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  • 「中国化」する日本? - 池田信夫 blog

    先日、CSの番組に出演したとき、キャスターの葉千栄氏がしきりに「日はどうなってるんですか」と心配していた。上海総合指数は今年に入って4割以上も上がり、「リーマン前」の水準に戻ったのに、日政治も経済もグダグダの状態がいつまで続くのか・・・ときかれても、こっちがききたいよ。 なぜ中国がこんなに元気で日がだめなのか考えてみると、たぶん中国のほうがグローバル化に慣れているからだと思う。中国には昔も今も主権国家がなく、(主観的には)世界全体に広がった<帝国>が続いてきたので、狭いコミュニティに支えられないと動けない日人よりグローバル化しやすいのではないか・・・と思っていたら、與那覇潤氏から「中国化論序説」(愛知県立大学文学部論集57号)という論文を送っていただいた。 與那覇氏によれば、こうした中国の<帝国>的構造は宋代からのもので、中国のほうが西欧よりはるかに早くから農村共同体を超えて

  • 今こそアーレントを読み直す - 池田信夫 blog

    著者がハンナ・アーレントについて書こうと思ったきっかけは、秋葉原事件だという。あれを「新自由主義が生み出した派遣労働者の悲劇」といった物語に仕立て、かわいそうな人々を救済する「派遣村」のような温情主義をたたえる言説が流行した。派遣村を批判した総務政務官を更迭しろ、と国会の代表質問で追及したのは民主党の鳩山由紀夫幹事長(当時)である。 アーレントは、このような「共感の政治」を批判する。彼女は『革命について』でフランス革命を否定し、アメリカ独立革命を肯定した。彼女はlibertyとfreedomとを区別し、前者をフランス革命の、後者をアメリカ独立革命の理念とした。Libertyは抑圧された状態から人間を解放した結果として実現する絶対的な自然権だが、freedomは法的に構成(constitute)される人為的な概念で、いかなる意味でも自然な権利ではない。 「人間が生まれながらに等しく人権を

  • 資本主義と市民社会 - 池田信夫 blog

    小倉氏のブログは、あいかわらずネタの宝庫なので、枕に使わせてもらう。きのうの記事では、こう書く:マルクスは資主義の研究者としては一流だったので,資主義社会を分析するにあたっては,マルクスが開発した諸概念を用いることは有益ですから(そもそも"Capitalism"(資主義)自体,マルクスの造語ですし。),当然のことなのですが。これはもちろん間違いである。マルクスのテキストに資主義(Kapitalismus) という言葉は一度も出てこない。これを初めて使ったのはゾンバルトである(Wikipediaにも書いてある)。これは経済史の常識であり、こんないい加減な知識で、わかりもしない「階級闘争」を語るのはやめてほしいものだ。 よく「資主義」と「市場経済」を同じ意味に使う人がいるが、両者は別の概念である。ブローデルもいうように、資主義の核にあるのは不等価交換によって利潤を追求するシステム

    koitigarbha
    koitigarbha 2009/03/02
    あいまいなまま使用していた面があるので、ここで復習&チェック
  • リスクのきらいな日本人 - 池田信夫 blog

    小倉秀夫氏によれば、新自由主義って,人命に特段の価値を見出しません。そもそもたかだか人命のために企業活動が制約されるということが池田先生には許せないのだと思います。「人命と,建築業界の収益とどちらが大切なんだ」と問われて,法律家は人命だと答え,経済学者は建築業界の収益だと答える。よくこれで弁護士をやってるね。私がどこで「人命に特段の価値を見出さない」と書いたのか、と反論されたら、訴訟なら終わりだ。「小倉ヲチ」なんてサイトもあるぐらい、世の中に彼の被害者は多いようで、まともな議論の相手にはならないが、病理学的な観察の対象としてはおもしろい。 何度も書いたように、リスク管理の目的はリスクをゼロにすることではない。人命が他のすべてに無条件に優先するのなら、まず自動車を禁止すべきだ。重要なのは、リスクと便益のトレードオフの中で何を選ぶかという目的関数の設定である。ところが日人はこれが非常にへた

    koitigarbha
    koitigarbha 2009/02/22
    リスクと安全とのバランスをいかに取るかが問題
  • 中高年正社員の賃金を下げる「逆春闘」を - 池田信夫 blog

    ソニー、全日空、東芝、パイオニアなどで、賃下げの動きが広がってきた。「ワークシェアリング」などという曖昧な話ではなく、賃下げこそ雇用維持の切り札である。年収1500万円の中高年正社員の賃金を2割下げれば、非正規労働者の雇用が1人守れる。 名目賃金の下方硬直性が失業をまねくことは、1930年代以来、定型化された事実であり、このタブーを打破することによって失業率の上昇を阻止できる。賃下げによって「乗数効果」で有効需要が減るというのは神話である。賃下げで雇用が増えることは、雇用者数=賃金原資÷賃金という四則演算で明らかだが、乗数効果は理論的にも実証的にも成り立たない。むしろ賃下げによって労働需要が喚起され、中国などとの国際競争にも耐えられるようになる。今より派遣労働の規制を強めると、海外へのアウトソーシングによって空洞化が進む。そして国内で雇用されない若者が大連に行って、年収75万円になる。こ

  • 格差の正体 - 池田信夫 blog

    きのうは11万PVを超えた。予想どおり「派遣村」の記事に対する感情的反発が多いが、「反貧困」などというフレームで考えているかぎり、問題は永遠に解決しない。格差社会なるものの元凶はグローバリズムでも小泉内閣でもなく、「日的経営」によって保護されてきた正社員と、そのあおりをっている非正規社員の二極化なのだ。これは何度も書いたが、与野党ともに選挙目当てのポピュリズムで規制強化に走っているので、あらためてまとめておこう。 OECDは昨年の対日審査報告で、非正規労働者が1/3を超えた日の労働市場の二極化を、OECD諸国に例をみない異常な現象だと指摘している。以前の記事でも紹介したように、非正規労働者の増加は小泉内閣の発足よりはるか前の1990年代前半から始まっており、構造改革とか市場原理主義とは何の関係もない。それはクビを切りやすい(コストの低い)労働者を増やす、実質的な賃金切り下げの手段で

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    koitigarbha 2009/01/08
    「格差社会なるものの元凶はグローバリズムでも小泉内閣でもなく、「日本的経営」によって保護されてきた正社員と、そのあおりを食っている非正規社員の二極化なのだ。」
  • 人権という迷信 - 池田信夫 blog

    きのうの記事がわかりにくかったようなので、少し補足しておこう。「基的人権」を信じる人にとっては、人権を売買するというのは許しがたい発想だろうが、そんな不可侵の重大な権利が「生まれながらに万人に等しく与えられている」というのは、根拠のない迷信である。そもそもこれは事実の記述なのか価値判断なのかも不明だ。 事実としては人が遺伝的に人権を持って生まれてこないことは明らかなので、これは「政府が人々に人権を与えるべきだ」という価値判断だろう。しかし生まれた瞬間に、すべての人に同じ権利を政府が賦与すべきだという根拠はどこにあるのだろうか。こうした自然権の概念の欠陥を最初に指摘したのは、エドマンド・バークである:私は、各個人が国家の運営において持つべき権限、権威、指揮などを文明社会内の人間の源的直接的な権利に数えることを拒否する。私の考察対象は文明社会の人間であって、これは慣習(conventio

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    koitigarbha 2009/01/06
    「自然」権なるものの正当性もまた証明できない。「基本的」とは、所与のものという意味ではない。
  • 金融危機についての入門的まとめ - 池田信夫 blog

    年末になって、屋にはぞろぞろ「大恐慌」が出てきた。現在の不況を「大恐慌」などと名づけるは、それだけで読まないほうがいい。それは著者が1930年代と現在の違いを理解していないことを示すからだ。しかし官僚やメディアにはそのレベルの理解も共有されていないようなので、今年の記事をまとめて金融危機についての入門的な知識をまとめておこう。ちょっと長いので、いつも読んでいる読者は飛ばしてください。金融危機の原因は大恐慌とは違う:今回のアメリカの金融危機の最大の原因は、住宅バブルの崩壊にともなって、複雑でリスクの見えにくい金融商品の逆淘汰が起こったことによる金融システムの崩壊だ。これは30年代の大恐慌とも日の90年代とも異なる21世紀型の危機であり、既知の処方箋はない。マクロ政策は、一時的な「痛み止め」の意味はあるが、今回の危機はそれだけで自然治癒するほど軽傷ではない。 大恐慌は再来しない:シュ

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    koitigarbha 2009/01/01
    現状を包括的に把握するために
  • イノベーションは技術革新ではない - 池田信夫 blog

    経済成長の最大の要因がイノベーションだということは、今日ほぼ100%の経済学者のコンセンサスだろう。したがって成長率を引き上げるためには、マクロ政策よりもイノベーション促進のほうがはるかに重要である。これについて先進諸国で採用されている政策は、政府が科学技術に補助金を投入する技術ナショナリズムだが、これはどこの国でも失敗の連続だ。著者は、この背景にはイノベーションについての根的な誤解があるという。 イノベーションについての経済理論はほとんどないが、唯一の例外が内生的成長理論である。この理論は成長のエンジンを技術革新に求め、政府の補助金が有効だとする。しかし書は、100社以上のベンチャー(startup)の聞き取り調査にもとづいて、イノベーションの質は技術革新ではないと論じる。アップルやグーグルのように既存技術の組み合わせによってすぐれたサービスが実現される一方、日メーカーのように

    koitigarbha
    koitigarbha 2008/12/20
    技術をいかに使うか。ただ技術を持っていたり、創り出すだけでは宝の持ち腐れなんだな。
  • 「日本の経験」を誤解する人々 - 池田信夫 blog

    先日は、ロゴフが日銀の失敗を踏まえないで「インフレを起せ」という愚かな主張をしていることを紹介したが、今度はクルーグマンがナンセンスな話をしている。AFPによれば、彼はスウェーデン銀行賞の受賞会見で、こう語ったそうだ:日に感謝する必要があると考える。経済危機が起こりうるという現実と、その際にどういった政策が効果的で、何が効果的でないかを示してくれたからだ。 90年代の日の経験とは、政府の財政出動が、根的な解決にはならないまでも経済にかかる圧力をかなり軽減したということだ。彼が何を根拠に「日の経験」を語っているのかしらないが、実証研究によれば「公共事業を中心とする巨額の財政出動は、建設業など非効率な業種への人口移動を起して日の労働生産性を低下させた」というのが定型的事実である(他にも同様の研究が多い)。バラマキ政策は日経済の問題を「軽減」するどころか致命的に重くし、「根的な解決

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    koitigarbha 2008/12/09
    何が有効なのか、何が必要なのか。前途は論争のなかにあるのだろう。
  • アメリカ経済を動かすブログ - 池田信夫 blog

    私のRSSリーダーから日のブログはすべて削除したが、アメリカのブログは新聞サイトより多くなった。いま登録しているのはGreg Mankiw's Blog Marginal Revolution The Big Picture Freakonomics Blog Becker-Posner Blog Real Time Economics Economist's View Calculated RiskこのCalculated RiskのブロガーだったTantaが死去したニュースが、NYタイムズやワシントンポストなど有力紙に出たのには驚いた。Boston Globeによれば、経済・金融の分野ではこうしたブログの影響力は一般のニュースサイトに比肩するという。特に金融危機に入ってからは、専門知識のない一般紙の記事より、ファイナンスの専門家の書くブログのほうがはるかにおもしろい。ひるがえって日

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    koitigarbha 2008/12/08
    英語がまともに読めるようになったら…(汗
  • 幸せって何だろう - 池田信夫 blog

    経済学では100年以上、人間の幸福(効用)は財の消費量の増加関数だと仮定してきたが、この命題は一度もシステマティックに実証されたことがない。そもそも一意的な(合理性の公準をみたす)効用関数が実際に存在するというデータさえない。行動経済学の実験は一致して、そのような効用関数は存在しないと証明している。20年にわたる大規模な医学データも、他人の幸福が自分の幸福に大きな影響を及ぼすことを示している。 書によれば、BBCは「幸福とは何か」というシリーズを2度も放送し、経済学が幸福の基準にしているGDPは、個人の心理的な幸福とまったく一致しないという多くのデータを紹介したそうだ。これは以前の記事でも書いたように正しい。GDPは、他に広く使われて信頼できる指標がないから使われているだけで、特に情報財についてはミスリーディングな指標である。 たとえばNTTの固定電話収入は1996年には5.7兆円だ

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    koitigarbha 2008/12/05
    経済学の限界
  • 日本語はすでに亡びている - 池田信夫 blog

    書はちょっと前にブログ界で話題になったようだが、が買って「つまらない」といって投げ出した。私もパラパラと読んでみたが、やはりつまらなかった。論旨が整理されておらず、何がいいたいのかよくわからないのだ。タイトルから日語が文字どおり使われなくなると主張しているのかと思って読むと、どうもそうではないようだ。要するに、このまま放置すると英語が<普遍語>になり、日語が<現地語>になって、日文学が亡びるので守らなければいけないということらしいが、これは認識として間違っている。少なくとも学問やビジネスの世界では、日語はとっくに現地語でしかない。 著者は「日文学の衰退」をしきりに憂えるが、私はローカルな文化としての日語は衰えないと思う。問題はむしろ日語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。国際学会に出ると、日語の発表はもちろん、日人の発

    koitigarbha
    koitigarbha 2008/12/04
    英語できなきゃヤバイ!…って言説自体は、1世紀以上前から言われてはいるんだけどね。今は英語の重要性の程度がちがうって話。
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