タグ

ブックマーク / ameblo.jp/kensuzukitxt (39)

  • 『エリック一家を描いた『アイアンクロー』がドキュメンタリーではなく映画である理由』

    BGM:Survivor『Eye Of The Tiger』 昨年の『アントニオ猪木をさがして』、現在公開中の『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』に続き4月5日よりプロレスを題材とした作品『アイアンクロー/原題:THE IRON CLAW』が全国ロードショー封切りとなる。12月22日より北米2774館で公開されるや3日間で505万ドル(約7億4200万円)のゲートをはじき出し、初登場で興行ランキング6位に。観客の満足度も96%と高評価された実績を引っさげて“来日”を果たす。 熱心なプロレスファンでなくともアイアンクロー(鉄の爪)がフリッツ・フォン・エリック、あるいはその家族を表す技名であるのは知っているだろう。この一家の歴史については、日人が想像する以上にアメリカ国民の中へ深く刻まれた80年代の出来事なのだと、前述した数字を見るにつけ推測できる。 スポーツエンタ

    『エリック一家を描いた『アイアンクロー』がドキュメンタリーではなく映画である理由』
    kowyoshi
    kowyoshi 2024/02/08
    観に行かないと
  • 『只見線とフラワー長井線がプロレスでつながる――全国に広げようプロレス鉄道の輪・前編』

    BGM:前川清『雪列車』 この秋、プロレス界では2週間で3度、列車内におけるプロレスの試合がおこなわれるという未曽有の事態となった。今年に入り2月から5月にかけて豊橋鉄道、天竜浜名湖鉄道、埼玉高速鉄道浦和美園駅ホーム、ことでん琴平線と鉄道プロレスは4度開催されており、このようなことは野球やサッカー、相撲といったスポーツに限らず音楽ライブ、将棋、積み木など文化系エンターテインメントでも前例がなく、改めてそのフレシキブルなジャンル性がいかんなく発揮されたと言っていいだろう。 まず9月18日にDDTが開催した史上初の「新幹線プロレス」は、各大手メディアがこぞって飛びつき大々的に報道されプロレスの枠を超え世間にまで響いた画期的な試みだった。東京ドームで無観客の中(コロナ前)闘った高木三四郎と鈴木みのるならではのなせる業。これによるパブリシティー効果は絶大なるものがあったと思われる。 高木大社長は宇

    『只見線とフラワー長井線がプロレスでつながる――全国に広げようプロレス鉄道の輪・前編』
    kowyoshi
    kowyoshi 2023/10/05
    ローカル線とプロレスは相性がいい
  • 『動脈と静脈を流れる血液のごとき“意志”と“意思”――ウルトラマンロビンvsマサ高梨を見た!』

    動脈と静脈を流れる血液のごとき“意志”と“意思”――ウルトラマンロビンvsマサ高梨を見た! | KEN筆.txt BGM:増田直美『Destiny Light』 2023年1月14日17:09、その衝撃的な発表は「M78星雲通信」という聞き慣れぬ媒体からひっそりとリリースされた。そこには「2月4日闘道館の相手は(中略)ウルトラマンロビンvs高梨将弘に決定です!」という、日語的にはいささか文法を逸脱したテキストが躍っていた。 月一でイベントをやらせていただいている身でありながら、泉高志館長の方からそのような裏情報はいっさい流れてこず(館長、コンプライアンス、カ、カテェ)、まずは名古屋の老舗団体(東海プロレスに次ぐ歴史の長さ)SGPの大会が東京で見られるというだけでもえらいこっちゃなのに、その上ワンマッチ興行でありかつ対戦相手がDDTきっての技巧派・高梨選手というのは当に驚かされた。これは

    『動脈と静脈を流れる血液のごとき“意志”と“意思”――ウルトラマンロビンvsマサ高梨を見た!』
    kowyoshi
    kowyoshi 2023/02/05
    現場で見てました。インディーのお仕事や宇宙大戦争での滑稽なロビンさんとは違うシリアスなロビンさんがいました(それでもロビン仕草はあったけどw) #SGP #ddtpro
  • 『根室と釧路で起きたあまりに不可思議でドタバタで、それでも結果的になんとかなった話のまとめ』

    根室と釧路で起きたあまりに不可思議でドタバタで、それでも結果的になんとかなった話のまとめ | KEN筆.txt BGM:松田聖子『夏の扉』 9月11日、北海道・ベルクラシック根室にて催された「一周忌追悼イベント~foreverサムソン宮~」への旅の行程を、普段ライターとして心がけている文法上のルールや構成といったものを度外視し、とにかく勢いで吐き出し記録として残しておきたいとの思いに任せて書きます。 そもそもの発端はイベント当日の朝7時半頃。週明けにおこなわれる日プロレス殿堂会主催興行のパンフレット製作作業を抱えつつの旅でありながら、現地で追い込みをかければなんとかなると踏んでの出発だった。JR品川駅から京浜急行に乗り換え、羽田空港第1・第2ターミナルまでいくという、いつもの行程。 京急に乗り換えてドアが閉まるまでの数分、何気なく飛行機の出発時間を確認するべくスマホでお知らせメールを見

    『根室と釧路で起きたあまりに不可思議でドタバタで、それでも結果的になんとかなった話のまとめ』
    kowyoshi
    kowyoshi 2021/09/18
    健さん、ここまでズンドコだったとは(笑)。日曜朝、ブルートの前を貸し自転車で通ったときにシャッター半開きだったけど、あのとき健さんがいたのかしら。 #サムソン宮本メモリアル #新根室プロレス
  • 『リングス-W★ING-FMW-全日本-そして最後までFMW…保坂秀樹の「あの技を受ける誇り」』

    最後に会ったのは2018年3月28日、元FMWリングアナウンサー・平岩豪氏の呼びかけでハヤブサ三回忌に併せたトークイベントが開催された。そこには田中将斗、リッキー・フジ、黒田哲広、マンモス佐々木、中川浩二、金村キンタロー、宮裕向、ミス・モンゴルとともに保坂秀樹も出演。ステージ上もさることながら、控室の雰囲気はあの頃のFMWそのもので、唯一当時を体験していなかった宮(FMW活動休止後のWMFでデビュー)は「この中に自分がいられるなんて夢のようです」と、しみじみ言っていたことが思い出される。 もちろん、保坂選手も懐かしいノリにニコニコ顔。千葉の袖ケ浦からバスでやってきたとあり、出発時間の都合で一人早めに会場を出なければならず、後ろ髪を引かれるような表情で去っていった。やはりFMW時代の仲間たちと時間をともにするのは、人生においてもっとも心が休まるかけがえのない場だったに違いない。 翌年10

    『リングス-W★ING-FMW-全日本-そして最後までFMW…保坂秀樹の「あの技を受ける誇り」』
    kowyoshi
    kowyoshi 2021/08/04
    保坂秀樹選手とはどんな人だったか
  • 『武藤敬司、ムーンサルトを出した理由と「使わざるを得ない俺の未熟さ」』

    BGM:Clint Mansell『Welcome to Lunar Industries』 6月20日、青山LA COLLEZIONEにてトークイベント「トーキングマスターズ シーズン5“同期の桜! 時代を超越して、今もなお!!!”武藤敬司×船木誠勝」(主催・シャイニング)が開催され、新日プロレス時代の同期であり、現在はM’s allianceのメンバーとしてプロレスリング・ノアのリングで活動する2人がファンの前で過去のエピソードと現在について語った。鉄板である新人時代の思い出話を始め、新日-全日プロレス-WRESTLE-1-ノアと続く関係性はどの時代をとっても興味深かったが、この日は武藤が3年ぶりのムーンサルト・プレスを出したサイバーファイトフェスティバル6・6さいたまスーパーアリーナ大会後、公の場で発言する場でもあった。 進行を務めるからには、そこに関してじっくりと話を聞いてみ

    『武藤敬司、ムーンサルトを出した理由と「使わざるを得ない俺の未熟さ」』
    kowyoshi
    kowyoshi 2021/06/21
    武藤敬司にも葛藤が…
  • 『ノーマルでないものに足を踏み入れることで人生がもっと豊かになる――葛西純ドキュメンタリー『狂猿』』

    BGM:Cocobat『Devil』 まず何よりも「デスマッチ」が映画の題材となったことに深い感慨がある。プロレスの価値観と見方が広がった今でこそ市民権を得ているが、それは長きに渡りキワモノとして位置づけられてきた。 大仁田厚はそうした宿命を逆手に取り、邪道を名乗ることによってプロレス内世間でステータスを確立したが、そのあとの代からは従来のスタイルと同じ土俵で張り合い、少しずつデスマッチファイターとしての存在意義を高めていった。それでも血を流すことに対する世の中の見方は、今もあまり変わらない。 そうした中、専門誌や専門チャンネル、ウェブ番組とは違った映画という媒体で描くことにより、違った受け取り方が生じる可能性も期待できる。ましてやテレビの画面よりも大きなスクリーンで見るデスマッチは、従来の映像とは別の情景に映るだろう。 葛西純ドキュメンタリー作品『狂猿』は、プロレスファンでもあるスペース

    『ノーマルでないものに足を踏み入れることで人生がもっと豊かになる――葛西純ドキュメンタリー『狂猿』』
    kowyoshi
    kowyoshi 2021/05/04
    なるほど>僕は音楽もオルタネイティブが好きなんですけど、ノーマルでないものに足を踏み入れることで人生がもっと豊かになる。そのプロレス版なんじゃないかなと
  • 『サムソン宮本さんから聞いた最後の言葉は「今、しあわせです」でした』

    9月11日夜、新根室プロレスから発表がありました。日13時29分、同団体会長でありアンドレザ・ジャイアントパンダのマネジャーとしてともに全国へ笑顔としあわせを届け続けたサムソン宮さんが逝去されました。享年55でした。 宮さんはアンドレザがデビューした2017年に、10万人に3人しか発症しないと言われる平滑筋肉腫(へいかつきんにくしゅ)と診断されました。小腸に悪性腫瘍が見つかり、放射線治療、抗がん剤も効かぬ難病とされており「治療法はありません」と医師から宣告を受けました。 そのことを公表せずに新根室としての活動を続ける中で、アンドレザがブレイク。昨年9月14日に開催された三吉神社例大祭にて、難病と団体の年内解散を公表。2017年の時点では夢のまた夢だった東京公演を10月13日、新木場1stRINGで大成功させた宮さんは長きに渡り苦楽をともにしてきた新根室のメンバーたちとのシングル13

    『サムソン宮本さんから聞いた最後の言葉は「今、しあわせです」でした』
    kowyoshi
    kowyoshi 2020/09/12
    (涙)>6分54秒間の最後となってしまった会話――そこで聞いた宮本さんの言葉をお伝えします。「家族と一緒にいられて今、しあわせですよ」
  • 『木村花というみんなの希望を喪失した“痛み”の中で伝えたいこと』

    あれから5日が経とうとする現在でも、読み手が存在する文章としてまとまったものになる気がしない心境であるのをどうかご了承願いたい。日の夜には「ニコプロ一週間」で木村花選手について番組進行として触れなければならず、多くのプロレス関係者同様にある種の葛藤を抱きつつも、その前に伝えたいことを綴らせていただく。 ここで書くのは、一連の報道や『テラスハウス』でしか花さんのことを知らない皆様に知ってほしい、あくまでも自分が見た範囲での彼女の素顔である。 ▲新日プロレス1・4東京ドーム大会のダークマッチに出場した時の木村花さん 2015年5月、当時現役のプロレスラーだった母・木村響子さんが左腕を骨折し長期欠場を余儀なくされた。そこで彼女の取材を続けていたライターの須山浩継さんが呼びかけ、激励をこめたトークイベントを開催。出演者は全員自ら名乗りをあげる形で、無償で参加した。 響子さんは15歳の頃、FMW

    『木村花というみんなの希望を喪失した“痛み”の中で伝えたいこと』
    kowyoshi
    kowyoshi 2020/05/27
    リアリティショーがどうの、メディア規制がどうのとか騒いでる人にも読んでもらいたい/かなりのファンどころか週プロ全盛期からのベテラン記者(BBM時代の最終略歴は週プロ編集次長)だよ!
  • 『2年間難病を表に出さずサムソン宮本さんは根室から全国にしあわせを出荷していた』

    9月14日に開催された新根室プロレスの三吉神社例大祭にて、同団体の会長でありアンドレザ・ジャイアントパンダのマネジャーを務めるサムソン宮さんの難病と、年内解散が公表されました。 宮さんは、アンドレザがデビューした2017年に平滑筋肉腫(へいかつきんにくしゅ)と診断されました。これは、10万人に1人しか発症しないと言われるもので、小腸に悪性腫瘍が見つかったのです。放射線治療、抗がん剤も効かぬ難病とされており「治療法はありません」と医師から宣告を受けました。 生存率が発症から5年で33%、10年で0%という絶望的な現実を突きつけられた宮さんは新根室のメンバーと話し合い、そして約束しました。「これから何年続けられるかわからないけど、新根室プロレスが有名になって東京で単独興行ができたら解散しよう。それを目標にやっていこう」と。 その時点ではアンドレザが一大ブレイクする前で、東京で単独興行を開

    『2年間難病を表に出さずサムソン宮本さんは根室から全国にしあわせを出荷していた』
    kowyoshi
    kowyoshi 2019/09/15
    ちなみにプログ後半の写真提供は私です
  • 自分の言葉でUWFの面白さを伝えたいから――復刻版DVDリリースにあたって  | KEN筆.txt

    BGM:John Lennon『(Just Like)Starting Over』 話は9月14日にさかのぼります。その日は大阪・なんばの「カウント2.99」さんで『プロレス きょうは何の日?』の販促イベントでした。参加していただいた皆様のプロレス記念日を聞かせていただき、それについて語るうち2時間半があっという間にすぎていったのですが、イベント後もしばらくお店に残り、個別に話しました。 その中のお一人がプロレスファン歴の長い方で、新生UWFの話となりました。そして、どちらからともなく同じ思いを口にしたのです。 「当時、UWFを見て熱狂していたのに、今になって『当は面白いと思っていなかったのに、じつは面白いというふりをして見ていた』とかいう人がいるじゃないですか。どうして自分の過去を否定するような手のひら返しをするんですかね? 私は、総合格闘技を通過してきた今でもUWFは面白かったと思い

    自分の言葉でUWFの面白さを伝えたいから――復刻版DVDリリースにあたって  | KEN筆.txt
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/11/02
    思春期以降、自分の意志で初めてプロレス観戦したの、新生UWF第二戦の中島体育センター大会だったので、そのDVDは欲しいかも
  • プロレスサラダ記念日から9年後に訪れたかおりさんの両国サラダ記念日 | KEN筆.txt

    BGM:福来良夫(平沢進)『ハリケーンズ・バム』 DDT10・21両国国技館大会は「秋のプロレス文化祭」と銘打たれただけあって、腹いっぱいのプロレスを遥かに凌ぐTCW(Tokyo Championship Wrestling)ばりにあたりするかのようなエビスコ強いプロレスを摂取した6時間だった。文化祭とはそういうもの、お祭りムードに任せついうっかり過剰になってしまった思い出は誰にでもあるはずだ。 その中でもじつにインスタ映えしたのがスーパー・ササダンゴ・マシンvsアンドレザ・ジャイアントパンダ…よりもジャイアント・ササダンゴ・マシンであったのは言うまでもない。実況席から見るとこんな感じで、飛び抜けて巨大な2体が表情ひとつ変えることなく向かい合うシーンが国技館に現出してしまったのは大ゲサでなく歴史的出来事であり、来年から新年号がスタートしてしばらく経ち平成の世相を振り返る番組が組まれたら、

    プロレスサラダ記念日から9年後に訪れたかおりさんの両国サラダ記念日 | KEN筆.txt
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/10/24
    両国国技館は人生を変える場所である
  • 『“あの頃の週プロ”を支えた植木真一さんへ最後に渡す週プロ野郎』

    BGM:坂龍一『The Seed』 ※当エントリーは11月に書き終えていたものでしたが、どのタイミングで公開するべきか迷っていました。でも、故人が遺した知られざる功績を一人でも多くの皆さんの心に刻んでいただきたいこと、そしてともにあの時代を週刊プロレスで生きた一人としてできることを熟考した結果、年内に公開することとしました。ご理解のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 11月16日に更新されたターザン山さんのコラムで、週刊プロレス時代の先輩だった植木真一さんが9月1日に亡くなられていたことを知った。山さんと同い年だから、享年71となる。 植木さんは“あの頃の週プロ”を支えた方だった。あの頃とは、私がアルバイトとして編集部へ潜り込んだ1988年前後から90年代の「活字プロレス」をウリとしていた時代である。 通常、雑誌は取材記者やライターといった書き手と、記事やタイトル、写真選びを含め

    『“あの頃の週プロ”を支えた植木真一さんへ最後に渡す週プロ野郎』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/12/30
    ラジオビバリー昼ズで当時まだ二つ目だったちび師匠が、週プロ編集部の取材に出て、そこでターザンが「この人が内勤の植木さん」と紹介していたなあ。
  • 『【特別転載】髙山善廣さんへの思いを持ち続けること』

    BGV:フラワーカンパニーズ 『感情七号線』 古巣である週刊プロレスモバイルの連載コラム『週モバ野郎NOW』が2017年8月28日更新分をもって最終回を迎えました。遅れ馳せながら、2011年4月より355回分もの長い間、ご愛顧いただきました皆様へ改めて御礼を申し上げます。 終了が伝えられた時点で、ラストは髙山善廣さんのことを書こうと決めていました。5月4日の事故から4ヵ月が経ちなかなか続報が伝わない中で、それでも思いを持ち続けようという呼びかけです。あの時点では、誰もが力になりたいと思っていながら待つしかない状況でした。 最終回がアップされた1週間後に記者会見が開かれ、髙山さんの容態報告とTAKAYAMANIA設立が発表され、ようやく私たちは動けるようになりました。各団体・関係者の間でも募金活動が始まり、またたく間にその輪は広がっていきます。 それは事故から6年半が経過した今も、変わること

    『【特別転載】髙山善廣さんへの思いを持ち続けること』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/10/07
    これ大事ね>価値観によって状況や環境、立場によっていくらでも変わってきます。その上で、心へ芽生えた自分を突き動かす"動機"に対し、正直になってください。それが信念を育みます。
  • 『目指すは伝説の田コロ決戦超え――噂のアンドレザ・ジャイアントパンダがスタン・小林と対決』

    BGM:アンドレ・ザ・ジャイアントテーマ曲『ジャイアントプレス』 25日、小池百合子都知事が都庁で会見し、6月に上野動物園で生まれたジャイアントパンダの赤ちゃん(♀)の名前を、32万2581通の公募の中から「香香(シャンシャン)」に決定したと発表。存在自体が無条件で人間をしあわせにさせるパンダ案件らしく一日がその話題でいっぱいとなった中、そんな世間の向こうをムダに張るかのごとく同日夜、大日プロレスが10月4日の北海道・釧路青雲台体育館大会においてスタン・小林vsアンドレザ・ジャイアントパンダの一騎打ちをおこなうと正式にリリースした。 ▲大日がリリースしたアンドレザ・ジャイアントパンダのファイティングポーズ写真。これだけではどれほどの大きさかは伝わらないが この日の新木場1stRING大会で第1試合タッグマッチにスタン・小林名義で出場したアブドーラ・小林は、伝家の宝刀ウェスタン・ラリアッ

    『目指すは伝説の田コロ決戦超え――噂のアンドレザ・ジャイアントパンダがスタン・小林と対決』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/09/26
    ヤバい、10.4釧路密航したい…
  • 『道玄坂を登る息づかいと「闘う連続ドラマ」の情景…DDT、13年ぶりの渋谷club ATOM』

    道玄坂を登る息づかいと「闘う連続ドラマ」の情景…DDT、13年ぶりの渋谷club ATOM | KEN筆.txt BGM:World Party『When you come back to me』 DDTが渋谷club ATOMにおける定期戦をスタートさせたのは旗揚げから3年が経過した2000年6月22日。それまでは北沢タウンホールを中心に活動していたが、前年12月に後楽園ホールへ初進出し、次なるステップを模索する中で高木三四郎の人脈によって発掘された会場だった。 大会タイトルの「NON-FIX」は当時、映像班ではなく外注の制作スタッフだったマッスル坂井紀元前の坂井良宏が手がけていた、CS放送のDDT関連番組からとったもの。週に一度の定期開催というのは日のプロレスシーンにおいては画期的で、期間限定のイベント形式でもなければ一つの会場で続けるというモデルケースさえなかった時代。加えて新宿F

    『道玄坂を登る息づかいと「闘う連続ドラマ」の情景…DDT、13年ぶりの渋谷club ATOM』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/09/20
    10年後までDDTが健在だと、今の定期戦の場になってる春日部ふれあいキューブも懐かしの…になるのかなあ…
  • 『ポーゴさんのことを“放っておけない”者たちが集った「Mr.ポーゴお別れ会」』

    BGM:ミスター・ポーゴW★ING時代のテーマ曲『Get Up』 7月27日に「Mr.ポーゴお別れ会」が執り行われると発表された時点で、当日は手を合わせにいくつもりでいた。そんな中、2週間後に迫った頃に上林愛貴から「ご協力いただきたく連絡させていただきました」とFacebookのメッセージが届いた。 上林と豊明長さんが6月24日に催されたお通夜に参列し、そのさいWWS(WORLD W★ING SPIRIT)のラーメンマンから東京でお別れ会を開催したいとの意向を聞き、運営を担うことになった件については、週刊プロレスモバイルのコラム『火曜女子プロレス』803回にて須山浩継さんが書いているのでご一読いただきたい。WWSは生前のポーゴさんが一人で会場の手配、運営等を仕切っていたため、他の選手やスタッフに興行を開催するノウハウがなく、それでラーメンマンは相談したのだ。 そうした事情を聞いたため「そ

    『ポーゴさんのことを“放っておけない”者たちが集った「Mr.ポーゴお別れ会」』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/07/29
    観に行った。ポーゴさんがいかに愛されていたかが伝わったよ…
  • 『ディテールの重要性を意識することでポーゴさんは“過剰なプロレス”を貫いた』

    BGM:ミスター・ポーゴテーマ曲『スタフォロスの戦い』 日23日は、明日闘道館にておこなわれる金村キンタロートークショーの打ち合わせで、主催者である茨城清志・元W★INGプロモーション代表と会う予定だった。自宅で準備していた13時頃、週刊プロレス誌時代の同僚だった矢野寿明カメラマンよりミスター・ポーゴさんが危篤状態であるとの知らせを、保坂秀樹選手から受けたと連絡が入る。 その時は、なんとか持ちこたえてほしいと2人で願ったのだが約1時間後、公となった報道により12時21分、埼玉県内の病院で逝去されていたことを知った。数時間後に落ち合った茨城さんの携帯電話も十数分ごとに鳴りまくり、海外から「当なのか?」と確認してくる関係者もいた。 ▲週プロモバイルに訃報がアップされたのは14時7分だった 茨城さんはW★INGを始めるよりもずっと前…週プロの前身である『月刊プロレス』の海外特派員として活動し

    『ディテールの重要性を意識することでポーゴさんは“過剰なプロレス”を貫いた』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/06/23
    鈴木健.txtが振り返る、ミスター・ポーゴの思い出。思えば、ポーゴさんも言葉でプロレスのできる人だった。分かったか? 分かったら出てけー!
  • 『「鶴田さんのようになりたい」――あの日、真正直に答えた男がジャンボ鶴田になった日』

    「鶴田さんのようになりたい」――あの日、真正直に答えた男がジャンボ鶴田になった日 | KEN筆.txt BGM:ジャンボ鶴田テーマ曲『J』 「なんであそこで『ジャイアント馬場さんのようなプロレスラーになりたい』って言わないんですかね? ジャンボ鶴田さんのようになりたいって…それ、ただの音じゃないですか! 正直すぎるでしょ。せっかく似てるんだから、これからのことを考えたらあそこは馬場さんって答える方が正解なんですよ。なんですけど…まあ、そこがあいつの素直でいいところなんでしょうね。バカ正直だから苦労するだろうけど、あれほどのタッパがあるんだから頑張ればモノになるかもしれませんよ。やっぱり、最後にものをいうのは人間性ですからね」 2003年6月15日、横浜赤レンガ倉庫でスーパー宇宙パワーを相手にデビューしたソップ型の若者が、リング上から控室へ戻ってきてからもオイオイと泣き続けながら記者団の質

    『「鶴田さんのようになりたい」――あの日、真正直に答えた男がジャンボ鶴田になった日』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/05/22
    ユニオン時代はなにかにつけて泣いてばかりだった大巨人が、泣かずに興行を締めたか…そこにもウルッと来るね… #ajpw #union_pw
  • 『アントニオ猪木ブロンズ像製作者・村田善則先生(約)50周年功労感謝祭』

    BGM:アントニオ猪木テーマ曲『炎のファイター』 「ハヤブサ一周忌追悼興行」の翌日1日、午前中から生前に江崎英治さんが兄のように慕った新崎人生と八代市日奈久のご実家へと向かいました。もちろん、ハヤブサ選手の御仏前に手を合わせるためです。母・江崎千恵子さんと弟・貴範さんに手厚く迎えられ、お話をしました。その内容は広くプロレスファンにも伝えたいものでしたので、場を改めてお知らせしようと思います。 その後、熊市内に戻りホテルキャッスルへ。前夜、一周忌追悼興行の会場でビアホールMANのスタッフさんから「明日、マスターの50周年を祝うパーティーをおこなうんです。もしお時間がありましたら、いらっしゃっていただけませんか?」とお誘いを受けていました。 ビアホールMANとは熊のプロレスファンなら誰もが知っている社交場で、マスターの村田善則さんはハヤブサ&ミスター雁之助が熊商科大学のプロレス研究会時代

    『アントニオ猪木ブロンズ像製作者・村田善則先生(約)50周年功労感謝祭』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/04/03
    ミスター雁之助選手の骨折ってこのときのことか…Twitterブロックされているから分からなかったよ