「印象深いのは、三浦弘行八段(当時)が羽生名人(当時)に挑んだ第68期名人戦。三浦八段は、終局後立ち上がれず、私が肩をお貸ししました。全身全霊をかけて戦ったのでしょう」と語るのは、ホテル椿山荘東京(東京・文京区)の接客支配人・俵木章浩氏。 2008年から、ここが名人戦第一局の舞台だ。対局室となる「音羽」の間で、持ち時間9時間の激闘が繰り広げられてきた。 この部屋は、ふだんは接待や結納に使われることが多いという。 「対局中は、静けさを保つために真上の部屋を空室にしたり、扇子を仰いでいるかなど確認して室温を調整したりと、最大限に気を配ります。朝、昼食の注文をお尋ねするときは、棋士の皆さまの緊張を感じて、お声をかけていいものか、ためらってしまいます」(俵木氏、以下同) 時には、こんな要望に応える。 「森内俊之九段が、おやつにバナナを注文されたことがありました。メニューにないものでしたので、走って