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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (3)

  • 赤の女王とお茶を - 芸術は再び非営利化する

    「世の中は厳しい」なんて大嘘 essa節いいっすね〜。 大枠で反対するわけではないけれど、essaさん自身も書いているようにこれからは「兼業芸術家」の割合がより増え、「専業芸術家」は減っていくことになるでしょう。 つまり「いっそう芸術(だけ)ではえなくなる」ことを意味しているわけで、これを「厳しい」とみるか「甘い」とみるかはのび太のおじいちゃんのように微妙なところです。 今日日音楽にしろ映像にしろ、結構なレベルの作品をネット上でタダで楽しめてしまいます。ということは、そこそこの作品ではネットで稼ぐことはできないということ。これもessaさん自身が「誰もが最高級品を使える経済」で書いていることですが、無限配布可能なソフトウェアにおいては「ロングテール」どころか「テールレス」な状態が生じるんですね。 じゃあ多様な高級品を売ればいいかというと、そもそもそこまで高度な作品を求めている人は多くない

    赤の女王とお茶を - 芸術は再び非営利化する
  • 因果関係は責任関係ではない - 赤の女王とお茶を

    当は、できるでしょう?」の原初的風景 ホームレスの人を助けるべきか ある行為がある現象の原因になっている、あるいはなっている可能性がある、なんてことはそれこそ無限に言える話。 ホームレスの人に8000円渡して病院に行かせたために医療ミスで逆に障害を負ってしまうかもしれないし、医師の手が塞がって他の重症患者が手遅れになってしまうかもしれない。その8000円をアフガンに送ればもっと多くの人命が救えたかもしれないし、逆に武器になって人を殺すかもしれません。お腹の子を産めば不幸になるかもしれないし、誰かを不幸にするかもしれない。そうやって考えている内に手を動かせば誰かの命が救えたかもしれないし、救えないかもしれない。 そういうあらゆる因果を「責任」として捉える立場があっても別に構いませんが、その場合「責任」という概念自体が無意味になってしまうでしょう。 「責任」というのは自然における因果を示す

    因果関係は責任関係ではない - 赤の女王とお茶を
  • 赤の女王とお茶を - 「科学としての経済学」のトリセツ

    が不完全競争? そうかもしれません。 じゃあアメリカは完全競争なの? ヨーロッパは? アジアは? 実は全て、不完全競争です。 そりゃあそうだ。だって完全競争とは 原子性。市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。特に全てのプレイヤーがプライス・テイカーでなければならないことに注意。 均一性。すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。 完全情報。全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。 平等なアクセス。全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。 自由な参入。全てのプレイヤーが市場に自由に参入・退出できる。 こういうところのことなんですから*1。 あり得ない。 じゃあ経済学なんて無意味かというと、そうでもないのです。 どんな科学分野も、この世に存在し

    赤の女王とお茶を - 「科学としての経済学」のトリセツ
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