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中世に関するkonstantinosのブックマーク (5)

  • 還住 (青ヶ島) - Wikipedia

    還住(かんじゅう、げんじゅう)は、一度居住地を去った者がその土地に戻り再度居住することを意味する語。 記事では[† 1]、伊豆諸島の青ヶ島で、安永9年(1780年)に始まった噴火活動が天明5年(1785年)になって激しさを増したため、島民が八丈島に避難して無人島になったあと、文政7年(1824年)の旧青ヶ島島民全員の帰還、そして島の復興を達成し、天保6年(1835年)に検地を受けるまでの経過について記述する。 噴火前の青ヶ島[編集] 尾山展望公園から見る丸山。かつては淡水の大池、小池があった。 青ヶ島にいつごろから人が住み始めたのか現在のところはっきりしていない。これはほかの伊豆諸島の島々で発見されている縄文時代や弥生時代の遺跡がまったく発見されておらず、また中世の遺跡も見つかっていないうえに文献資料も乏しいためである。15世紀になってようやく青ヶ島に人が居住しているとの記録が現れる[1

    konstantinos
    konstantinos 2013/03/20
    離島社会の興亡
  • 大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって

    今年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、法皇・上皇らによる院政体制を「王家」と呼んでおり、ネットでは「『皇室』『天皇家』ではないのか」といった議論が起きている。同作品の時代考証にあたった気鋭の中世史家、郷和人 東京大学史料編纂所准教授と「肉と草の日史」(中央アート出版社)の共著もある作家の堀田純司氏に、「王家」問題について寄稿してもらった。(編集部) このような話題にうかつに首をつっこまずに過ぎ去るのを待つのが大人の態度だと思うのですが、この話題は実は「表現における用語の規制」に関わるものです。ですので非力かつ超末席ながら、言葉を使う商売のはしくれとして、あえて大河ドラマ「平清盛」における言葉の使い方について解説してみようと思います。いたらぬ人間の解説ですが、なにかの足しになれば幸いです。 今、一部で話題のNHK大河ドラマ「平清盛」で使われる「王家」という皇室の呼称ですが、まずこれは

    大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって
  • 中世の当事者主義 - heuristic ways

    以前少しだけ読みかけて、そのままになっていた郷和人『天皇はなぜ生き残ったか』(新潮新書、2009年)に再挑戦しようと思って、最初から読み返してみたら、ちょっと吃驚したことがあった。 第1章「古代天皇は厳然たる王だったか」の2「権力は徹頭徹尾、受け身である」という節で、中世の当事者主義について書かれていることが、渡辺京二『日近世の起源』(原著2004年)を思わせるような内容だったのである。もちろん、これは別に「剽窃」や「盗用」を意味するのではなく、両者が参照・依拠している典拠がたまたま同じだったということのようだ。渡辺氏は、笠松宏至の『日中世法史論』『法と言葉の中世』『徳政令』などを参照・引用文献として挙げており、郷氏も「代表的な法制史家、笠松宏至」に言及している。渡辺・郷両氏がそれぞれ互いのことを知らずに、共通の参考文献を基にして同じようなことを書いたということかもしれない。*1

  • ついに日本の皇室を王家と呼び始めたNHK - 日本が好きなだけなんだよ

    2012年 NHK年大河ドラマ「平清盛」の公式サイトで日皇室を前代未聞の“王家”表記 2012年大河ドラマ“平清盛”の公式サイトより http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/01/index.html ↑日皇室を王家と表現している部分。天皇家を王家と表現するメンタリティーは、日人とはかけ離れたものがある。 2012年大河ドラマ“平清盛”の公式サイトより http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/06/index.html ↑公式サイト上に“王家”と書かれた箇所が複数存在するので、ミスというわけではなく意図的なものだろう。 (コメント) 日人が他の外国人に比べて民度や道徳意識が高いのは、万世一系の皇室を中心とした独特の国家体制(国体)、伝統的な文化を維持してきたからに他ならない。歴史上、何十回も血で血を洗う王朝交代を繰り返

  • 世界の都市

    konstantinos
    konstantinos 2008/03/07
    中世都市紋章・鳥瞰図
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