに「辺境性」がよく表れているが、面白いのは「仮名」という日本土着のものを組み合わせることによって、現実の生活者としての日本人が理解できる概念として「翻訳」する機能を果たしているという指摘である。確かに、ど
「日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。ほとんど脊髄反射的に思考が停止する。あたかも、そのようなことを日本人はしてはならないとでも言うかのように。」(p.89)。 こうしたことから、内田氏は「こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです」と言うが、少なくとも製造業ではそうした考えの先に展望が拓けるとは筆者には思えない。 「辺境性」に基づくキャッチアップ戦略を超えて、世界を動かすメッセージや世界標準を自ら生み出す方向にマインドセットを変えていかないと、「日本」が存在できる領域はどんどん狭くなっていく。 以前のコラムに書いたことだが、縦軸に量産化の度合い(下から規格量産品,中少量多品種品,一品ものと,上に行くにしたがって低くなる)、横軸に複雑度の度合い
『Googleの正体』(牧野武文 著・毎日コミュニケーションズ刊・819円) 毎日コミュニケーションズは1月23日、マイコミ新書『Googleの正体』(牧野武文 著)を発売する。「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」ことを企業ミッションに掲げ、IT業界の巨人へと急成長を遂げたGoogle。立ち止まることなく新たなサービスを提供し続け、中には世界中で議論を巻き起こすような試みにも挑戦してきた。Googleはいまや、誰もが知り、多くが憧れる企業といって過言ではないだろう。しかし、その認識は人によって異なる。ギークばかりの超技術者集団? 実は単なる広告会社? 無料で便利なサービスを提供してくれる市民の味方ともいえるし、既存ビジネスの破壊者なのかもしれない。本著は、そんなGoogleの正体を、同社の事業を理解しながら明かしていくものだ。 著者の牧野武文氏は、Goog
なんか最近有名なニートの人がテレビに出てどうこうみたいな話があったじゃないですか、わたしはテレビは見ないんですけど、そういう話を聞いたので、無職の是非について考えてみました、たとえば今目の前に無職の人がいて「無職だけど生活困ってないし毎日快適だよ!」とかゆってたらわたしは「うるさい働けバーカ!」と悪態をつくと思うけど、どうして悪態をつくかというと「わたしは毎日こんなに一生懸命働いているのにこいつは労働もせずに生活が可能になっているとは不公平な……ギギギ」という嫉妬の感情がほとばしるからであって、しかしここではそういうわたしの個人的な感情は措くこととします。 そんで日本は現状生きるのにはどうしてもおカネが必要なので、おカネがなくても暮らせる社会が理想なのだ!という人もいるのかもしれないけど現状ノーマネーノーライフなので、それを前提として考えると、働いているかいないかということよりも、生活のた
JALは更生法申請をして法的整理を経て、再生への道を歩み始めました。 会社更生法とか私的整理とかいろいろむずかしい法律用語がでてきましたが、要するにJALが借りたお金をどうやって踏み倒すかというだけの話で、実はとても簡単な話です。 いちばん踏み倒されたのはいうまでもなく日本の銀行ですね。 ご愁傷様です。 (日本の銀行にお金を預けているのは日本の国民なので、この踏み倒されたお金は、僕の、そしてあなたの預金金利がまたちょっと下がることによって、僕が、そしてあなたが負担します) そして、借金がなくなって、さらに政府の手厚い支援のもと(つまり僕の、あなたの、我々の税金を使って)、JALは再建されるのです。 しかし、これではもともとまじめにやっていたANAの方はたまったものではありません。 ANAの社員はJALの社員よりも給料が安いと聞きます。 おそらくいったんつぶれても、JALの社員はそんなに給料
昨日のクローズアップ現代「“助けて”と言えない〜共鳴する30代」は、去年の秋に放送した件の続編だったんだけれど、あまりに内容がなくて驚いた。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2010/1001-4.html#thuhttp://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10439961956.html番組見てたけど、あれじゃ何も言ってないのと一緒だよ。寄付とかなんだよ。派遣村で2万円持ってバックれただけで文句たらたらの連中が寄付とかするわけねーじゃん。地球の裏側の大地震には寄付するけどな。あと、最近いろいろ話題のこれね。http://d.hatena.ne.jp/pha/20100121/1264080583このサイトでもベーシック・インカムについては時々書いてるから俺もBI論者だと思われてるかもしれないけど、俺自身は「働かなくても生きていける
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
『橋の下のこどもたち』という本がある。対象年齢は小学校中学年くらい。アメリカで発表されたのが1958年、日本での初版は1966年。 橋の下のこどもたち 作者:ナタリー・サベッジ カールソンフェリシモ出版Amazon小学4年のクリスマスに、親からこの本を贈られた。「家のない子ども達とおじいさんの心温まる物語」といった帯の紹介に、なんか夢のなさそうなビンボ臭そうなお話で、気が進まないなあと思ったことを覚えている。当時私が夢中になっていたのは『ナルニア国物語』や「ドリトル先生」シリーズなど、ちょっと現実離れしたわくわくする冒険物語だった。 でも読み始めたらなかなか面白くて、一気に読んでしまった。そして、こないだ数十年ぶりに読み返した。 以下、物語の雰囲気をよく伝えているamazonのレビューから。 アルマン老人は宿無しだ。手押し車一つに家財道具をつめこんで、パリの街を放浪する。仕事も家庭もなく、
今日22時から放映される「たけしのニッポンのミカタ!」に出ます - phaのニート日記 そろそろテレビ出演について一言いっとくか - phaのニート日記 Amazonのほしい物リストから大量に荷物が送られてきた…… - phaのニート日記 働かざるもの、飢えるべからず。 作者: 小飼弾出版社/メーカー: サンガ発売日: 2009/11/26メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 194回この商品を含むブログ (58件) を見る こないだこのブログの読者の人にAmazonのほしい物リストからこの本を送って貰ったんですが(ありがとうございます)、せっかくなので読んで思ったことを書いてみようと思います。 (関連エントリ: 404 Blog Not Found:紹介 - 発売開始 - 働かざるもの、飢えるべからず。) 社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。 この本は第一
※トラバ先の方のタイトルは「働くということ」だけになっています。なんか今いちものたりないなと思い、後で後半を加えたので(ごめんなさい)。 小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaのニート日記 少し前に「ニート代表」としてテレビ出演もされたphaさんの記事。コメント欄がすごく賑わっており、ブクマのコメ率も非常に高く、さまざまな意見があって興味深い。トラバ記事も多数あり、すべては読んでいないので重複するかもしれないが、つらつら書いてみる。 「働かざるもの、食うべからず」という言葉は調べてみると、レーニンが新約聖書のパウロの言葉を取って言ったものらしい。つまり当初は、労働者階級の立場から、のうのうと暮らしている特権階級を糾弾するフレーズだったのだ。それが、最近では逆に「弱者」に向けて、自己責任論などと結びつけて発せられる狭量な言葉となっている。皮肉な話ですね。 このフレーズに
1月23日。なんか忘れているような気もするがさして思い出せず。いろいろと過去のことを違った角度で思い出す。そうしているうちに過去の思い出はいろいろ変わる。過ぎ去ったものをもとに戻すことはできないと頭でわかっていても、心というのはそうできていない。が、それもしだいに変わって、過ぎたものは無のなかに消えていく。そうして自分も消えちゃうんだなとは思うし、まいったなぁとは思う。しかし、親や祖父母もそうして消えてしまったし、そういうもんかなとか思う。親や祖父母に比べればいい時代だったじゃんとも思う。ハイチの死体の写真をニューズウィークで見る。嗚咽感はある。どうしてこんなにたくさんの人がその思いのまま死んじゃったんだろうと思う。この問題はわからない。わからないまま普通は考えないでいる。でも、たまに考える。わからない。
授業中、たまに小テストをやることがある。ポイントを理解しているかを確認する本来の意味での小テストの場合もあるが、中には出席確認やらアンケートやらを兼ねた、あまりテストっぽくないものも含まれる。以下のものもそういった一例で、新聞や雑誌、テレビやラジオなどのマスメディアが、科学的根拠のない、星座や血液型などによる占いや性格診断をよく取り上げているが問題はないのか、という点について意見を求めてみたもの。 で、結果からいうと、大勢は予想通り「問題ない」という意見だったのだが、その理由でいくつか面白いものがあったのでメモしとこうと思った次第。 (山口) 本題に入る前に趣旨を説明しておく。この問いは要するに、マスメディアの「正しい情報を伝える責任」みたいなものについて考えてもらおうというものだ。マスメディアが社会に強い影響力を持つ大きな理由の1つは、その情報に関する信頼性だ。マスメディアの情報に接する
要するに声がほしい。自分が抱えている問題に対して、その「声」をもらうことで、問題が解決したり、少なくとも問題を抱えて声を聞く、そんな体験を通じて、少しでも前に進みたい。 こういう欲求は、裏を返せば「俺様に耳あたりのいい、役に立つ言葉だけをたくさん聞きたい」というわがままの裏返しにしか過ぎないんだけれど、そういうものを買えるなら、ぜひお金を払いたい。お金を払う用意があっても、そういうサービスは見当たらなくて、結果としてたぶん、自分はインターネットという場所で、ずっとこんなことをしているんだと思う。 見込みのない奴はほめられる はじめて自分の原稿を公開したときには、それはもう絶賛だった。 「すばらしいです」とか、「本になったら買います」だとか、まだまだ不完全な、ページ数も今の6割ぐらいしかなかったものを、みんなこぞってほめてくれた。 いい気になってページが増えて、原稿を、最初は業界最大手の出版
出版社ごとの、文化というか、時間の流れかたについて。 原稿は忘れた頃にやってくる ずいぶん昔、所属医局で教科書を書くなんて話が持ち上がったときには、ずいぶんゆっくりとした流れだった。 企画書が回ってきて、分野ごとに担当執筆者が決められて、締め切りはたしか、3ヶ月ぐらい後だった。時間の流れかたは、締め切りが遠いとずいぶん速くて、「そのうち書こう」なんて思った原稿はそのままになって、最後の数週間、大いに慌てた。実際に「締め切り」が来て、原稿はもちろんそろわないから、それからまた、ずいぶん時間がたった。 原稿を書いたことすら忘れた頃、印刷物になった原稿が、手元に帰ってきた。みんなでそれに赤で訂正を入れて、たぶん訂正したのはそれっきりで、原稿は本になった。 今でも時々、上の先生がたが本を書く。やっぱり「忘れた」とか「忘れた頃に」なんて言葉は多くて、出版のペースは、そんなに変わっていないような気がす
面白いと思ったけど紹介していなかった記事: Op-Ed Columnist – The Tea Party Teens – NYTimes.com The public is not only shifting from left to right. Every single idea associated with the educated class has grown more unpopular over the past year. アメリカでは将来見通しが暗くなり、現政権そして政府一般への信頼が揺らいでいるが、さらには教育水準の高い層に関連付けられる考えが一様に支持を失っているようだ。 The educated class believes in global warming, so public skepticism about global warming is on th
(写真は左から、月初に金融危機の原因解明に関する議会公聴会で証言台に立つLloyd Blankfein(GS)、 James Dimon(JPM)、 John Mack(MS)、Brian Moynihan(BofA)の各CEO) 提案された規制の内容 今回提示された規制案の具体的内容は、連邦政府の保護を受ける預金業務を営む金融機関(つまり銀行)が、自己資本を用いた証券売買(プロップトレーディング)、ヘッジファンドの保有、プライベートエクイティファンドの保有をすることを禁止し、トレーディング業務は対顧サービスに限定する、と言うものです。と同時に、銀行が「大きすぎて潰せない」ことのないよう、一社で全米の預金残高の10%以上を保有することも、禁ずるそうです。 これは大手金融機関に、事実上、銀行業を営むかリスクの高い自己投資事業を営むか、どちらかを選択することを迫るものです。Lehman破綻の際
昨夏に始まった裁判員制度。報道もようやく一段落しましたね。 一般市民が重要犯罪の裁判に参加するこの制度を、次の3つの理由により、ちきりんは高く評価しています。 (1) 司法判断に多様な価値観が反映できる 日本で職業裁判官制度への支持が厚い背景には、「国民の大半が同じ価値観を共有している。だからみんなで話し合って決める意義は小さく、知識と経験のある職業裁判官が代表して裁けばよい」という前提があるからでしょう。 しかし今や日本人の価値感も相当に多様化しており、それらの“多様な考え”を判決や量刑に反映することには大きな意義があります。 たとえば、年老いた病気の妻を何年も介護し、その生活に疲れた夫が妻を殺害したというような事件に関して、有罪か無罪か、どの程度の量刑が適切か、という意見は人によって違います。 裁判官になるような人は、その多くが似通った環境で育っています。 「老老介護の現実」について思
お茶中、少し時間ができたので、短く寸評など。 週刊ダイヤモンドの辻広雅文氏が、過去に破綻したナニについての対比を解説したところ、再びぐっちー氏が反論。これを読んだ某関係者がぐっちー氏に事実無根というか、単なる暴論として内容証明でも送ろうかという勢いであります。 3人の財界人が語る「稲盛日航」が危ういこれだけの理由 http://diamond.jp/series/tsujihiro/10093/ 日本航空再生は不可能 http://guccipost.jp/cgi-bin/WebObjects/12336a3d498.woa/wa/read/sq_126408e9b50/ お年玉を貰い終わった私としては、JALが潰れようが解体されようがもはやどうでもいいので、投入される税金の金額が100円でも少なければそれでいいやと思います。 ただ、再生の定義が「会社が存続し、利益を上げられ再上場まで持っ
「そもそもを考えるシリーズ」と銘打って、債務超過7,000億 JALはそんなに悪かった?というコラムがあるのですが、「こうした試算を大企業全体に当てはめれば、かなりの企業が実質債務超過になりそうな気がします」とか書いてあって、事実関係を主張したいんじゃなくて感覚なんだそれ、と思いました。 ただ、確かに労働組合が単純悪とは言えず、労働者に経営感覚や社会常識といった智恵があったら労働者であるはずもないので、彼らに知性を求めるのは酷であるし、徒党を組んだら文殊の智恵となる類のミツバチのような群生的な集合知など期待できようもありません。突き詰めれば、微妙な人が結社化して経営の合理化がなかなかできなかったという過去の経営が営々と積み重ねた赤字が問題だろうと思うので、労働組合としては真面目に問題に取り組んでるだけなんだろうなあと。知力が足りないだけで。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く