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ブックマーク / ameblo.jp/team-nawabaring (22)

  • 『【今週のワンポイント-15】こちらも足元固めを…』

    またしてもグサッとくるロスに、ショックを受けた人も多いと思う。話はここから一気に佳境へと進むが、その前に、われわれも少々足元固めを…。 というのも、今回のように、御家人たちが全員集合してしまうと、もともと鎌倉時代に詳しくない人は、「誰が誰やら」になってしまうと思うからだ。かといって、全員の名前をいっぺんに覚えるのは、大変。ただ、主な役者さんの顔は覚えられるだろうから、あ、体育会ノリのヒゲの人ね ⇒ 和田義盛、みたいな感じでイメージできていれば、少しずつ覚えていけると思う。 さて、今回描かれた御家人たちのクーデター計画は、三谷さんの創作である。上総介広常の粛清は事実だが、それがなぜ行われたのか、当時の鎌倉で何が起きていたのか、具体的な事実は不明なのである。ただ、間違いなくいえるのは、もともと御家人たちは一枚岩ではない、ということ。人や家によって、さまざまな思惑や、立場の違いがあるからだ。 小

    『【今週のワンポイント-15】こちらも足元固めを…』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/04/18
    ほほう>この時代、捕まえた罪人や不審者は、馬屋に監禁するのが習わしだったのだ。問題を起こした家人なんかも、ペナルティとして馬屋行き #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-14】都への道のり』

    今回は、『鎌倉殿の13人』がなぜ面白いのか、という秘密を、特別に教えちゃいます。もちろん、三谷さんの脚がすばらしく(これは考証の仕事をしていると当に痛感する)、役者さんやスタッフさんたちが情熱を傾けているからなんだけど、それだけではない。 鎌倉幕府成立の物語が、そもそも面白いのである。 まず、片田舎に暮らしている勇者が、ある日突然、「以仁王の令旨」というアイテムを手にする。そこから少しずつ仲間を集めて、敵に立ち向かうが、全滅寸前までやられて、命からがら海を渡って逃げる。 そこで、いろいろな人たちと出会い、「千葉常胤が仲間に加わった!」「上総介広常が仲間に加わった!」と仲間を増やしながら、次のステージへと進む。加わる仲間も、戦士タイプだけでなく、MPを使う僧侶タイプや、賢者タイプなど多彩だ。「頼朝は賢さが2上がった」「義時は政治力が1上がった」と、キャラも成長する。 冒険の途中には「あや

    『【今週のワンポイント-14】都への道のり』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/04/10
    #鎌倉殿の13人 鎌倉幕府の成立はRPG的という話。頼朝死んでからは最近流行りのポスト勇者話みたいに?
  • 『【今週のワンポイント-10】根拠ある城郭』

    佐竹攻めのくだりで金砂郷山(かなさごやま)城が登場したのにちなんで、今回のワンポイントは城の話。 この時代の史料には、「城」「城郭」という言葉がちょくちょく登場する。もちろん、城といったって白亜の天守も壮麗な石垣もない。では、戦国時代の城のように、土塁や空堀でできた「土の城」だったのかというと、それも違う。 この時代には、街道を封鎖するバリケードのような施設も「城」「城郭」と呼んでいる。それから、武士の屋敷などを「城郭」にしている例もある。要するに、武装した兵がタムロっているような場所が「城郭」。 だから、この時代の史料では、「城」「城郭」に対応する動詞は「構える」だ。城郭は「築く」ものではなく、「構える」ものだったのだ。叛乱軍や謀反人が武装して、アジトに集まれば「城郭を構える」ことになる。 もちろん、ドラマに登場した佐竹氏の金砂郷山(かなさごやま)城のような、山城タイプの城もあった。ドラ

    『【今週のワンポイント-10】根拠ある城郭』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/03/13
    ふむ>この時代の史料では、「城」「城郭」に対応する動詞は「構える」だ。(中略)叛乱軍や謀反人が武装して、アジトに集まれば「城郭を構える」ことになる #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-9】決戦の大鎧』

    今回のワンポイントは栴檀(せんだん)の板と鳩尾(きゅうび)の板。 上級の武士が着ている大鎧の両胸に付いている、四角い札のようなもの、左右で形がちがうことに気がつきましたか? これは別に勲章でも飾りでもなく、れっきとした防禦用のパーツだ。右胸(向かって左側)に付いているのが、栴檀の板。左胸(向かって右側)が鳩尾の板だ。 鎧の胴は、肩紐で吊るタンクトップになっているので、肩紐を切られると「いや~ん」状態になってしまう。そうならないように、肩紐を守るパーツが栴檀の板と鳩尾の板なのだ。では、なぜ左右で形がちがうのかというと … 。 大鎧をよく見ると、胴の断面形が四角くて箱のような形をしている。草摺(くさずり)というスカート部分も4枚に分かれているから、裾のついた4枚の板を組み合わせて、箱にしている、と思えばよい。また、腕には大きな板状の袖がつく。つまり大鎧とは、4枚の楯を身にまとった形だと思えばよ

    『【今週のワンポイント-9】決戦の大鎧』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/03/07
    #鎌倉殿の13人 大鎧の構造についての豆知識
  • 『【今週のワンポイント-8】いざ、武衛』

    今回のワンポイントは「武衛(ぶえい)」。 劇中で畠山重忠が言っていたように、「武衛」とは兵衛府の別名である。では、なぜそん別名があるかというと、日の官職名を中国の官職名に置きかえた呼び名なのである。こういう呼び方を唐名(とうめい・とうみょう)といって、奈良時代から使われ出して、平安時代以降は盛んに用いられた。 『吾鏡』では、治承4年(1180)から文治元年(1185)5月11日まで、頼朝のことを「武衛」と呼んでいる。同年4月には平家討滅の功により従二位に叙させられるので、『吾鏡』は「二品(にほん)」と呼ぶようになるが、これも二位の唐名だ。 これ、はっきり言って、意識高い系の人がグローバルスタンダードぶって、やたらカタカナ語を使いたがる感覚である。現在にたとえるなら、社長をCEOと言ったり、中間管理職をリーダーとかマネージャーとか言うのと同じ。 でも、貴族たちが気取って盛んに使ったおか

    『【今週のワンポイント-8】いざ、武衛』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/02/28
    唐名って…>意識高い系の人がグローバルスタンダードぶって、やたらカタカナ語を使いたがる感覚である。社長をCEOと言ったり、中間管理職をリーダーとかマネージャーとか言うのと同じ #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-7】あるいは弟か』

    今回のワンポイントは、義経。 義経は、頼朝の9人の男兄弟のうちち一番下の弟で、九郎と呼ばれた。9人兄弟の下の3人は常磐御前という女性の子で、順に今若、乙若、牛若と名付けられた。平治の乱で義朝が敗れたときは、3人とも幼かったので、それぞれ別の寺に入れられて、僧として育てられることになった。このうち今若は全成、乙若は義円(ぎえん)となる。 鞍馬寺に預けられた牛若が、どのように育ったのかは、当のところはよくわからないが、成長する過程で自分の身の上を知ったらしい。武士が元服するときは、親類か知り合いの有力者に烏帽子をかぶせてもらって実名を決めるものだが、牛若は自ら冠を乗せて義経と名乗ったという。そして、寺を出て奥州に下って藤原秀衡のもとで成長した。 頼朝と義経は母がちがうが、育ち方が決定的にちがっていた。頼朝は14才で平治の乱に敗れるまでは、親兄弟や累代の家人に囲まれて育った。つまり、源家嫡流の

    『【今週のワンポイント-7】あるいは弟か』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/02/20
    ほう>義経は、家族を知らずに育った。平治の乱のときは生まれて間もなかったから、頼朝と義経は実際には面識がなかっただろう。要するに孤児なのだ #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-6】悪くない提案』

    今週のワンポイントは「侍の別当」。 房総で再挙を期す頼朝たち。そんなときに和田義盛が、自分を「侍の別当」にしてくれ、と言い出す。このエピソードは、鎌倉幕府の正史として編まれた『吾鏡』という史料に出てくるし、義盛はのちに幕府の「侍所別当」というポストに任じられているから、三谷氏の創作ではなく、当の話である。 ここで、教科書に載っている鎌倉幕府の組織図の中に「侍所(さむらいどころ)」という機関があったな、と思い出した人もいるだろう。では、「侍の別当」とか「侍所別当」とは何なのか? まず、「別当」というは部局の長のこと。 次に「侍所」だが、実は鎌倉幕府の「侍所」が具体的にどんな業務を担当していたのか、よくわかっていない。史料にあまり出てこないのだ。ただ、「侍所」というのは、もともとは偉い人たちを警護する侍たちの詰め所のことを指していた。 だから、幕府の「侍所」は、字ズラからいえば「幕府警備局

    『【今週のワンポイント-6】悪くない提案』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/02/13
    ふむ>この先うまく勢力を盛り返したら、いろいろな武士たちが集まってくる。そうすると、彼らが当直につくためのシフトが必要になってくるから、その主任にしてくれ、くらいな話なのであろう #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-5】髪の毛の約束』

    今週のワンポイントは、烏帽子(えぼし)。 『鎌倉殿の13人』に登場する武士たちは、みな烏帽子をかぶっている。頼朝がかぶっている縦に長いタイプは立烏帽子(たてえぼし)。義時たちのは折烏帽子(おりえぼし)といって、立烏帽子を折りたたんだもの。こちらの方が動きやすいから、武士もふだんは折烏帽子をかぶる。 この時代の成人男子は、ロン毛をてっぺんで結んで髻(もとどり)をつくり、烏帽子をかぶるのが基武士だけでなく、庶民も大人の男子なら烏帽子をかぶる。いま、マスクをせずに外を歩いていたら「やばい人」と思われるのと同じように、この時代、烏帽子はまともな人の証しみたいなものなのだ。だからこそスキンヘッドのお坊さんは、特別な存在として俗人と区別されるのである。 男は、大人になったら髻は人には見せないのがたしなみだから、寝るときも温泉に入るときも烏帽子はかぶったまま。烏帽子を落として髻を見られるのは、パンツ

    『【今週のワンポイント-5】髪の毛の約束』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/02/07
    なるほど>武士だけでなく、庶民も大人の男子なら烏帽子をかぶる。いま、マスクをせずに外を歩いていたら「やばい人」と思われるのと同じように、この時代、烏帽子はまともな人の証しみたいなもの #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント−4】矢の軌道』

    『真田丸』のときに、このワンポイントやトークイベントなどで、皆さんに繰り返しお断りしていたことがある。今回も、ドラマが格的に動き出す前に再確認しておきたい。 大河ドラマは、ドラマである以上、基はエンタテインメントであり、フィクションである。『鎌倉殿の13人』も『真田丸』も、歴史上の事件が舞台となって歴史上の人物が登場する。でも、あくまで「ドラマ」であって、歴史再現映像ではない。制作する方は、そのつもりで作っているのだから、観る側も了解しておきたいものだ。 そうした作品においての考証の仕事とは、視聴者が楽しめるようにドラマにリアリティーを担保することだと、僕は考えている。もし、考証的に極力正しい大河を作ったとしたら、一部のオタクは大喜びするだろうが、ドラマとしてはまったく面白くないだろう。 たとえば、『真田丸』のクライマックスシーンで幸村が構えていた、フリントロック式の馬上筒。大坂の陣の

    『【今週のワンポイント−4】矢の軌道』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/01/31
    ふむ>ドラマを観るとわかるように、ここは大変に象徴的なシーン。だとしたら、音もなく見張りを射倒す矢と、夜空に弧を描く火矢と、どちらがよいか。 #鎌倉殿の13人
  • 『【今週のワンポイント-3】挙兵は武器と防具から』

    頼朝が鎌倉幕府を興したのは、今から800年も前のこと。 と、文字で書けば簡単なんだけど、この「800年前」というタイムスケール感、ピンときますか? わかりやすく説明しましょう。大坂夏の陣が慶長20年(元和元)=1615年なので、今から406年前。頼朝が挙兵した治承4年は1180年だから、大坂の陣から430年さかのぼることになる。 つまり、現在から『鎌倉殿の13人』頼朝までさかのぼる、ちょうど中間点くらいが『真田丸』というわけだ。いい換えるなら、僕らが関ヶ原や大坂の陣を「昔のこと」と思うのと同じくらい、幸村から見て源平合戦は「昔のこと」だったわけだ。 なので、社会の仕組みや人々の価値観などが、だいぶ違う。もちろん、戦いの有り様も大きく違う。武士たちが、鎧を着て刀を振り回して戦っている、という意味では、似たような感じがするかもしれないが、『真田丸』の戦いと『鎌倉殿』の戦いとは、まるで別物とイメ

    『【今週のワンポイント-3】挙兵は武器と防具から』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/01/24
    普通の人は見落としがち?>『鎌倉殿』の時代に使われた武器は、弓矢と太刀、薙刀、それにせいぜい腰刀などの短刀類くらいで、いたってシンプル。戦国時代の主力兵器だった槍は、まだない。
  • 『【今週のワンポイント】1月9日号』

    鎌倉殿の13人』で中世軍事考証を務める西股が、ドラマの中のちょっとしたポイントをサクっと解説する「今週のワンポイント」。『真田丸』の時と同じように今回もやりますので、一年間ご愛顧下さい。 さて、第一回のワンポイントは「佐殿(すけどの)」という頼朝の呼び名。これは「前右兵衛佐(さきのうひょうえのすけ)」という肩書きに由来する。頼朝が「右兵衛佐」に任じられたのは、13才のとき。そして、平治の乱で負けて流罪となったので、官位・官職を剥奪されので、「前」が付く。 「右兵衛佐」とは、朝廷の警備に当たる兵衛府(ひょうえふ)という役所の次官だ。兵衛府のような軍事部門の役所は、長官を「将・督(かみ)」、次官を「佐(すけ)、三等官を「尉(じょう)」と呼ぶ。 近代の日軍や現在の自衛隊で、将校のランクを将官・佐官・尉官と分けているのも、この律令制以来の伝統にならったもの。なので、頼朝は近代風にいうなら「頼朝

    『【今週のワンポイント】1月9日号』
    kowyoshi
    kowyoshi 2022/01/10
    ほほう>近代の日本軍や現在の自衛隊で、将校のランクを将官・佐官・尉官と分けているのも、この律令制以来の伝統にならったもの。なので、頼朝は近代風にいうなら「頼朝少佐」くらいな感じだ #鎌倉殿の13人
  • 『【縄張りコラム】検定不合格』

    僕が城の研究を志した大学生の頃、杉山城のことを知っているのは、関東の縄張研究者くらいなものだった。それから40年ほどをへて、今や杉山城は「続日100名城」に選出され、城好きなら一度は訪れてみたい土の城として、指折られるまでになっている。 無名の城が名城に数えられるに至る経緯については、拙著『杉山城の時代』にも書いたので、興味のある方はご一読いただきたいのだが、多くの人が杉山城を歩き、語り、さまざまな媒体で採り上げられるようになって気になるのが、城の評価である。 いえ、いえ。北条だとか山内上杉だとか、永禄とか大永とか、そういう話ではないのです。杉山城について語るとき、多くの人が枕詞として冠する「中世の築城教」「築城の教科書」という表現が、気になるのだ。 実は、この「築城教」「教科書」という表現、誰が使い始めたのか、よくわからない。わからないにもかかわらず、なぜだか縄張研究者達が言い出し

    『【縄張りコラム】検定不合格』
    kowyoshi
    kowyoshi 2021/07/07
    うーむ、杉山城かあ>あんな堀切も、櫓台も、内枡形虎口もない城、教科書なら一発で検定不合格だ。トイレもキッチンもクローゼットもないモデルルームなんて、ありえない
  • 『【縄張りコラム】使い込まれた時と場所』

    前回に引き続き、『STAR WARS』の話。一般にはあまり知られていないことなのだが、実は、1970年代後半から公開された『STAR WARS』(以下SW)は、プラモデルの世界に革命をもたらしたのである。というのも…。 それまでプラモの世界で、汚し塗装(ウェザリング)を施すのは、戦車など陸戦モノ(AFV)のジャンルに、ほぼ限られていた。飛行機では、排気口や機銃まわりのススけた感じを表現するくらいで、全体はきれいに仕上げるのが基だった。 ところが、SWに登場するメカは、皆ものの見事に薄汚れていて、それがとてもリアルだった。ルークがモス・アイズリーで売り払ったランド・スピーダーは、中古車そのもの。同盟軍の戦闘機も、ススやオイルで汚れていて、ところどころレーザービームがかすった痕があった。ミレニアム・ファルコン号にいたっては、レイアに「あの難破船みたいな船で来たの? 勇敢なのね」と言われる始末

    『【縄張りコラム】使い込まれた時と場所』
    kowyoshi
    kowyoshi 2020/02/07
    スターウォーズとウェザリングと城郭復元イラストについて
  • 【縄張りコラム】石落しの威力 | 人生竪堀

    第1次世界大戦に登場した新兵器の一つに、潜水艦がある。ドイツの潜水艦(Uボート)は通商破壊戦に猛威を振るったのではあるが、当時の魚雷はごく短い距離をヘロヘロと進むような、アテにならないシロモノだったから、実際の戦果は大半が浮上砲撃によるものだった。それだって、潜水艦がぬっと浮上して砲撃してくるんだから、丸腰の商船には充分脅威だったのだ。 そこで、Uボートにイタイ目に遭わされたイギリス人やフランス人は、次に戦争になっても撃ち負けないように、潜水艦に強力な大砲を積むことに血道をあげた。でも、第2次大戦が始まる頃には、潜水艦も魚雷も性能が大幅アップしていて、浮上砲撃を行う機会がそのものが激減したので、せっかく建造した巨砲搭載潜水艦は役に立たなかった。結果、連合軍は潜りっぱなしのUボートにイタイ目に遭わされたのである。 いっぱいあるんですよ、この手の話。大戦間に考案された、一見「これはスゴイ」と思

    【縄張りコラム】石落しの威力 | 人生竪堀
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/12/04
    日本の近世城郭で実践を経験したのって、鶴ヶ城や松山城くらいだよねえ。西南戦争の熊本城は戦場が城郭のさらに外側だったし。
  • 『【縄張りコラム】書ききれなかった話・前編』

    『杉山城の時代』が発売されて、半年以上が過ぎた。お陰様で売れ行きは悪くないのだが、僕としては内容に完全に満足しているわけではない。文の最後の方、P268に書いた通り、咀嚼できていない論点や積み残した課題はたくさんあって、「杉山城問題」をめぐるいくつかの重要な言説についても論及できていない。 具体的に言うなら、齋藤慎一氏・竹井英文氏らの論点を結果として十全に整理できなかった。また、北条氏がなぜ杉山城を必要としたのか、についても説明ができていない。つまりこのでは、発掘資料や指摘された史料が、年代を特定する決定打にはなりえないことを指摘して、北条氏築城説が成立する余地がある、と論じたにとどまっているのだ。 なので、読者の中にも、こうした点を不満に感じた方がいるのだろうと思う。いや実際、松岡進氏や竹井英文氏から、論点の整理不足や踏み込み不足を具体的に指摘した、お叱りのお手紙を頂戴している。 『

    『【縄張りコラム】書ききれなかった話・前編』
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/05/30
    ふむぅ
  • 『【縄張りコラム】描けますか?(後編)』

    (承前) 縄張り図を描くためには、城域をすみずみまで歩き回らなくてはならない。そして、城域をくまなく歩くという行為は、必ず藪こぎをともなう。きれいに公園化されている城でも、実際は整備されているのは主要部分だけであって、周囲には藪に埋もれた土塁や堀がある。ましてや、大多数の城跡は、藪をこぎ回らないと遺構を確認できない。 しかも、藪をかき分け倒木を踏み越え、竪堀があれば末端が視認できるところまで下っていって、下るということは当然、元の場所まで登り返し…といった行為を、丹念に際限なくくり返していって、はじめて一枚の図が描きあがるのだ。したがって、縄張り図を描くためのにもっとも必要なのは、藪こぎや斜面の上り下りを厭わないマインド、ということになる。 時々、歴史学や考古学の人たちから、「縄張り研究の人たちは、藪をこぐのが好きなのでしょう」と揶揄されることがあるが、誰が好きで藪こぎなんかするものか。藪

    『【縄張りコラム】描けますか?(後編)』
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/03/13
    縄張り研究者と歴史学者、考古学者の間の溝とは…まあ、杉山城問題でその辺はうかがえるんだけどさ
  • 『【縄張りコラム】江戸城のこと』

    少し前の事だけれど、江戸城西ノ丸の一般参観に行く機会があった。桔梗門から入って富士見櫓の真下を通り、西ノ丸の宮殿の前から二重橋まで行って折り返 してくるコース。江戸城へは何度も行っているが、西ノ丸の方へ行くのは初めてだったので、なかなか新鮮な体験だった。あらためて江戸城の占地がよくわかっ たし、なぜああいう縄張りになったのかも、理屈ではなく体感的に理解できた。 間近で見る富士見櫓や伏見櫓にも、いろいろと感ずるところがあったし、石垣の技術的特徴は、いくら眺めていても飽きない。まあ、立ち止まってずっと眺めていると、係の人に注意されてしまうけどね(笑)。圧巻はやはり丸の裏手(西側)、蓮池堀に面した高石垣かなあ。 今回は、東御苑として開放されている三ノ丸・二ノ丸・丸も、ついでにぶらっと歩いたので、余計に考えることが多かった。まず、あらためて実感したの は、やっぱり江戸城は日で最大最強の城、と

    『【縄張りコラム】江戸城のこと』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/05/30
    江戸城天守再建プロジェクトってやっぱその程度の認識か>「江戸城って、縄張りとか石垣とかスゴイですよね、よく 残っているし」と言ったら「えっ? そうなんですか?」と、真剣にビックリされてしまった。
  • 『【縄張りコラム】縄張り図の清書 1/3』

    このところ、描きためていた縄張り図を何枚か、立て続けに清書している。縄張り図の清書は、なかなか手間のかかる作業だ。現地で描いた図面を地形図に乗 せてみて、方位のズレなどを確認し、等高線にうまく乗るように修正をくり返しながら、まず一度、鉛筆描きの清書図を作る。そして、その上にトレーシング ペーパーを被せて、製図ペンでトレースして、最終的な清書図ができる。 スキャナーやパソコンの描画ソフトをうまく使えば、この手間をもっと省けるのかもしれないが、僕は縄張り図をデジタル処理するするつもりはない。描画ソ フトでケバがうまく抜けるのかとか、ケバと等高線の組合せでデータが重くなるだろうとか、そういった技術的な問題もあるのだけれど、それだけじゃない。 手を動かして図を清書する作業とは、実はとても知的な営みなのだ。そもそも縄張り図の清書とは、現地踏査を再体験する行為だ。実際、清書をしていると、遺構の様子や踏

    『【縄張りコラム】縄張り図の清書 1/3』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/04/26
    ほほう>縄張り図の清書とは、現地踏査を再体験する行為だ。実際、清書をしていると、遺構の様子や踏査の時の情景、同行した仲間たちとの会話など、次々に思い出す。しかも、冷静に。
  • 『プラモデルをプロデュース!』

    しばらく前に、静岡の某有名模型メーカーから僕に、プラモを監修してほしいとの打診があり企画を進めてきましたが、だいぶ形になってきたので、あくまで非公式にではありますが、こちらから開発の状況をご報告させていただきます。 この企画、もともとはメーカー社員に城好きな人がいて、『戦国の城がいちばんよくわかる』や『ぽちっと東国の城』を見て、「これをプラモ化したい」と 思い立ったのがきっかけ。おりからの大河ブームも後押しして、『真田丸』の考証担当者が監修にあたるなら、ということで社内の企画会議もあっさり通り、こ ちらもビックリするような猛スピードで開発が進むことに。 商品名は確定ではありませんが、「(仮)1/35城郭攻防戦シリーズ」。第1弾として、「丸馬出」「鉄砲足軽6体セット」「長柄足軽6体セット」「城兵 セット」を開発中。「丸馬出」は1/35のジオラマベースに、楯・竹束・木戸・柵などがセットされた

    『プラモデルをプロデュース!』
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/04/01
    四月馬鹿抜きで欲しいぞ>「(仮)1/35城郭攻防戦シリーズ」。第1弾として、「丸馬出」「鉄砲足軽6体セット」「長柄足軽6体セット」「城兵 セット」を開発中。
  • 『【今回のワンポイント解説】12月18日号』

    これでとうとう最終回なのだけど、僕は道明寺や天王寺口の戦いについて、分析・論評を加える気にはなれない。家康の和議に乗って大坂城の外周部を破却したのちに再戦に及んだ時点で、豊臣方の戦略は破綻したからだ。戦略の失敗を戦術で取り戻すことはできないのが、戦いのセオリーというものである。 そこから先は、不可測性と流動性が支配する世界で、ただひたすら死闘あるのみ。無論、一発逆転の可能性もゼロではなかったが、大穴を狙ってバクチを打つようなものだ。 なので、最後に『真田丸』全体に対する僕の感想を書きとどめておきたい。まず、僕はかねがね、大河ドラマには「適度なホラ話感」が不可欠だと考えている。この点については、『真田丸』は申し分ない。出浦昌相や佐助の繰り出す、思わず笑ってしまうような忍術が、史実をベースとしたシリアスなドラマの中に、違和感なく組み込まれているホラ話感は、最高である。 次に、登場人物の全員がき

    『【今回のワンポイント解説】12月18日号』
    kowyoshi
    kowyoshi 2016/12/19
    真田丸の戦国軍事考証を務めた西股総生氏による真田丸の解説並びに感想&裏話 #真田丸