2010年6月26日のブックマーク (29件)

  • 血が必要なんだっつーイメージ - OAF

    若者の献血が激減していて、その原因は若者の意識の変化にあるそうな。 厚生労働省血液対策課の担当者は、 「全体的に減っていますが、若者の献血率の低下は尋常じゃないです。20数年でこれだけ減っているのは、若者の個人意識が高まり、助け合いで成り立っている献血に対しての意識が変化していることが大きいと思います」 といっている。 「尋常じゃない」若者の献血離れ 将来に不安、献血年齢一部引き下げ : J-CASTニュース 若者に社会的な助け合いの意識がなくなっていることを示唆しているが、実際のところこれを個人主義/利己主義と結びつけるのはどうかなーという気がするな。 もちろん激減しているからには何かが変わっているのだろうが。 なんかこれには若者の側に大した理由なんて無くて、彼らが献血という行為自体に関心を持たなくなっているだけではないかという気がする。単に広報不足からくるものかもしれないし、だから例え

    血が必要なんだっつーイメージ - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "そこで血液が大量に無いと人間は死んでしまうんだみたいな表象(イメージ)が手近にあるのと無いのでは、例えば献血カー見る目が違ってくると思う。いまどきの若者はボランタリーの意識は低く無いと思うし。"
  • 日本の中心でアイを叫ぶ - OAF

    以下は便宜的に(わかりやすいので)ネトウヨ、というか国士様を例に挙げるが、別に彼らに限った話じゃない。今更な感じもするが、意外と言われていないような気もするので。 しばしばサヨクは、国士達の依拠する(ように見える)「日」なるものの歴史性を指摘する。それは実際のところかなり最近になって人為的に作られた概念で、いわゆる日の伝統とか心とか精神とかは、国士様が思っているようには何かの「正統性」を証明しないし、むしろ逆である、というわけだ。 サヨクがこのような物言いを好んでするのは、それによりネトウヨの思想なるものの底の浅さと欺瞞を指摘したいためと思われるが、実際のところ、ある程度に情報強者な国士様たちは多分そんなことは百も承知で、承知した上で「日の伝統」とか言っていると思う。 サヨはそういう歴史的な事実を指摘することでネトウヨをギャフンといわせたい(あわよくば啓蒙したい)のだろうが、多分徒労

    日本の中心でアイを叫ぶ - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "多分そんなことは百も承知で、承知した上で「日本の伝統」とか言っていると思う。サヨはそういう歴史的な事実を指摘することでネトウヨをギャフンといわせたい(あわよくば啓蒙したい)のだろうが、多分徒労である"
  • ネトウヨと戦前の日本 - OAF

    先のエントリは勢いで書いてしまったが、いろいろググると基的人権は大体「自由権」と「社会権」とかに分かれるとか何とかある。 まあ普通に人権とか基的人権とか言う時、そういう法律的な厳密さとは別に、その意味内容としては誰もが、 自由に振舞えること 他者から尊重されるべきこと を意図して口にするんじゃないかと思う。 先のエントリでは、ネトウヨ/国士様の口にする「(基的)人権」とは、上のうち前者のみを意味し、後者を所与の・普遍的な人権とは認めていないらしいと書いた。 ネトウヨ的には、個人は完全に自由であるが、だからといって(他者から)人間として尊重されなければならないって訳ではない。 先には単純に前者を「自由権」、後者を「生存権」としている。ググると生存権より「社会権」と言ったほうが正しいような気もしてきたが、どっちでもそんなに外れてない気がするので引き続きそうする。 いろいろを見ると、自由権

    ネトウヨと戦前の日本 - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "非難することは当たらない。誰もこれを免れることが出来ないからだ。普遍という意味である。あるいは個人の自由が及ばない場所といってもいい。他者が自分をどう見、どう扱うかは結局自分にはどうしようもない"
  • 高齢者のロールモデル - OAF

    日経スペシャル「ガイアの夜明け」 〜不況を突破する働き手たち〜 この番組は見たが、内容的にはまあ高齢者を上手くつかってよかったね、ぐらいにしか思わなかった。高齢化社会で、このように有能で戦力となる高齢者だって増えてくるだろう。 彼らが有能だからその能力を、というのは今後ありそうな考え方だろうが、思ったのは別のこと。 もうそろそろ、現役を引退した高齢者が何をするのかということが社会的な問題として考えられるべきなのかも知れない。だって、働けちゃう老人が増えてくるのだ。そんな彼らが日がな一日することも無くボーっとしてるのは、社会的損失という以前に、一人ひとりが人間として耐えられないのではないかと思う。 子供は「学生」だし成人すりゃ「会社員」とか「主婦」とか「フリーター」wだろうが、"高齢者"としか呼ばれない人は要するに社会的に何者でもないってことだ。 で、そういう精神的/社会的に不安定な人が増え

    高齢者のロールモデル - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "考えられるべきなのかも知れない。だって、働けちゃう老人が増えてくるのだ。そんな彼らが日がな一日することも無くボーっとしてるのは、社会的損失という以前に、一人ひとりが人間として耐えられないのではないか"
  • 多分日本人は燃え尽きちゃったんだ - OAF

    反-近代主義みたいなのはそれこそ近代化の最初からあったし、対抗言論として近代・産業社会に対する一定の批判力を持っていたが、ここんところのその種の論はそれとはちょっと違うと感じる。 その典型がこれ。 日人たちよ、日を幸せな発展途上国に戻そう:Rails で行こう! これ自体はかなり粗雑な論考でブコメでも評判が悪いが、この種の「もう成長はいいよダラダラ過ごそうぜ」みたいな気分は最近のこの種の論考に共通している。ブコメでの批判もこの気分自体には向けられていない。 先日、はてなの人気エントリにこの種のエントリが複数並んでいたことがあって、日人はもう当に働きたくないんだなー、と感じた。働きたい奴だけ働いて経済まわせば?とかもあったな。 労働自体に懐疑的・冷笑的な態度が目立ち、(日の)労働環境の劣悪さを列挙して盛り上がるってのもこの一種だろう。働くこと自体にはもう価値など無い、って感じがベー

    多分日本人は燃え尽きちゃったんだ - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "今のままで十分幸せだからというわけではない。成長を止めて何かもっとよい世の中が来るなんていうビジョンが信じられているわけでもない。なにしろ言うに事欠いて「途上国になろう」だ。ただ"それ"がイヤなのだ"
  • 表現の自由とか言っちゃう大人の人って、、、 - OAF

    コンビニにチョコビ買いにきたついでにコロコロ立ち読みしている小学生の目の高さに、少女を純粋に性的な対象物としてのみ表象するロリ絵が普通においてあるという光景を見るたびに、誰がこれを了解し、これを避けられない理由は何で、これを正当であるとする論理はいかに可能であったのかを軽く考えたりはする。 もっとも当人は(特に男子であれば)さして気にしないような気もする(女子が"少女であること"が現にそのように取り扱われ、日常に表立って配置され、またそれが当然であるらしいことをどう感じているかは知らない)。 そういった意味では、結局はこれは大人の都合だということはできる。例の条例案における青少年の健全な云々は、結局この都合の正当化のための理屈だろう。当に子供自身やその状況を代弁したものか? と問われれば厳密にはノーだ。 それこそが何か質的な問題であると考える人はいるらしいが、個人的にはむしろほとんど無

    表現の自由とか言っちゃう大人の人って、、、 - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "このように感じる人が相応にいて、にもかかわらず公権力が口を出してくるまで市民/市場のレベルでこれを回避出来なかったという現実だ。端的に言えば、業界・関係者は何をしていたのだ? ということだ。"
  • 論理的であり無力であることのルサンチマン - OAF

    ちょっとおもしろかったので。 ニーチェに関する一般的な理解はこのようなものだろうか? 個人的にはよくまとまっていると思う。おおむね自分もこんな感じで理解しているような気がする。 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら:誰が得するんだよこの書評 まあ実際のところ、ニーチェが言う真理/偏見/信仰は要するに具体的にキリスト教を指している。 キリスト教における「真理」がキリスト教的に偏っているのは当然で、またそれはキリスト教に限らないことも、別にニーチェに限らず言っている。 ニーチェが言っているのはキリスト教的な権力の源泉=「真理」とはどのように生まれるかということだ。 「真理」はぶっちゃけ単に信仰だの偏見だのに過ぎない、物理力(フィジカル)を持たない観念に過ぎないのだけれど、現実にはそれが厳然たる力(強制力)を持つ。 誰も「真理」を踏みにじることはできるけど、その個別的な行

    論理的であり無力であることのルサンチマン - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "つまりより高次の次元(メタ)において反転する。精神の肉体に対する優位はギリシャ時代から言われているが、まさに現実において無力であることが、精神においての強者であることの証しとして語られる。"
  • 岡田監督と韓国 - OAF

    個人的には横浜マリノスを日産時代からひいきにしている。水沼貴史が好きだったからだが、札幌の人間としては、日産/マリノスには北海道出身の選手が常にいたからというのもある。 無論元道民としてはコンサドーレも地味に応援しており、、、、、 要するに日本代表を初めてのW杯に導き、コンサをJ1に押し上げ、FマリでJを連覇した岡田監督は個人的には神に近い存在である。 デンマーク戦の結果いかんでは、、、、 よく言われるように、彼のチームの特徴は徹底したリアリズムだ。 だが実際には、たとえばコンサに来た当初はほとんど空想主義的な理想主義サッカーをやっており、打ちのめされて路線変更の末にJ1に上がっている。 Fマリでもそうだったし、今回の代表を率いても同じような筋道を辿っている。つか、当は彼もバルサのようなサッカーをしたい人なのだろう。 だが彼が掲げる目標は非現実的なほどに高すぎるため、結局代表もこうなるだ

    岡田監督と韓国 - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "この意識は何となくわかる。当時の日本にとって韓国は不倶戴天の敵であり、世界は"韓国の向こう"としか意識されない中世的な世界観しか持てなかった。この世界観を、三浦カズくらいの世代までは引きずっている。"
  • プロとアマ、場所とお金と人の話‥‥‥月見の里学遊館のシンポジウム - ohnosakiko’s blog

    先週お知らせしていたこのシンポジウムに出るために、この間の日曜日、静岡県は袋井市の月見の里学遊館に行ってきた。その時の模様をつらつらと。 しょっぱなから、掛川駅でこだまを降りて東海道線に乗り換えるのにボーッとしていて反対方向に乗ってしまい、結果、館とパネリストの皆様を袋井駅で15分もお待たせしてしまい、しかも名刺を忘れるという「あなた何年社会人やってんですか?」(28年です‥‥)という失態をやらかす。 駅から車で25分くらいだろうか、市街地を抜けた風光明媚なところに月見の里学遊館はあった。建物がカッコいい。エントランスを入った右手には屋内プールがあり、正面にワークショップルーム。吹き抜けの高い天井まで何面も縦に大きく取った窓からたっぷりと外光が入り、広々と設計された庭が一望できる気持ちのいいサンルームのような空間だ。子供向けのアートワークショップで制作したものが置いてあった。 いきなり「

    プロとアマ、場所とお金と人の話‥‥‥月見の里学遊館のシンポジウム - ohnosakiko’s blog
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "その中でプロになる人もいるという、言わば裾野の非常に広いジャンルだ。やろうと思えば身一つで始められ、大概グループワークだから他人との関わりが深くなる(私の印象では演劇人が一番議論好きが多い)。"
  • アートとしての、ジハードとしての911テロ - OAF

    アートっつかアーティストってそういうものなのだろうか? というふうに素朴に思ってしまう。 大野さんとの議論の落ち穂拾い いや別にオレにアートなるものに関して何らかの思想なり信念なりがあり、それに反すると感じるとかではなく、このような定義/態度を彼自身疑問に思わないのかな? ということだ。 作品論の難しい議論には首を突っ込まないよ。 たとえば個別的には、彼の言っていることの多くに個人的に異論はない。 それがアートであるかどうかなど、ある事象を社会的に評価する上ではどうでもいいことで、考慮する必要などない。無論それがアートとして優れているかどうかなども。 この騒動のお相手であるid:ohnosakiko氏の言っている通り、アートとは単に結果であり、それ自体としての意味など持たないからだ。それを論拠に何かを主張できるなどあり得ない。アートなど「客観的」には存在しないものだからだ。 高橋氏とのブコ

    アートとしての、ジハードとしての911テロ - OAF
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "社会にはアートなるものの占めるべき固有の居場所が初めから用意されていると安易に思っているらしい。そもそも"アート"が実在すると素朴に信じられている。でもそれ、キミとそのお仲間の頭の中にしかないから。"
  • 〈ほんもの〉を捏造する « Soul for Sale

    昨日は、仕事の予定が思ったより進んだ(というか〆切が延びた)ので、行けるかどうか微妙だった「Architecture After 1995」のシンポジウム、「『2000年以後』を考える」を見に行ってきた。パネリストは五十嵐太郎氏。氏が関わった2000年の展覧会「空間から状況へ」と今回の展覧会を比較しつつ、10年前と何が変わったのか、何が引き継がれたのかについて、出展した建築家たちを交えつつ振り返るという構成。『思想地図vol.3』の巻頭座談会「アーキテクチャと思考の場所」が、1999年の『批評空間』誌上における「いま批評の場所はどこにあるのか」へのアンサーになっていたことと、おそらくパラレルに企図されたものだろう。シンポジウムの中身というより、出展されていた方々のアティテュードについては個人的な問いが残ったが、それは会場でも言ったとおり「保留」としたので、押しかけでコメントした部分だけ、あ

    〈ほんもの〉を捏造する « Soul for Sale
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "誰も意識しないうちに、僕たちの関係性のモードを表現するスタンダードな言葉になってしまった。その意味で、「00年代は繋がりの時代だった」と言う人もいるだろう。が、僕の考えでは、それはまったくの間違いだ"
  • 「真面目な人が報われない」

    どう論じたものか悩みながら、『東のエデン 劇場版II Paradise Lost』を見てきた。友人の手配で監督挨拶の回に行ったら、最前列のど真ん中というポジションで、監督が文字通り目の前。さすがに恥ずかしくて(何でだ)顔を上げられずにいたので、監督が僕に気づいていたとは思えないけど、もっそい怪しまれてたろうなと思う。神山さんごめんなさい。以下ネタバレ込みの感想。 劇場版Iを見たときからだいたい気づいていたけど、作の主題は、東のエデンのシステムや、それを駆使した「ニート」たちの集合的な力ではなく、それを利用する「王様」としての滝沢と、それに対抗する物部との政治観の違いへとシフトしている。両者の違いはいくつもあるが、それはたとえば、強い動機付けを持たない滝沢に対して、意志を持ったリーダーの必要性を認識している物部、といったところにも見られるが、より質的なのは、性善説を採り、みんなで生き残る

    「真面目な人が報われない」
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "外れているから、そう呼ばれているに過ぎないという、そういう存在として描かれているわけだ。その世代間不平等を解消するために「間引き」を容認すれば、当然だが生き残るのは、若い世代ではなく、優秀な人材だ。"
  • 大学には入ったけれど

    今日は勤務先の入学式。毎年のこととはいえ、春先のキャンパスの浮かれた感じは独特のものがあって、年々垢抜けていく新入生も、このときばかりは戸惑いの表情を見せながらサークル勧誘のチラシを受け取っている。ほほえましい光景なのだけれど、その一方で、すでに道に迷っているというか、大学に入って何をすればいいのか分からなくなっているんじゃないかと思える子もいる。せっかくなので、大学で何をすればいいのか、少し書いてみようと思う。 1. 友達なんかいなくてもいい いま、若い世代の間では、コミュニケーションが生活の中心になりつつある。その理由はいくつもあるのだけど、ともあれ周囲とつながりを維持できなかったり、そもそも誘われなかったりすると、生きていくのに大変不便だ、という強迫観念を持っている人が、それなりの割合で存在している。 でも一方で、大学というところは、基的には個人で履修プログラムを決め、個人に成績が

    大学には入ったけれど
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "チャレンジを企てているのでない限り、そんな情報は成績にたいして影響しない。なにより、いまの大学では、不出来な学生に単位を出さないというのがどんどん難しくなってきている。"
  • 操作可能なものの監視

    ポストモダン社会では、多様性の擁護、というか、人々が個性を発揮するということと、監視社会化が同時に進行するという議論がある。様々な角度からそのことを論じることができるが、その手の話で最近面白かったのは、スティーブン・ベイカー『数字で世界を操る巨人たち』だろう。ここで論じられているのは、個人の行動履歴を数値として監視し、数学的にモデル化することで、個々人に完全にカスタマイズされたサービスが登場するという話なのだが、その背景にあるのは、マーケティング的な統計モデルの持つ問題だ。多変量解析による消費クラスターの析出というありふれた手法は、設計次第でなんとでも答えが出せるというだけでなく、マーケティングとして「使える」ものにするという意味でも、差異化が進む現代においては役立たずになる。なぜなら、最小の消費クラスターは常に「個人」になるからだ。 ここにはふたつの発想の転換を見て取ることができる。ひと

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "なんとでも答えが出せるというだけでなく、マーケティングとして「使える」ものにするという意味でも、差異化が進む現代においては役立たずになる。なぜなら、最小の消費クラスターは常に「個人」になるからだ。"
  • 一割の法則

    iPhone4の予約が、初日だけで60万台を突破し、過去最高の勢いなのだという。いよいよスマートフォン市場の格的な広がりか、とささやかれ、テレビの情報番組でも日のケータイのガラパゴス化が問題だと言われるようになってきた。普通に街を歩いていても、主婦層や学生が、普通にiPhoneを使っている場面を目にするようになってきた。様々な意味で、業界の勢力が変わりつつあるぞ、と実感する理由には事欠かなくなっている。 しかし「みんなが使っている」ように思えるiPhoneも、データで見るとだいぶ様相が違う。『ケータイ白書2010』では、昨年10月の時点でiPhoneの使用者率はソフトバンクユーザー全体の6.9%、ソフトバンクユーザーが全体の20.9%だから、iPhoneユーザーは全体の1.4%しかいないことになる。 出荷台数で見ると、MM総研の調査では、2009年度のスマートフォンの出荷台数が234万

    一割の法則
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "流行意識と実態が乖離しているのかということだ。そもそも「流行」という現象じたい、ジンメルを引くまでもなく「差異化」と「同一化」のバランスの上に成り立つ出来事だから、常に意識と実態は乖離する。"
  • 書くという再帰性

    書くという行為は不自由だなと思う。商売で文章を書いていると、書くという行為は、常に誰かの求めに応じてなされるものになる。その時点で、相手と自分との間に生まれた社会観や時代観というものが、文章に反映されることになる。ワールドカップで盛り上がってた若者たちは、不景気のせいで世の中に不満を持っている層なんですか、と聞かれれば、不満の表れならもっと酷いことになっていたろう、と答えるけれど、雇用の問題で社会に対して怒っているのはごく一部の若者ですよね、と言われれば、そんなことはないですよと返すだろう。 それは、ブログやのように、自分の内発的な動機で文章を書く場合でも同じだ。ある社会観というか、前提として持っている想定があって、それに対する距離感が文章のトーンを決める。特にアカデミックな知識を用いながら一般に向けて書く場合には、異化効果というか「意外な驚き」みたいなものを盛り込もうとすることが多いの

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "「意外な驚き」みたいなものを盛り込もうとすることが多いので、その「意外」の反対側、つまり「世の中の人はこれを当たり前だと思っているだろう」という想定が、何を書くかを決めてしまうことがままある。"
  • はてなの起業と成長を通じて学んだこと - jkondoの日記

    京都大学VBL(ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー)の授業「新産業創成論」で「はてな起業と成長を通じて学んだこと」という話をしてきました。週替わりでいろんな会社の社長が来て話す授業で、先週はDeNAの南場さんが話されたそうです。 今回工学部の学生さんが結構いらっしゃると聞いていて、僕自身理学部出身なので「京大の理系学部を出たベンチャー志望の青年に対してアドバイスを」というイメージで話しました。もっと言うと、「起業した25歳当時の自分に今会ったらどんなことをアドバイスするか」ということをイメージしました。 まず、前提として「ベンチャー」という言葉の定義から始めました(会場で聞いてみたら「お金が無い」という意見もあっておもしろかったです)。定義は人によって違うと思いますが、僕はベンチャーを「急成長を志向する中小企業」と考えています。あえてベンチャーと言うからには当然ある程度の成長スピードを目

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "感じています。気の合う仲間10人くらいでやっていくならマネジメントはそんなに要りません。でも会社の規模を大きくして業績も伸ばしていこうと思ったときには、当たり前だけどマネジメントが必要になります。"
  • 若年層が新聞を購読しない理由は金銭以外にもある - 空中の杜

    このようなデータがありました。 japan.cnet.com 最近、新聞の販売部数が下がっているというのはよく聞くところです(参考:新聞の販売部数などをグラフ化してみる(下)……主要全国紙編とオマケ:Garbagenews.com)。 それに対して、若年層が新聞を読まなくなってきていることが、大きく影響しているのは間違いないでしょう。 では何故若年層が新聞を読まなくなってきたのかというと、上にあるように金銭的な要因が主と考えられます。つまり現代ではPCや携帯電話でネットを利用してほぼ無料でニュースが取得出来るのに、月々4000円程度かかる新聞をいちいち取る必要があるのか、ということ。年額にすると5万弱くらいの違いがあるとなると、やはり新聞を読まないほうに行ってしまうでしょう。それを証明するように、活字への感心は自体は若年層もそれより上の世代と比べて低いとは言えず、むしろ他ネットのニュースサ

    若年層が新聞を購読しない理由は金銭以外にもある - 空中の杜
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "そうなった場合、私の予想では今まで新聞を取っていた人、もしくは取っていたけど金銭的都合で止めた人は多くが申し込むと思いますが、新聞を読んでいなかった人の間では、あまり増えない、と思われるのです。"
  • http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/fs/2010_po03.htm

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "資産・負債差額▲314.3兆円と厳しい財政状況であることに変わりはありません。" "連結ベースでみた場合にも、業務費用が財源を超過している状態(財源の不足)が継続しています。"
  • 平成20年度 国の財務書類のポイント:財務省

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "負債は、6.0兆円の増加。" "資産・負債差額は、7.5兆円の悪化。" "業務費用は、+3.0兆円の増加。" "業務費用が財源を超過している状態(財源の不足=企業会計上の当期純損失に相当)が継続。"
  • 平成20年度 国の財務書類のポイント:財務省

    普通国債+4.6兆円〔543.7→548.3兆円〕 (建設国債▲11.9兆円〔237.0→225.1兆円〕、特例国債+17.8兆円〔279.7→297.5兆円〕) 財投債▲8.7〔139.9→131.1兆円〕 国の内部保有の減による影響+9.3兆円〔11.0→1.6兆円〕等

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "資産・負債差額は、34.7兆円の悪化。" "行政コスト(業務費用)は、5.7兆円の増加。" "業務費用が財源を超過している状態(財源の不足=企業会計上の当期純損失に相当)が継続。"
  • はたらきバチ化する俺たち。 島国大和のド畜生

    来月からファミリーサポートを利用することにしました(白石運送さん) 所帯持ちCG屋増えてはいるけど思ってた以上にこの業界その流れにはならないということ ・・なんと50~100人の待機児童がいるとのこと・・Σ(゚Д゚) 実際子持ちのCG屋さんや開発屋さんの苦労は凄い。 ちなみに江戸時代の頃で既に日の中心地では人は、はたらきバチ化しやすかった。 (この場合のはたらきバチ化とは、はたらきバチは生殖能力が無くただ働くだけ、というのになぞらえたもの。) 江戸の人口は、外部からの流入で賄われており、中で所帯を持って子供が増えるという構図では無かった。 遊郭があれほどの規模となったのも、職人文化、芸能文化が盛んになったのも、所帯を持たない人口が多かった為と言われている。 ゴールドラッシュの頃のアメリカも、金鉱の周りは男ばかりで、まったく女性の供給が足りず、人口は流入でまかなわれ、過酷な労働と、それを癒

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "大変過ぎるのだ。作ってみて思ったが、経済的な状況、時間的な状況、状況さえ許せば、子供は何人だって欲しい。 それぐらい子供ってのは、何か未来を感じさせる良いものがある。しかしまったく状況が許さない。"
  • 愛の告白は必然的に時期尚早である - いいんちょさんのありゃあブログ

    岡村隆史「キスしていい?」問題 最近、初主演映画のPR活動で、ナイナイの岡村隆史がいろんなバラエティ番組に出まくっている。 昨日もくりぃむしちゅー上田晋也がMCをつとめる「おしゃれイズム」に出演していた。 その中で、岡村の恋愛経験についての話になった。なかでも盛り上がったのは、彼の「キスするときは必ず『キスしていい?』と訊く」というポリシー(?)についてだ。 以前(といってもだいぶ前)、彼がまだつきあっていない一人暮らしの女性の家に夜、あがらせてもらった際のことだ。テレビを見るなどして部屋でまったり過ごした後に、さあそろそろそういう頃合いなのかなと思った彼は、おもむろにその女の子に「キスしていい?」と聞いたというのだ。この「問いかけ」に相手の女の子は、「そんなことする人だとは思ってませんでしたっ!」と断固拒否。その後、30分テレビを見ながら待って(なぜ待てば次はOKされると思ったかはわから

    愛の告白は必然的に時期尚早である - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "忌避の身振りなのだ。言わずもがな、今から告白する相手とは、自分がこれから愛し守っていこうとしている相手である。なぜその相手に、暴力的な介入をしなければならないのか。そこで告白をする側の意志は揺らぐ。"
  • バラエティ番組がのこす最後のフロンティア〜きらっといきるの偉大なる冒険〜 - いいんちょさんのありゃあブログ

    教育テレビで毎週金曜日に放送している『きらっといきる』。障害者の活動をとりあげているこの番組の先々週の放送では新企画(? 番組内の一企画なのか、編とは別のスピンオフというあつかいなのかはまだよくわからない)がスタートしていた。それを先週の金曜日、たまたま再放送で見た。 その名もバリアフリー・バラエティ、略してバリバラ。以前からの番組MCの一人で、自身も脳性麻痺を患っている玉木幸則はこれを立ち上げた目的を ぼくらも自分たちの障害をネタにして笑ったり、おもろいことをやったりしている。でも人によっては、「ここ笑っていいところなんかな・・?」と。その壁をとっぱらっていこう、ということ。 http://www.nhk.or.jp/kira/program/past/details/435_rb.html と説明している。いわば「障害者のでるバラエティ番組」だ。 僕が見たのは「バリバラ」の一回目だっ

    バラエティ番組がのこす最後のフロンティア〜きらっといきるの偉大なる冒険〜 - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "それは「笑い」のはらむ権力性の問題だ。権力を皮肉る「笑い」は、ときとして弱者にとっての強力な武器となり得るが、事態がその逆であった場合ももちろん、強力な武器となり、「笑い」は権力性の誇示に荷担する。"
  • 沢尻エリカが高城氏に抱いた「かけがえのないキモさ」について - いいんちょさんのありゃあブログ

    おそらく日人で最も悲惨なゴールデンウィークをすごした一人は沢尻エリカの夫、いや、もはやこの「夫」の前にもうっすら「元」という字が浮かび上がりつつあるのかもしれない。ハイパーメディアクリエイターの高城剛だろう。 実際にエリカ様が高城氏のことを「キモい」と言ったり思ったりしているのかはわからないけれど、一応ここでは彼女は実際にそう言っていて、彼女がそう思ったことが彼との離別の原因の少なくとも一つである、ということが事実であるとして書くと、これって一般市民にとっても他人事ではすませられない問題なんじゃないかと、僕は思う。 ◆ 先々週の「5時に夢中!」木曜日のレギュラー美保純が、この件についてのコメントで彼のことを「キモいよ、私は前から思ってた」と豪語していた。どうもネットを見ていても、「彼のことを前から実はキモいと思っていた」という見解は少なからず拾える。 この場合、ほとんど高城さんと接したこ

    沢尻エリカが高城氏に抱いた「かけがえのないキモさ」について - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "どうしようもなくキモくなり、突然ある特定の相手のことをどうしようもなくキモいと感じてしまうような生き物なのである。そしてこの一線を越えたら二度とは戻れない。もう二人の関係の修復は不可能だ。"
  • “視線のすれ違い”があるところにこそ相思相愛があるじゃないだろか仮説 - いいんちょさんのありゃあブログ

    好きな人を“見る男性”と“見ない女性” 職場や学校など、ある特定の共同体内で男が片思いをしている場合、たいていそれは視線の方向によってわかる。要はその対象となる人を穴があくほど、とことん見るのである。相手の子の一挙手一投足を、ああかわゆいな、きれいだな好きだなと、目で見て愛でて楽しむのだ。 キモイと罵るな、たぶんみんなそれをやってるんだから。 しかしこの習性みたいなものが、女の子に対してもそのまま適応するのかというと、そうではない。それを最近女の子から聞いて思った。 女の子に片思いの相手がいる場合、それは相手を「見ない」という行動で表れる。もちろん見たくないことはないだろうけれど、ジロジロ相手を見てしまうと下手すれば自分が好きなことを相手にバレてしまうかもしれない。そういった恐れから、逆に相手のことを不自然なほど見ないという習性になって具現化するというのだ。 ここらへん、もちろん男にも自分

    “視線のすれ違い”があるところにこそ相思相愛があるじゃないだろか仮説 - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "たいていそれは視線の方向によってわかる。要はその対象となる人を穴があくほど、とことん見るのである。相手の子の一挙手一投足を、ああかわゆいな、きれいだな好きだなと、目で見て愛でて楽しむのだ。"
  • クリエイターだって「ファンのツボ」だけ圧しつづけてはいられないっ! - いいんちょさんのありゃあブログ

    最近ドラマ「古畑任三郎」のシリーズを見かえしている。いや、見返しているというのは不適切で、机に向かって書き物をしながらBGMとして録画した古畑を「聴く」のである。子どもの頃からこの番組をテープがすり切れるほど見たおしたぼくは、情景を瞳に映さずとも今どういうロケーションで、どういうカット割りで誰と誰が話しているかなんて、手に取るようにわかるのだ。 そんな誰も得しない自慢話はともかく、このシリーズ、現時点で連ドラ版がシーズン3までと、スペシャル版の数作があるんだけれど、それを順に追って見ていくと、作り手(このドラマの場合、なんとなく脚の三谷幸喜の作品という印象が強いのでここでは彼のことを指すが)の作っていた当時の心情が分かるような気がしてくるわけだ。 古畑シリーズにおける「ファンのツボ」 少し説明しておくとこの刑事ドラマ、あの「刑事コロンボ」と同様に推理小説の「倒叙もの」というスタイルでなり

    クリエイターだって「ファンのツボ」だけ圧しつづけてはいられないっ! - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "繰り返しのそれの、どこが「クリエイティブ」なんだよ、と。おそらくそういった「飽き」の倦怠感からくる苦痛によって、あるときクリエイターたちは「ファンのツボ」から逸れたくなってくるんじゃないだろうか。"
  • 人はいつ「終わる」のか - いいんちょさんのありゃあブログ

    最近、あるの中である意味すごく「怖い」箇所を読んだ。 それは、西武百貨店の元経営者でパルコやセゾングループも創設した辻井喬(=堤清二)と、社会学者でフェミニストの上野千鶴子の対談、『ポスト消費社会のゆくえ』にてだ。 それは今では考えられないくらい、百貨店が消費者だけでなく大衆文化を牽引しようという気概があった時代、渋谷に西武百貨店やパルコが建ち例の糸井重里らが手がけたコピーで行け行けどんどんだった時代の話だ。 日の百貨店では今でも美術展というのを開催されているみたいだけれど、あれは百貨店発祥の地の欧州ではあり得ない話で、これもモノを売るだけでなく消費者マインドを文化的に啓蒙していこうとした辻井さんの発案だったという。そんな美術展を百貨店内で始めたころについての対話の箇所。 上野 (中略)ベンチャービジネスのなかには当たりハズレがあって、現代美術ははずれるとただのガラクタですね。 辻井

    人はいつ「終わる」のか - いいんちょさんのありゃあブログ
    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "ある人があるときを境に、決定的に時代の潮流や、その道の最先端からズレていってしまう。そしてそれは不思議と一人でなくおそらくみんながみんな感づいてしまうのだ。その時、ある人は「終わった」とささやかれる"
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」である

    の大学入試問題は、文部科学省の定めた「高校」までのカリキュラムの中で、思考能力を求められる問題が出題される。 そのレベルは、たとえば、アメリカのSAT(Scholastic Aptitude Test)、ACT(American College Testing)などの試験に比べて、格段に高い。 そのことは、たとえば、このSAT practice test http://www.proprofs.com/sat/exams/practice-tests.shtml# と、2010年度前期 東京大学入試問題 http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/recent/tokyo/zenki/index.html を比較すれば明かだろう。 このことは、大学入学時点での日の高校生の学力水準を高めに保つ効果を持つかもしれない。一方で、日の大学入試は、「プロクラス

    kodaif
    kodaif 2010/06/26
    "本当は、さっさと量子力学や統計力学、線型代数か解析幾何の進んだ内容を修得すれば良いのに、18歳の段階では、いつまで経っても高校のカリキュラムの範囲であれこれと勉強をしなければならないことになる。"