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哲学に関するkudryavka1957のブックマーク (83)

  • 「幾多郎ノート」にあなたの思索も 直筆再現 石川・西田幾多郎記念哲学館が販売 | 毎日新聞

    石川県西田幾多郎記念哲学館(かほく市)は、日を代表する哲学者の西田幾多郎(1870~1945)の直筆ノートを再現した「幾多郎ノート」を販売している。2015年に東京都内の遺族宅で発見されたノート50冊のうち、京都帝国大(現・京都大)時代の倫理学講義と、「Gedanken(思想・思いの意味のドイツ語)」とタイトルが書かれた2種類だ。 旧宇ノ気村(現・かほく市)出身の西田は母校の旧制四高(現・金沢大)で教壇に立ち、40歳の時に京都帝大文科大学の助教授(当時)に就任。翌年、西洋哲学をかみ砕き、独自の思索をまとめた「善の研究」を発表した。

    「幾多郎ノート」にあなたの思索も 直筆再現 石川・西田幾多郎記念哲学館が販売 | 毎日新聞
  • 神の三位一体が人権を生んだ/八木雄二|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    僕は、どちらかというと海外の作者が書いたの翻訳を読む頻度が高い。 特にヨーロッパ系の作者の書いたものを読む機会が多い。 だから、かえって日人の作者がヨーロッパのことについて書いたものをたまに読むと、違う視点でヨーロッパの特殊性にあらためて気づくことができて、普段と違った感動をおぼえる。 この八木雄二さんの『神の三位一体が人権を生んだ』もまさに、そんな感動を何度もおぼえつつ読んだ。 人として「在る」ということ、他者の「在る」もまた認めるということ、そして、それを認めた上で、自分たち人間がどう生き、どう仕事をするのかということを考えるきっかけを与えてくれたという意味でも読んでよかった。 主題は、人格と三位一体というより、ソクラテスの無知の知良いと思えたからこそ、このタイトルはこれで良かったのだろうか?という疑問はある。まあ、中身の面白さを損なうものではないのだけど、このタイトル通りの内

    神の三位一体が人権を生んだ/八木雄二|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • デカルトの呪縛から「人工知能」を解放できるか:三宅陽一郎×井口尊仁×立石従寛 鼎談(前編)

  • ヘーゲルに挫折しないための5冊 - 川瀬和也 研究ブログ

    西洋哲学史のなかでもトップクラスのとっつきにくさで知られるヘーゲル。この記事では、ヘーゲル哲学を学ぶための入り口を提案します。この夏、新たな挑戦としてヘーゲルに入門してみてはいかがでしょうか。 1.ヘーゲル哲学入門の難しさ 西洋哲学に興味のある者でその名を知らぬ者はいない、と言ってもよい大哲学者ヘーゲル。しかし、彼の思想を学ぶことには独特の困難が伴います。 1.1 文章が難解すぎる ヘーゲルの文章は非常に難解で、西洋哲学の中でもトップレベル。ヘーゲル自身も書簡でうまく書けないと嘆いており、専門の論文でも、例えば英語ならdense(濃縮された)やnotrious(悪名高い)と言った表現に何度も出会うほど。いきなりヘーゲルの著作を開いて、数行で挫折してしまった、という方も少なくないでしょう。 1.2 著書が手に入りにくい 哲学の古典と言えばまず思い浮かべる人も多いであろう岩波文庫。その岩波文庫

  • 西田幾多郎:西田哲学の原点 講義ノート発見、思索の記述 | 毎日新聞

    倫理学の講義ノートには「Personal Nature」に「個人性」の訳語をあてる際、推敲を重ねた跡が残っている=石川県かほく市内日角の西田幾多郎記念哲学館で2018年6月5日、石川将来撮影 日を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだきたろう)(1870~1945年)が京都帝国大(現・京都大)で講義をした際に使用したノートなどの未発表資料が見つかり、石川県西田幾多郎記念哲学館(同県かほく市)が5日、報道陣に公開した。代表作「善の研究」の重要なキーワード「純粋経験」などの言葉が記されたノートもあり、同館は「西田哲学の形成と深まりに新たな解釈をもたらす可能性がある」としている。 資料は西田の孫が2015年秋に東京都内の自宅倉庫で発見した。長年雨にあたっていたとみられ、傷みが激しかったが、寄託を受けた同館が奈良文化財研究所などの協力で修復し、京都大、金沢大と文字の書き起こしを進めている。

    西田幾多郎:西田哲学の原点 講義ノート発見、思索の記述 | 毎日新聞
  • http://nagatoyu.xsrv.jp/wp-content/uploads/2018/04/phil_bookguide2018_ver.1.1.pdf

  • 廣松渉氏の著作の<漢字の読み方リスト>について

    はじめに 哲学徒であれば、廣松氏の著作は must なのでしょう。とはいえ、ひらがなで書くべきところを漢字で、しかも、ふつうは用いない方の漢字で記されていたりします。そこで、簡単な読み方リストを作成しました。 えっ、彼が難解な漢字を使った理由ですか? 次のようなことが、一応考えられます: ・哲学的思索のかたわら、他のことで頭を使っての気晴らし。たとえば運動能力抜群の陸上選手が、練習のあいまにテニスをして遊ぶようなものです(私たちから見れば、余計疲れるだけのように思えますが)。 ・戦国の武将が、実用面から離れて、鎧兜の細部にこだわるような、ある意味での(男の)おしゃれ心。 ・俗受けをして人気がでることを嫌った、魔除けとしての役割。つまり、屈折した謙虚さ。 いずれにしても私の感想としては、こうした難解な漢字の使用は、彼のとくに初期の頃の文体ともども、とくにどうこう議論するようなものでもないと思

  • 人はなぜ「人工知能に自我が芽生える」と思ってしまうのか

    進化した人工知能が自我を持つ――。人工知能にまつわるよくある議論の1つですが、実際に開発しているエンジニアからすれば、全く現実的な話ではありません。それでも、なぜ人は、人工知能に自我が芽生えると思ってしまうのでしょうか。 人工知能AI)に関してよくある議論の1つに「人工知能は自我を持つのか」といったテーマがあります。人工知能の性能が上がり続けることで、「いずれは人間のように、心(自我)を持つのではないか?」と思う人は少なくありません。 この話は「自我を持った人工知能が人間に反旗を翻して、戦争を起こすのではないか?」という脅威論のベースにもなっています。こうした心配が広がるのは、「心を持つロボット」というモチーフの物語が世に数多くあるためかとも思うのですが、実際に人工知能を開発しているエンジニアからすると、「そんなバカな……」と失笑するレベルで非現実的な話なのです。 しかし、実際にPepp

    人はなぜ「人工知能に自我が芽生える」と思ってしまうのか
  • 人間の本性を考える - COXの読書ノート

    ●人となりは何で決まる? 「氏か育ちか」という言葉は古典的な問いかけです。大昔から洋の東西を問わず、多くの人々がその人間がいまの「その人」である要因は生まれつきのものなのか、その後の環境によるものなのか、という議論を繰り広げてきました。容姿や運動神経がほぼ生まれつきによるものであることは、誰もがはっきりわかるでしょう。しかし、ここで問題となるのはその「人となり」なのです。 かつて身分や氏素性、性別でその後の人生の選択範囲が大幅に制限されていた時代がありました。どれほど優れた能力をもっていようとも、農民は農民、女は女、そこから他の場所へいくことはできませんでした。しかし、それを打ち砕いた19世紀から20世紀にかけての社会科学は、機会の平等を人々に示す一方、「生まれつき」という考え方を偏見と差別の元であるとして、公式の立場から葬り去ったのです。 原題の「ブランクスレート(空白の石版)」という言

    人間の本性を考える - COXの読書ノート
  • ピンカーは近代哲学ではなくポストモダニストを含む現代のブランク・スレート信奉者を非難している

    ポモ好きの思想史研究者・仲正昌樹氏が、『ピンカーが(「人間の性を考える」で)哲学における「ブランクスレート」説として念頭に置いているのは、“ポストモダン”ではなく、イギリス経験論に代表される近代哲学全般』と主張していたので検証してみたのだが*2、イギリス経験論自体は肯定もしていないが、批判もほとんどしていない。ピンカーが熱心に批判しているのは、彼らの説を極度に単純化した後の世代の心理学者・社会学者・思想家、特に20世紀以降に新たな科学的知見を政治的に拒絶した人々であって、近代哲学全般を批判していると言うのは勘違いに思える。また、デリダなどポストモダニストへの言及もそれなりの分量、ある。 1. 経験論を極化した人々を批判している イギリス経験論の中では、ジョン・ロックとジョン・スチュワート・ミルをブランク・スレート説の源流として紹介はしているが、ロックの場合は王侯貴族や教会などの権利を保障

    ピンカーは近代哲学ではなくポストモダニストを含む現代のブランク・スレート信奉者を非難している
  • 読書メモ:脳はいかにして意識をつくるのか(ゲオルク・ノルトフ 著、高橋洋 訳) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る 作者: ゲオルク・ノルトフ,高橋洋 出版社/メーカー: 白揚社 発売日: 2016/11/05 メディア: 単行 この商品を含むブログ (1件) を見る 原題は“Neuro-Philosophy and the Healthy Mind: Learning form the Unwell Brain”。「意識」や「自己」や「アイデンティティ」の脳科学研究を手掛ける著者が、自身の研究のアプローチを一般向けに説明した一冊。原題の「神経哲学(neuro-philosophy)」という言葉に興味を引かれていたが、読むタイミングを逃していた。先日、東京で著者ノルトフ氏の講演があったので出かけていった。「面白かったけどよく分からなかった」というのが率直な感想だったため、会場で割引販売されていた書を買って読んでみることにした。 結論からいうと、

    読書メモ:脳はいかにして意識をつくるのか(ゲオルク・ノルトフ 著、高橋洋 訳) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 読書メモ:幸福はなぜ哲学の問題になるのか(青山拓央 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator) 作者: 青山拓央 出版社/メーカー: 太田出版 発売日: 2016/09/14 メディア: 単行 この商品を含むブログ (4件) を見る 「私はいま幸せです」と誰かが言うのを聞くと、なぜか少しだけ背筋が寒くなる。結婚した人に向けられる「お幸せに」という祝辞に、どことなく違和感を覚える。 このを読むにあたってあらためて「幸福」について考えてみて、自分が「幸福」や「幸せ」という言葉に対してあまり良いイメージを持っていなかったことに気づいた。「求めても無駄ではないか」とか「人それぞれではないか」と思ってしまうからだろう。だから「幸せになるにはどうすればいいか」を考えるのが無駄に思えてしまうし、人の幸せを口に出して願うことも空虚に感じてしまう。 でも、だからと言って、「幸福」という概念と無縁に生きていけるかというと、そうでもなさそうだ

    読書メモ:幸福はなぜ哲学の問題になるのか(青山拓央 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 【哲学】なぜ「役に立たない人」にも基本的人権を認めるべきなのか?−相模原の障害者施設・殺傷事件を受けて - サードウェーブ系哲学的ゾンビ

    (剣と天秤を持つ「正義の女神」像。目隠しの意味は諸説あるが、現在は「人物の名声を顧慮しない公正さ」と解釈される。) この文章では、「なぜ「役に立たない人」にも基的人権を認めるべきなのか?」という問題を、哲学(特に倫理学・政治哲学)として理屈でひたすら考えていきます。 その中で優生学、すなわち「生きる意味のない人間は、他人が安楽死させたほうがいい」という考え方が誤っていることも、理屈で示していきます。 なので、文は非常に長い文になってしまいました。さっと簡単に内容を掴みたい方は、「結論」のみをお読みいただければ内容はつかめます。 はじめに 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件は、単なる殺人事件を越えて、「障害者(=社会的弱者)の人権」という、ある意味アンタッチャブルだった議論を広く引き起こしています。 相模原の障害者殺傷事件における犯人の証言 この事件の容疑者

    【哲学】なぜ「役に立たない人」にも基本的人権を認めるべきなのか?−相模原の障害者施設・殺傷事件を受けて - サードウェーブ系哲学的ゾンビ
  • 【司馬遼太郎没後20年 空海を想う(中)】空海から始まった私の仏教論 司馬さんとは一時期、微妙な関係に  哲学者・梅原猛さん(1/3ページ)

    【司馬遼太郎没後20年 空海を想う(中)】空海から始まった私の仏教論 司馬さんとは一時期、微妙な関係に  哲学者・梅原猛さん 「私の仏教論は空海論から始まったのです」。哲学者、梅原猛さん(91)にとっての空海は明快だった。 「元来、京都学派の伝統では、仏教といえば禅と親鸞(浄土真宗の宗祖)なんです。でも、空海の著書を読んで、それまで単なる貴族仏教、祈祷(きとう)仏教とされてきたのがどうもそうではなくて、これは素晴らしい人だと思った。私が仏教に目覚めたのは空海によってであり、仏教研究も空海からでした」 独創的な思想と仏教・古代研究などで知られるが、もともと西洋哲学からスタートし、行き詰まりを感じていたころ、東洋・日思想に目を向け「思想的転向」を果たした。そのときに出会ったのが密教であり、空海だった。 著書『空海の思想について』(講談社学術文庫)では、理論人で政治家や実業家のような実際人でも

    【司馬遼太郎没後20年 空海を想う(中)】空海から始まった私の仏教論 司馬さんとは一時期、微妙な関係に  哲学者・梅原猛さん(1/3ページ)
  • ついに2400年前の「アリストテレスの墓」が発見される! 20年謎を追い求めた男の執念が結実 - TOCANA

    古代ギリシャにおける3大哲学者といえば、ソクラテスとプラトン、そしてアリストテレスだ。(それぞれが師弟関係にある)彼らの生み出した哲学とは、数学・芸術・科学・文学など、あらゆる学問分野を横断する究極の学びであり、西洋文明の礎となるばかりか、現代社会にも計り知れないほどの影響を与えている。 ■偉大な哲学者にまつわる最大の謎 アリストテレスは、紀元前384年にスタギラに生まれ、アテネに移るとソクラテスの弟子であるプラトンが設立した学園(アカデメイア)に入学した。その後、マケドニアに渡りアレクサンドロス大王の師となるが、アテネに戻ると自身の学園を設立。晩年はエヴィア島の都市ハルキダに身を寄せ、紀元前322年に62歳で死去した。 「万学の祖」と呼ばれるほどの“智の巨人”として、生前から古代ギリシャ人たちの尊敬を集めていたアリストテレス。しかし、それほどの超重要人物であるにもかかわらず、彼の墓がどこ

    ついに2400年前の「アリストテレスの墓」が発見される! 20年謎を追い求めた男の執念が結実 - TOCANA
  • 【はじめてのヘーゲル『精神現象学』:竹田青嗣/西研】さらに分かりやすく解説してみる - THE INYOSHOTEN PLUS

    ヘーゲル『精神現象学』は哲学書のなかでも難解といわれている。 それを分かりやすく解説したが「はじめてのヘーゲル『精神現象学』」である。そしてさらに分かりやすく解説してみようというのが、この記事での試みである。もちろん解説する部分はかなり限定されている。 超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』 (講談社現代新書) posted with ヨメレバ 竹田 青嗣,西 研 講談社 2010-05-19 Amazon Kindle 楽天ブックス 7net 《目次》 仮説自体が主観によるもの 仮説をアップデートし続ける 仮説自体が主観によるもの 「対象」には二つの契機があって、一つが「対他存在」(=知)、もう一つが「自体存在」(=真)である。 つまり、あるモノに対する自分の認識である「知」と、モノの質である「真」の2つのあり方が存在するのである。 われわれは自分の主観である「知」の世界から脱出

    【はじめてのヘーゲル『精神現象学』:竹田青嗣/西研】さらに分かりやすく解説してみる - THE INYOSHOTEN PLUS
  • 水木しげる、最後のインタビュー「生死について、人間について、自分が抱えていた疑問に答えてくれたのは、ゲーテの言葉だった」() @gendai_biz

    水木しげる、最後のインタビュー 「生死について、人間について、自分が抱えていた疑問に答えてくれたのは、ゲーテの言葉だった」 昨年11月30日に亡くなった漫画家・水木しげる。太平洋戦争真っ只中の10代の頃から93年の生涯にわたり、水木氏の思想の"背骨"となったのは、ドイツの文豪・ゲーテの言葉だという。奇しくも遺作となってしまった新著『ゲゲゲのゲーテ』(双葉新書)のテーマもまた、その名言の数々だった。 今回、現代ビジネスでは、昨年10月中旬に収録された生前最後のインタビューを同書より抜粋、特別に公開する。「生と死」「幸福」「仕事」など、ゲーテの言葉に託した、水木氏の最後のメッセージに耳を傾けたいーー。(聞き手・構成/左古文男) 水木 手に取ったのは十代の終わり頃です。よく読んだのは、二十代、三十代。それ以降は、あまり読んでない。二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきて、いつ召集になるかもしれな

    水木しげる、最後のインタビュー「生死について、人間について、自分が抱えていた疑問に答えてくれたのは、ゲーテの言葉だった」() @gendai_biz
  • レヴィナスの時間論 - 内田樹の研究室

    『福音と世界』という冊子に標記のような文を寄せた。あまりふつうの人の眼には止まらないような媒体なので、ここに再録しておく。 レヴィナスの時間論 最初は「レヴィナスの終末論」というお題を頂いた。原稿を引き受けたのは昨年の12月である。そのときには「あのこと」を書こうというアイディアがあったのだと思う(そうでなければ引き受けない)。だが、10ヶ月経って、いざ締め切り間際になってみると、そのとき何を書く気で引き受けたのかが思い出せない。とりあえず、レヴィナスの時間の観念についてなら少し書けそうな気がするので、それを書こうと思う。それはユダヤ教の終末論的思考にどこかで通底しているはずである。 エマニュエル・レヴィナス(1906-95)の戦後すぐの著作に『時間と他者』がある。短い講演録だが、正直言うと、ほとんど意味不明のテクストである。 終戦直後に「ホロコースト・サヴァイヴァー」としてのレヴィナスの

  • 悪の凡庸さについて/映画『ハンナ・アーレント』を観る - 学者たちを駁して

    『ハンナ・アーレント』という映画を神保町の岩波ホールで観た。平日の昼間なのでどうせそんなに客は入っていないだろうとタカをくくっていたら、思いのほか劇場は中高年のカップルで満席。上映前にチケットが売り切れてしまうほどの反響だった。 イェルサレムのアイヒマン 映画は、ユダヤ系哲学者のハンナ・アーレントが著した『イェルサレムのアイヒマン』というレポートを巡る騒動の一部始終を描いている。物語は、1960年、中南米に逃れていた元ナチス党員アドルフ・アイヒマンをイスラエル当局が捕縛するシーンから始まる。彼は、ナチス政権下のドイツにおいてホロコーストの指導的役割を果たした人物として指名手配中だったのだ。アイヒマンは、イスラエルの首都エルサレムに移送され収監される。アーレントは、アイヒマンの裁判を傍聴するため、エルサレムに向かう。 アイヒマンはエルサレムにおいて現地のユダヤ人たちから「野獣」と呼ばれていた

    悪の凡庸さについて/映画『ハンナ・アーレント』を観る - 学者たちを駁して
  • 「悪は凡庸」ではない?有名実験を新たに研究

    ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関与したナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)についてベルリン(Berlin)で開かれた展覧会で上映されるアイヒマンの裁判の映像(2011年4月5日撮影)。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL 【9月9日 AFP】普通の人々を悪事に駆り立てるものとは何か──この問いについて哲学者や倫理学者、歴史家や科学者たちは何世紀も論争してきた。 現代にも大きく通じる考えの一つは「ほとんど誰もが」、命令されれば残虐行為を働くことができるというものだ。独裁的な人物の命令や同調意識によって、我々はブルドーザーで家を押し潰し、を燃やし、親から子どもを引き離し、彼らを殺すことさえやり遂げることができる。このいわゆる「悪の凡庸さ」は第2次世界大戦(World War II)中に何故、教育を受けた一般的なドイツ人が、

    「悪は凡庸」ではない?有名実験を新たに研究