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Grassroots Journalismに関するktdiskのブックマーク (10)

  • ダン・ギルモアのリターンマッチに期待する | WIRED VISION

    ダン・ギルモアのリターンマッチに期待する 2010年1月14日 (これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら) 2010年は、ワタシがその動向(論考)を追っている論客が何人かを出します。6月に刊行予定のニコラス・G・カーの『The Shallows』とクレイ・シャーキーの『Cognitive Surplus』も気になりますが、今回はダン・ギルモアの新刊『Mediactive: A User's Guide to Finding, Following, and Creating the News』を取り上げたいと思います。 ダン・ギルモアについては、かつて梅田望夫氏が彼のことを「シリコンバレーの良心」と評していましたが、サンノゼ・マーキュリー・ニュースの有名コラムニストにして、ブログに積極的に取り組んだ最初期のジャーナリストの一人です。 その彼の初の著書が2004年の『We

  • 市民メディアの凋落とマスメディアの憂鬱 - 雑種路線でいこう

    わたしも売文稼業の末席を汚しエイャで原稿を書き散らかしては編集部から丁寧な添削を受ける度に感心するクチだから、ネット上の文章について藤代さんが厳しい目を向ける気持ちは分かる。しかし市民メディアは「コンテンツの質が低い」以前に深刻な自己矛盾を抱えているのではないか。既存のマスメディアでさえ、今後もコンテンツの質と威信を担保し続けられるかは疑わしい。 しかしながら、ネット上の言論がこのようなマスメディア批判から抜け出せていないのも現実だ。他人の記事を批判するならまだしも、自らニュース記事を書いて発信するとなると、とたんにハードルは上がる。25日についにオーマイニュースの閉鎖が発表されたが、市民メディアと呼ばれるメディアが広がりを見せないのは、コンテンツの質が低いからに他ならない。 ITのもたらしたチープ革命で表現の場を与えられたにも関わらず、マスコミの権威性に憧れて市民記者を標榜し、けれども充

    市民メディアの凋落とマスメディアの憂鬱 - 雑種路線でいこう
    ktdisk
    ktdisk 2009/03/29
    市民メディアの誤算は、マスメディア的な流儀と記者-読者関係をネットに持ち込んでしまったがために、読者に対してコンテンツの品質に対して過剰な期待を抱かせ、記者に対して誤った自尊心を植え付けてしまい
  • 切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる

    義塾のOBでかつ新聞社OBの皆様と酒を飲み、言論の世界で「ネットの言論はクズだ」と文字通りボコボコにされたのであります。仔細は省きますが、いや、ご説ごもっともでして。まあ、たまたまGIGAZINEさんの微妙陰謀論を引き合いに出したところ、肝心の「拒否できない日」の核心をやった編集者の話に流れまして、あれは頭に血が上りやすいが理の通ったやけに話の長い男だそうだそうだという話になった挙句、finalvent爺が毎日社説の解説をやるのを回覧、しかも紙でプリントアウトさせてから読むデスクに対する罵倒まで一通り出たのち、表題の内容になったのであります。 平たく言えば、あんな程度の知識レベルでネットに読者を奪われる新聞社ってどうよという話と、押し紙(残紙)やリベートで百億単位の銭を浪費してなお「新聞は危機でない」とのたまう一部業界守旧派の皆さまのクオリティに関する話題が並存したのであって、ネット業界

    切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる
    ktdisk
    ktdisk 2007/06/05
    紙面にしない各種事情に対する考察の深さはネットをネットでしか見ない人間のそれとはかなり隔絶した品質の高さなのだなと思った次第であります。
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 「ブログは世論を作り出すことが出来るのか」

    久しぶりに巡回の時間が取れたので藤代さんとこを見てたら、実にくだらねーことで盛り上がっているのを発見、ちんこが勃った。 http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20061209/1165684918 どうでもいいじゃねえか、そんなもん。天下りなくしたら出世レース脱落したキャリアはどこに逝くんだよ。大学は使えなくなったキャリア官僚捨て場じゃないんだ。それともあれか、ダンボールに入れて「誰か拾ってください」と溝口駅前あたりに置いておけば、親切なムツゴロウさんが拾って王国に連れて逝ってくれるのだろうか。 良し悪しはともかくとして”『年功序列システムを壊し、能力・実績主義を重視して、年齢に関わらず優秀な人材を登用・処遇する人事・給与制度へと移行すべきである』と提案”したのだそう。年齢に関わらず優秀な人材を登用しようという話なら、優秀な官僚を民間が抱えようという動きを制限

    ktdisk
    ktdisk 2006/12/26
    相手のことをよく理解して、双方の言い分を吟味して下した結論ではなく、理解する努力を放棄した上での印象論を展開して、その語呂が心地よければとりあえず賛同してみるという話に過ぎない。
  • [徳力] マスメディアでは記事は最終製品だけど、ソーシャルメディアではベータ版

    Blogging Editor for Best Daily Newspaper on Web speaks to the Guardian’s successを聴いて。 PodTechでイギリスの新聞Guardian紙の編集者のインタビューが公開されていました。 Guardianというのは1821年イギリスのマンチェスターで創刊された歴史のある新聞です。そういう意味では、てっきり新聞が大変だと言う話になるのかと思ったんですが、正反対。 なんでも彼いわくGuardian紙は「世界で最も先進的な新聞」と自負しているそうで、実際ネットやブログに対する取り組みも非常に歴史が長く、発言内容も自信にあふれていました。 そんな中、個人的に非常に印象に残ったのが、彼の「これまで『記事』は最終製品だったけれども、今はプロセスの1ステップに過ぎない」という趣旨の発言。 おととい、うだうだとオーマイニュースと

    [徳力] マスメディアでは記事は最終製品だけど、ソーシャルメディアではベータ版
    ktdisk
    ktdisk 2006/12/02
    記事を最終製品と思っているか、プロセスの一つのステップだと思っているかで、一つ一つの記事に書けるコストも違うでしょうし、記事に対する批判やバッシングなどのフィードバックに対する心構えも違うでしょう。
  • 【埋】「一次情報信奉」は、情報の需給バランスの前に意味を持ち得るか?

    日曜コラムです。こんばんは。 ブログの書き方というのは千差万別ではありますが、その中でも私は 特に典型的な2つのパターンを定義したことがあります。 ・自己言及型 自分自身の生き様をコンテンツにしたもの。 「今日は○○を買った」「嫌なことがあった、憂だ」 ・他者言及型 ニュースなどに対する感想や論評を書くもの。 「○○の政策は良くない」「新製品のココが良さそう」 前者の「自己言及型」はある意味、完全無欠の文章形態であり、 他者からツッコまれる余地があまりありません。これはいわば 「究極の一次情報」であり、誰が何と言おうと、今日私が買ったモノや、 今日の私の気分についてケチをつけることはできないのです。 対して、後者の「他者言及型」の文章は、自己完結することはできません。 他者に言及している以上、その「他者」に対する見解の決定権は自分には ありません。そしてその見解は人によって相違があります

    【埋】「一次情報信奉」は、情報の需給バランスの前に意味を持ち得るか?
    ktdisk
    ktdisk 2006/09/03
    二次情報供給者が需要を獲得し始めているということは、読者の需要を満たす多彩な読み解きパターンをマスメディアが十分に提供してこなかったことの裏返しと見ることができます。
  • CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:私がオーマイニュースに批判を書いた理由

    オーマイニュース日語版の編集委員になった。その上で、「オーマイニュースへの疑問」という原稿を書き、この原稿は2回に分けてohmynews開店準備中ブログに掲載された。 私がオーマイニュースに関係するようになったのは今年春からで、オ・ヨンホ代表には再三、日では新旧と左右のねじれ関係があって、そのあたりを踏まえずにネットメディアを作ってしまうことは危険だというようなことを言った。だが結局、準備ブログが立ち上がってみれば、危惧された通りになった。 私は鳥越編集長は人間として尊敬しているし(そもそも前の会社の先輩だ)、鳥越編集長のようなスタンスの言論はおそらく今の50代から60代あたりの団塊世代を中心にした層を代弁しているように感じるから、それに対して異論を唱えようという気持ちはまったくない。だがそうした言論は、いまの20代から30代を中心にしたネットの世界の言論とはかなり異なっているし、それ

    ktdisk
    ktdisk 2006/08/31
    編集部内部の対立をすべて丸め込んでしまって外部に完成品だけを提供するというのでは、それは編集部が外部の市民をシャットアウトし、編集部と外部との間に「壁」を作ってしまっている
  • 鳥越編集長、とりあえず「はてブ」からオススメします。

    懲りずに「オーマイニュース」ネタ。なんか創刊号を読めば読むほど疑問を感じたので、つれづれに書いてみます。 ここ数時間でオーマイニュース体や、関連するニュースやブログを読んでみたのですが、どうもオーマイニュースは「ブログは市民メディアではない」と捉えているようですね。まぁそもそも市民メディアとは何か、について明確な定義は無いわけですが、「ブログ=匿名のユーザーが好き勝手なことを書いている場」「オーマイニュース=『市民』が実名を晒して責任ある記事を書く場」という対立軸を、どうもオーマイニュース関係者(編集長・編集者・記者)は描いているようです。 しかし言うまでもなく、Blogosphere、というよりネット全体は玉石混合なものです。当にクズなものもあれば、僕のように好き勝手なことを言っている人、集めた情報のまとめ的にブログを書いている人もいます。しかし一方で、実名で責任のある記事を書いてい

    ktdisk
    ktdisk 2006/08/29
    「どこをどう探しても『玉』が見つからないから、Netの世界は『石』だけに違いない。だから僕らは『玉』だけを作り、集めるための閉じた世界を造るのだ」 -- オーマイニュースの主張は、そんな風に聞こえるのです。
  • 「きっこのブログ」と事情通、一次情報 | ニュースの現場で考えること

    何らかの物事に対する「定義」に関する議論を進めていくと、神学論争になりやすい。その際、神学論争を避けるためには、定義づけを行う言葉(=対象となる言葉)をできるだけ、「小さくしていく」しかない、と私は考えている。議論自体をわあわあ楽しむような場合は、そんな小難しいことを言わなくても良いとは思うのだが、少し真面目に議論する場合は、やはり、「大きな言葉は使わない」ことだと思う。 で、少し話は変わる。「新聞はネットを殺すのか」の湯川さんが、「日のブログジャーナリズムの現状」というエントリで、「ネットの一次情報を基に取材する記者」という小見出しの部分で、ネットと一次情報の関係について触れている。 「ネットには一次情報が無い」という声がある、だいたいはそうかもしれないけれど、一次情報を発しているブログもある、例えば、耐震設計偽造問題では「きっこのブログ」が情報発信源になり、そこから情報を入手して各メ

    「きっこのブログ」と事情通、一次情報 | ニュースの現場で考えること
    ktdisk
    ktdisk 2006/01/01
    一次情報とBlogの関係。"特殊な情報Circle内である事案の情報が流れる初期段階においてかつては記者も加わった形で一部の人々の間で行われていたヒソヒソ話が最初から大勢の人々の前にBlogを通じてぶちまけられた。"
  • [R30]: 世耕さん、福山さんに会ってきましたよ (´・ω・`)ノ

    総選挙が終わって、さて開票予想の比較とか書くかぁ・・・とか思いながら月曜日を迎えたとたんに、仕事が山のように降りかかるわ、あちこちから原稿の校正やら原稿執筆、コメントなどの依頼の連絡が入るわで、もうてんやわんや。あのー、僕別に「識者」とか言うような偉そうな人間じゃないんですが何か?半年前に記者業は廃業したはずなのに、なぜか締切に追われている・・・(泣)。 そんなこんなでブログ更新をほったらかして週も後半に入ってしまいましたが、なんとそんな慌ただしいスケジュールを縫うようにして、某誌編集部のご厚意で自民・民主両党の広報責任者に「総選挙における広報(コミュニケーション)戦略総括」というテーマで、1時間ずつインタビューをすることができた。 民主党は福山哲郎参院議員、自民党はかの有名な世耕弘成参院議員である。どちらも非常にざっくばらんに、ものすごい勢いで(横にいた編集者に言わせると、新聞やテレビ

    [R30]: 世耕さん、福山さんに会ってきましたよ (´・ω・`)ノ
    ktdisk
    ktdisk 2005/09/22
    草の根メディアの効果とInterviewする権利の争奪戦について
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