日本大学経済学部のバリケード封鎖解除のため、盾を頭上に構えて校舎に迫る機動隊。校舎からの投石が直撃し、西条巡査部長が死亡した=昭和43年9月 ■ヘルメットが割れた 「正視に堪えない…」。昭和43年10月2日、東京都港区の青山葬儀所。当時、警視庁外事1課長だった元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(77)は、喪章をつけたまま、うつむくしかなった。棺の近くには6歳と4歳になる2人の遺児が、事態を飲み込めずに無邪気な表情で座り、その横で31歳の未亡人が嗚咽(おえつ)していた。 夫は、警視庁第5機動隊分隊長、西条秀雄巡査部長=当時(34)。前月4日未明、日本大学経済学部本館のバリケード封鎖解除に出動し、校舎4階付近から落とされた人頭ほどのコンクリートの塊が頭を直撃、頭蓋骨骨折で意識不明のまま25日後に死亡した。大学紛争による警察官の殉職は初めてだった。 コンクリートの重さは約16キロ。かぶっていたヘル