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社会と人生に関するkonstantinosのブックマーク (5)

  • 「また再建しましょう」のおじいちゃん、9月中旬に亡くなっていた : 腹筋崩壊ニュース

    1 : ジャングルキャット(西日):2012/10/24(水) 21:26:47.51 ID:+xQTm1gc0 ?BRZ(10101) ポイント特典 夫の遺志 旅館再建 被災した場所…「これで良かったか」  東日大震災の津波で被災した岩手県大船渡市の旅館が再建された。只野八百子(やおこ)さん(80)は、再建を見届けて病死した夫昭雄(てるお)さん=享年(83)=の遺志を継いで、復興工事の関係者らの寝を支える。ただ、再建したのは流されたのと同じ場所。「当にこれで良かったのか」との思いを拭えないでいる。 (立石智保)  しゃしゃしゃしゃっ-。昨年三月十一日、砂利を巻き込んで進む波の音を聞いた八百子さんと昭雄さんは、海から約八百メートルにある只野旅館最上階の三階に逃げた。三階への階段まで海水が迫ってきた。  三日目の朝に救助された。テレビ局の取材に「再建しましょう」と答え、昭雄さんは「再

  • 東京新聞:26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔:社会(TOKYO Web)

    「破滅」と書かれた画用紙を看板の手前で掲げて、自ら25年前の標語を訂正した大沼勇治さん=福島県双葉町で 「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。 大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重のせりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。 大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電

    konstantinos
    konstantinos 2012/07/19
    顕彰も追悼も転向も、何にせよ全ては今を生きる人の為のものということだな。
  • マルチ商法に関する俺の体験談を書く - sunomononanoの日記

    「俺ね、5年以内に起業して年収1000万超えるから。」を見て似たような話を思い出したので、体験談を書く。 直接勧誘されたのは当時社会人一年目の弟で、気づいた時には完全に重症だった。被害者は勧誘された人とその家族だよねという、とある片田舎で起こった当の話。 登場人物は東京にいる俺と実家に住む両親。同じく実家に住む、世間知らずで素直すぎる弟。一応兄弟共に大卒。 300万の外車を新車で購入 今を去ること数年前、ある年の大晦日。久しぶりに実家に戻ると見慣れない外車が置いてあった。オープンカーでツーシーターの外車・・・!黄色い外装とゾロ目のナンバーがまぶしい。 母親に聞くと、一週間前の12月24日に突然ディーラーから届いたらしい。弟がマルチ商法に参加し、クリスマスプレゼントとして自分に買ったんだそうだ。ビックリした母親は俺に相談しようと思ったが、心配かけたくないのとうまく整理できなかったので言え

    マルチ商法に関する俺の体験談を書く - sunomononanoの日記
  • NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到

    誰にも知られずに死に、遺体の引き取り手もない「無縁死」が増えているようだ。NHKがこうした「無縁死」の特集を放送すると、「とても他人事とは思えなかった」「精神的に辛くなったわ」といったコメントが巨大掲示板2ちゃんねる」に殺到したほか、個人のブログにも取り上げられた。 反響を呼んでいるのは2010年1月31日放送のNHKスペシャル「無縁社会~『無縁死』3万2千人の衝撃~」。「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」といった国の統計では出てこない「新たな死」が急増し、NHKの調べによると年間3万2000人にのぼる。このうち1000人が身元不明のままだ。 「行旅死亡人」として処理される 身元不明の死者は「行旅死亡人」として処理され、遺族を捜すために性別、身長や外見の特徴、所持品、発見された日時と場所、「餓死」「凍死」など死因を国が発行する「官報」に掲載する。遺体は火葬されて一定期間、行政

    NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到
  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

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